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2月2日(土) このような暴挙に対する沈黙は民主主義への罪だ [社会]

 黙っていてはならない、と思います。日教組の教研集会に対する「グランドプリンスホテル新高輪」の会場使用拒否問題です。

 予定していた会場が使えないため、57回目になる教研集会で全体集会が中止に追い込まれてしまいました。
 これは初めてのことだといいます。プリンスホテルは憲法で保障された集会の自由を奪ってしまいました。
 右翼の抗議活動による混乱を恐れて、一度は認めた会場の使用を取り消してしまいました。このような裁判所の決定さえ無視したプリンスホテルの行為は、いかなる弁解によっても認めることのできない暴挙だというべきです。

 第1に、この暴挙は明確な民主主義の破壊です。会場使用を拒むことによって、憲法で保障された集会の自由は空文化されてしまったからです。
 もし、このようなことが認められれば、気に入らない団体の集会を妨害するために、混乱を起こせばよいということになります。右翼団体の活動を手助けし、助長するようなものでしょう。
 自由や民主主義は、それを破壊しようとするものと対決することによってはじめて守ることができます。プリンスホテルがこのような立場に立たなかったのは誠に残念です。

 第2に、これは企業としてのコンプライアンス(法令遵守)違反です。会場使用の取り消しには、東京地裁と東京高裁で、使用を許可すべきだとの仮処分の決定が出ていました。プリンスホテルは、この決定に従いませんでした。
 この日本は法治国家ですから、言うまでもなく、裁判所の決定を無視することは許されません。法令遵守の精神を大きく踏み外した誤りだと言うべきでしょう。
 プリンスホテルは、ルール無視の企業のあり方が批判を呼んでいることを知らないのでしょうか。経営者における遵法精神の欠落を、またもや実証しようとしたのでしょうか。

 第3に、これは日本という国を貶める行為だとも言えます。日本の首都のど真ん中にあって外国人も多く利用する一流ホテルで、右翼団体の抗議によって集会を開くことができないなんて、外国の人々が見たら一体どう思うでしょうか。それほどに、日本では自由も民主主義もなく、遅れている国なのかと思われるにちがいありません。
 このような事例が、国際社会においていかに異常なことであるのか、それがどれほど恥ずかしいことなのか、分かっているのでしょうか。プリンスホテルは確実に国際社会における評判を落としたに違いありませんが、しかし、それ以上に評判を落としたのは、この日本という国そのものなのです。

 黙っていてはなりません。何よりも、福田首相は率先して発言するべきです。日本の自由と民主主義のために、このような行為は許されないということを……。
 責任ある政党や政治家も、これに続くべきでしょう。今回の右翼の行動も、それに引きずられたプリンスホテルの決定も、厳しく批判されなければなりません。
 日本における政治の意志として、このような暴挙を許さず、集会の自由を守るのだという決意を示すべきです。憲法の精神に反する行為と闘うことによって、全ての国務大臣と国会議員は憲法第99条の憲法尊重擁護義務を果たさなければなりません。

 日本経団連の御手洗会長も、今日の社会における企業のあり方として、このような行為が許されないということをはっきりさせるべきです。地裁と高裁の仮処分決定を無視することは、日本経団連の企業倫理規憲章反だと言うべきでしょう。
 日本経団連はプリンホテルを除名しなければなりません。民主主義社会のルールを守れない企業は、会員としての資格を欠落していることを天下に示すべきです。
 もし、そうしなければ、プリンスホテルと同じような民主主義感覚しかないと誤解されるでしょう。遵法精神が欠落した「同じ穴のムジナ」だと、社会的な批判を浴びるにちがいありません。

 マスコミも、この問題を自分自身の問題と受け止めて抗議の声を発するべきです。自由と民主主義が欠落した社会で、まともなマスコミは生きていけません。自らのレーゾンデートルをかけて、プリンスホテルの暴挙を批判するべきです。
 「社説」で厳しく批判しているのは『朝日新聞』『毎日新聞』『東京新聞』だけのようです。他の新聞は、自由と民主主義に対する感度が問われているということが分かっていないのでしょうか。
 これが日本の民主主義にとっていかに重大な問題を提起しているのか、理解できないのでしょうか。新聞だけでなく、マスコミの本分を守ろうとするのであれば、テレビも週刊誌もこぞって厳しい批判を表明するべきでしょう。

 私たち市民も、このような行為を許さない決意を示さなければなりません。プリンスホテルの今回の行為に対する抗議や批判の意思を、何らかの形で示すべきです。
 最も効果的なのは、このようなホテルを利用しないことでしょう。民主主義のルールをわきまえない企業は、民主社会において社会的な制裁を免れないということを教えなければなりません。
 このようなことが二度と繰り返されないようにすることも必要です。混乱を恐れて会場使用を拒むようなことを許してはなりません。

 それにしても、プリンスホテルほどの一流ホテルが、どうしてこのような過ちを犯したのでしょうか。今回の決定がどれほど大きな間違いであるかを理解できるような幹部がいなかったのでしょうか。
 経営者の民主主義に対する感覚と遵法精神はこれほどに麻痺し、衰えてしまったということなのでしょうか。誠に、信じられない気持ちです。
 「日本社会は崩れつつある」「日本は危うい」と感ずるのは、このような暴挙に出会った時です。もし、これがそのまま許されるとしたら、その時こそ、本当にこの国は崩れてしまったのだということになるでしょう。

 そうさせないためにも、抗議の声を上げなければなりません。日本の企業と経営者に、まともな民主主義感覚とルールを守る必要性を教えなければならないのです。


10月1日(月) 郵政民営化は地方衰退に向けての第3段階か? [社会]

 10月に入りました。今日から、郵政が民営化されます。
 振替口座サービスが150円から330円へ、電信現金払いが180円から630円へ、公共料金の払い込みが30円から240円へ、定額小為替が1枚10円から100円へと、値上げラッシュが予定されています。
 それだけではありません。郵便局の整理・統合なども伝えられています。この郵政民営化が、また一歩、地方の衰退に向けて歩を進めることになるかもしれません。

 先日、『朝日新聞』の「編集局労働グループ」に属する記者の方から、取材を受けました。JRの採用差別事件から20周年を迎えるので、この事件の意味について意見を聞きたいというのです。
 そのとき、旧国鉄の分割・民営化について私が指摘した問題点の一つが、地方の衰退です。分割・民営化によるロール線の廃止や第三セクター化が、その第1段階だったのではないかという点です。
 分割・民営化によって、本州のJRが活性化し、都市部でのサービスが向上したことは否定できません。しかし、北海道、九州、四国のJR3社はどうでしょうか。都市部以外でのローカル線の廃止は、地方のコミュニティと生活を破壊してしまったのではないでしょうか。

 これに続いて、平成の大合併がありました。地方自治体の統合は、地方の衰退の第2段階だったように思われます。
 ローカル線の廃止によって、地方のコミュニティの核になっていた鉄道の駅がなくなりました。自治体の統合によって、かつての駅の近くにあった役場などの行政機関も姿を消したり、規模が縮小したりしています。
 駅や役場の消滅によって人々の往来が減れば、周辺の商店街も影響を受けます。町や村の中心部にあった商店街が、シャッター通りに変わってしまうのも当然でしょう。

 そして、地方衰退の第3段階が今日の郵政民営化から始まるのではないか、というのが私の懸念です。地方や山間部の郵便局が統廃合されてしまう可能性が高まるからです。
 局があれば人が集まります。集配に従事する局員は、一人住まいのお年寄りなどに声をかけたり、学校に行き来する子どもたちを見守ったりしてきました。
 郵便局がなくなれば、人は集まりません。集配の局員が減らされたり、回数が減ったりすれば、郵便屋さんが走り回ることも少なくなるでしょう。

 地方の山間部では、コミュニティとしての機能を維持できない限界集落が激増しています。その維持にはお金がかかりますから、経済合理性や行政の効率性からいえば、周辺の都市部に移ってもらった方が良いということになります。
 山村や離島の集落を整理し、人々を都市部に集約するのは、実は、「構造改革」の隠れた政策目的だったのではないでしょうか。「構造改革」が失敗したからではなく、それが成功したから、地方は衰退しているのではないでしょうか。
 その結果、地方には不安や不満が渦巻くことになりました。それが参院選での自民党大敗をもたらしたために、政府・与党が慌てているにすぎません。

 行政の論理からすれば、少数の人に多額の税金をかけることは不合理です。税金の効率的運用からすれば、人口の少ない地方を切り捨てることは、極めて合理的な政策選択だということになります。
 しかし、その地方には、そこで生まれ、生活し、生涯を全うしたいと願う人々が生きています。ふる里で人生を終わり、先祖から受け継いできた土地や建物を子孫に伝えていきたいというのは、余りにも当然の願いでしょう。
 これは人間の論理です。この論理からすれば、行政の論理は間違っています。

 「人はパンのみにて生きるにあらず」と言います。行政の効率性だけで、人間社会のあり方を考え、左右してしまって良いのでしょうか。
 いま、地方の衰退という事実が突きつけているのは、この問いにほかなりません。この問いにどう答えるのかが、与野党ともに、問われていると言うべきでしょう。
 行政はそこに生きる人々のためにあります。行政のためにそこに生きる人々がいるのではありません。

 民営化によって公の論理が否定されてきました。国鉄の分割・民営化はその始まりであり、「構造改革の本丸」であった郵政民営化は、その究極の姿にほかなりません。
 行政の効率性を追い求めるあまり、人間の論理が忘れられているのではないでしょうかそれは結局、社会の衰退を早めてしまうという本末転倒を、一体いつまで続けるつもりなのでしょうか。


9月30日(日) 時津風親方を殺人罪で逮捕するべきだ  [社会]

 これほど、陰惨にして気の毒な事件はないでしょう。信頼していた親方に殺されるなんて……。

 「おまえらもやれ」。時津風親方は暴行をけしかけていたというではありませんか。飲み終わったビール瓶で、亡くなった斉藤さん(時太山)を数発殴り、額が割れて血が流れ出たあと、こう指示したといいます。
 翌日、「かわいがり」と呼ばれる集中的なぶつかりげいこが1時間以上続きました。通常の何倍もの長さで、これも「けいこ」に名を借りた暴行です。
 親方は「後はわしが面倒を見る。おまえらは風呂に入れ」と言って、けいこ場で斉藤さんと2人きりになりました。その間、「あー」という斉藤さんのうめき声が聞こえたそうです。信頼し、親とも頼む親方に裏切られ、暴力をふるわれた斉藤さんの怒りと悲しみが、この声に込められていたにちがいありません。

 斉藤さんは意識不明になり、お風呂で温めたりしても意識は戻りませんでした。このとき、適切な処置をしていれば、斉藤さんの命は助かったかもしれません。
 弟子たちは「救急車、救急車」と騒いだといいます。それなのに、親方は救急車を呼ぼうとしませんでした。
 斉藤さんが亡くなった後、親方は、以上のような経過について、弟子たちに口封じをしていました。そして他方で、「どうしてこうなったか分からない」などととぼけていたのです。

 許せません。ことの経過を見る限り、斉藤さんを殺したのは時津風親方自身です。殺人罪で逮捕するべきです。少なくとも、傷害致死罪で捕まえるべきでしょう。
 主犯は、時津風親方です。このような殺人者をのさばらせることは、相撲界の自滅に繋がります。もはや、どの部屋のどの親方にも、子どもを預けようとする親はいなくなるにちがいありません。
 いまでさえ、新弟子の志願者が急減しています。時津風親方を相撲界から追放しなければ、日本の伝統である大相撲は、やがて消滅することになるでしょう。

 なお、週刊『プレイボーイ』の10月8日号に、「『亡霊』自民党、消えてくれ!!」という特集で、私のインタビューをまとめたものが掲載されました。「亡霊3 失効するテロ特措法は野党のせいにして米国に謝る」という記事です。
 内容を紹介すればいいのですが、原稿執筆中で時間がありません。いささか横に広がった顔写真と共に、この雑誌を手にとってご笑覧いただければ幸いです。


原爆は「落ちた」のではない。「落とされた」のだ [社会]

 今日、8月6日は人類史上初の原爆投下から62年目の「広島原爆の日」です。平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が行われました。

 1945年8月6日午前8時15分、米軍爆撃機エノラ・ゲイが人類史上初めて原子爆弾「リトルボーイ」を広島市に投下しました。上空約600メートルで爆発し、熱線や爆風、大量の放射線のため市中心部は壊滅し、45年末までに約14万人が死亡しています。
 この原爆は、「落ちた」のではありません。それは、「落とされた」のです。それは自然現象ではなく、人間の行為によって生じた人為的な現象です。原爆は「落とす」人がいたから、「落ちた」のです。
 原爆投下のスイッチを入れた人がおり、そうすることを命じた指揮官がおり、それを了承した政治家がおり、それを開発した科学者や技術者がいました。人間の集合的行為の結果として原爆が投下され、一瞬にして多くの人が命を落とし、今もなお後遺症で苦しむ人々を生み出しました。そのプロセスにおいて、「これは人間のやることではない」と思った人は、誰もいなかったのでしょうか。

 安倍首相は昨日の夕、広島市を訪れて市内のホテルで原爆の被爆者団体代表らと面会しました。この席で首相は、原爆症の認定基準について、緩和を前提に見直しを検討する考えを表明しました。
 参院選で負けなければ、安倍首相はこのようなことをしなかったでしょう。もともと、「被爆者代表から要望を聞く会」への出席要請を断っており、欠席の意向を伝えていました。
 この予定を変更させた力は、参院選での自民党の敗北です。人気の回復を図るために、急遽、被爆者の声を聞き、その要望に応える姿勢を示そうとしたのです。

 それでも、やはり安倍さんです。付け焼き刃の人気取りの悲しさでしょうか。
 被爆者団体の代表をホテルに呼びつけるという形で、面会することになりました。被爆者の心に寄り添い、自ら足を運ぶという「気配り」すらできなかったというわけです。
 「首相側が、被爆者や市側の反発を受けあらためて日程を調整。ようやく、宿泊先ホテルでの前日の面会となったが、正式な会に出席せず、被爆者側を呼びつける形となったことに『正常ではない』と不満をあらわにする被爆者代表もいた」(『東京新聞』8月6日付)そうです。

 しかし、たとえそれが「人気取り」であったにしても、このような形で被爆者の声を聞いたことは、それなりに評価できるでしょう。被爆者対策を少しでも前進させ、可能な限り救済するべきです。
 次の段階では、言葉だけでなく具体的な行動が望まれます。国が原爆症の認定申請を却下した処分の取り消しなどを求める集団訴訟では連戦連敗ですから、先ず、この控訴を取り下げることが必要でしょう。
 安倍首相の発言を受けて、柳沢厚生労働相も専門家による検討会を設置して1年以内で見直し作業を進める方針を明らかにしました。見直しにあたっては被爆者の声を反映させていく考えを示したそうですが、できるだけ被爆者の要望に添う形で、早急に対応することが望まれます。

 今回の安倍首相の行動は、選挙の結果が政治を動かすことの一例だと言えるでしょう。これからも、このような例が多く見られるにちがいありません。
 政治は選挙の結果によって動き、選挙結果は民意によって産み出されたものです。つまり、民意によって政治は動かされるのです。
 民意が望めば、核廃絶を外交政策の主要な課題とする「非核の政府」も作れるかもしれません。原爆が人間の過ちによって「落とされた」ものである限り、二度と再び「落とさせない」こともまた、人間の行動によって可能になるはずです。


8月5日(日) 団塊よ、今一度闘いに立ち上がろう [社会]

 昨日の午後、法政大学文学部同窓生有志の「9条の会」に呼ばれ、都心で話をしてきました。与えられたテーマは「団塊よ、今一度闘いに立ち上がろう!―70年代大学民主化闘争から学ぶこと」というもので、30人ほどの方が出席されました。

 その会場で、久しぶりに懐かしい顔に出会いました。高校時代からの友人であるT君です。
 ふる里の高校を卒業してから、一緒に東京に出てきた仲間です。法政大学の経済学部出身ですが、サークルが一緒だったということで、文学部の友人に誘われて顔を出したのだそうです。
 十数年前、高校時代の友人が小淵沢に集まったときに顔を合わせて以来の再会です。事情があって、なかなか故郷に帰れないとぼやいていました。

 それにしても、羨ましいような気がします。大学時代のOBやOGが、このようなテーマでこれだけ集まるのですから……。
 私が卒業した都立大学にも、自治会活動などを通じて知り合った仲間がたくさんいます。でも、このような形で集まることはほとんどありません。
 大学を卒業してから、すでに30年以上経ち、職場をリタイアする人も出てこようとしています。その時に、「今一度闘いに立ち上がろう!」と呼びかけ、それに応えて集まってくる仲間がいる。素晴らしいことではありませんか。

 皆さんのお話を伺っていて、学生時代の「魂」は今も生き続けているという感を深くしました。年は取っても、気は若い。生きることに意欲的であり、政治や社会のあり方について深い関心を持ち続け、何らかの形で運動に関わっておられます。
 法政大学における「70年代大学民主化闘争」とは、端的に言って、暴力学生の学園支配に反対し、まともに勉強できるような大学をつくる運動でした。そして、今日、このような運動の教訓を学びながら、「9条の会」を作って平和憲法を守ろうとしています。
 この両者に共通するのは、反暴力です。かつて、暴力支配に反対して大学の自由と民主主義を守ろうとした人々は、今、最大の暴力である戦争に反対して日本の平和と民主主義を守ろうとしているわけです。

 以前、私は「法政大学学生運動の歴史」編集委員会に招かれて、この日と似たような話をしたことがあります。その内容は、『団塊よ、死ぬ前に闘え―60、70年代、青春をともにした友へのメッセージ』というパンフレットになりました。
 この「死ぬ前に闘え」という言葉は、この日も話題になりました。これはいささか挑発的かもしれませんが、「このような日本を残して、あの世に行っても良いんですか」というのが、私の問いかけです。
 闘わなければ、普通に生きるのさえ難しくなっているという意味でもあります。普通の人が普通に生きて、普通の幸せを手にれるためにも、闘わなければならなくなっているのではないでしょうか。

 しかし、先の参院選の結果、これまでとは違った明日があるというかすかな希望が出てきたように思います。ということで、懇親会が終わる頃、私は皆さんにこう呼びかけました。
 「死ぬ前に闘え」ではなく、「長生きをして、戦い続けましょう。皆さん、是非、長生きをしてください」と……。


8月4日(土) 消えたものには「福」がある [社会]

 昨日、4チャンネルで「太田光の私が総理大臣になったら……秘書田中」が放映されました。残念ながら、私の発言はほんの一部しか放映されませんでした。でも、本当はこの3倍くらい発言していたんですよ。

 そこで私が強調したのは、自民党の敗北は宇野内閣のときの36議席に匹敵する37議席であり、国民の批判や不満がいかに大きいかがここに示されているということ、その原因は、あれかこれかという部分的なものではなく、安倍首相の政策理念、政治手法、政治姿勢の全てが拒否された結果であるということ、「政権選択」の選挙ではなかったかもしれないが「首相選択」の選挙であったことは確かであり、「政権」が変わらないからこそ、「首相」を変えて欲しいと自民党支持者の4分の1ほどが他党に投票したということです。この発言の最初の部分だけが放映され、後半部分がカットされてしまいました。まあ、編集権は向こうにありますからやむを得ませんが……。
 お気の毒なのは、私の隣にいた政治評論家の有馬晴海さんです。ちゃんと発言したのにカットされ、ほとんど放映されませんでした。

 ところで、安倍首相の続投に至る経過が明らかになってきました。今日の『毎日新聞』一面に「消えた『福田暫定内閣』構想 3氏会談の内幕」という暴露記事が掲載されています。
 これによれば、参院選投票日の29日夕、国会に近いグランドプリンスホテル赤坂の一室に、森喜朗元首相、青木幹雄参院議員会長、中川秀直幹事長の3人が顔をそろえ、安倍首相の退陣を想定して、福田康夫元官房長官を後継首相に擁立する構想を具体的に話し合っていたそうです。
 席上、中川さんは「私の不徳の致すところです。申しわけございません」と頭を下げ、青木さんは「森さん、私もこれで楽になります。高みの見物でもして過ごしましょう」と乾いた声で笑ったといいます。「責任をとって幹事長を辞めます」と中川さんは言い、青木さんも「私も同じだよ」と同調したそうです。

 当然、安倍さんの進退も話題になりました。その前日の夜、安倍さんは森さんの携帯電話に「今後も続けるつもりです」と伝えていたからです。
 記事は、この後、次のように続いています。

 3人は自民党の獲得議席を「40台中盤」「40台前半」「30台」と三つのケースに分け、「30台なら退陣は避けられない」との結論で一致した。青木は「安倍君はまだ若い。今、辞めれば次のチャンスが生まれるかもしれない」と言った。
 「じゃあ、それなら誰がいいのかなあ」。3人が異口同音に口にしたのは、「福田首相」による次期衆院選までの選挙管理内閣構想だった。「彼なら落ち着いているし、安定感がある」。ただし、福田は71歳。福田を評価する森らも、あくまで「暫定的な緊急避難措置」と考えていた。
 「アルツハイマー」発言でミソをつけたものの、外相・麻生太郎だけは、党内に「ポスト安倍」の人材が枯渇するなか、温存しておかなければならない--。それが3人の共通意見だった。

 協議を踏まえ、森は「じゃあ、今晩中におれが福田さんに会おうか」と言った。ただ、その前に首相が当日夜のテレビ出演で、進退についてどう語るか確認しておくことも必要だった。
 森と青木は、中川に首相公邸に出向いて、安倍の意思を聞いてくるように求めたが、中川は「いや、記者もいっぱいいますし」と尻込みした。森は「幹事長が総理に会うのは、誰も不思議に思わないよ」と中川の背中を強く押した。その場から首相公邸にアポイントメントの電話を入れた中川は、電話を切った後「総理は麻生さんと会っているようです」と、森と青木に告げた。
 午後6時前、麻生と入れ替わるように首相公邸に入った中川に、安倍は「結果がいかなるケースであろうと、解散のない参院選で、政権選択が行われることはあるべきではない」と続投への強い意思を伝えた。「ポスト安倍」は安倍という強烈な意思表示だった。

 「続けるのも地獄、引くのも地獄、いばらの道ですね」と中川。会談後、中川は森に「我々が考えていたのとは全然違う雰囲気です。総理は続けるつもりです」と伝えた。安倍も森に電話し「辞めません。続けるつもりです」と通告。森も「わかった」とのむしかなかった。安倍は周囲に「こんな状況で続けるのはきつい。でもどんな結果になってもやる」と漏らした。この瞬間、「福田選挙管理内閣」構想は幻に終わった。

 消えた次期政権構想には、福田さんがいたというわけです。それを蹴飛ばしたのは、安倍首相でした。
 安倍さんは、選挙結果が分かる以前、投票日の前日の時点で、すでに森さんに「今後も続けるつもりです」と伝えていました。安倍首相は、もともと選挙結果など問題にしていなかったということになります。
 最初から、民意に従う気はなかったのです。選挙カーの上や討論会で、「私と小沢さんとどちらが首相に相応しいか、国民の考えを聞いてみたい」などと発言していましたが、腹の中では、「国民の考え」に従う気など、はなからなかったというわけです。

 なんという傲岸不遜。国民を馬鹿にするのも、いい加減にして欲しいものです。
 選挙の舞台裏がはっきりするにつれて、安倍首相の続投がいかに正当性のないものかが明瞭になってきました。それでもなお、安倍さんは首相の椅子にしがみつこうというのでしょうか。


7月19日(木) 参院選ではずさんな原発行政の責任も問われるべきだ [社会]

 新潟の姉から送ってもらった野菜は大丈夫なのでしょうか。空気中に飛散した放射能に汚染されていたなどということはないのでしょうか。
 新潟県中越沖地震にともなう柏崎刈羽原発のトラブルについて、新たな事実が次々に明らかになっています。東京電力の隠蔽体質やトラブル隠しは、もう過去のものとなったはずなのですが……。

 柏崎市の会田洋市長は柏崎刈羽原発で火災や微量の放射能漏れなどが相次いだ問題で、東京電力に対して消防法に基づく緊急使用停止命令を出しました。当然でしょう。
 このままでは、安全面で大きな不安が残ります。被害やトラブルの実体についても、全てが正直に報告されているかどうか、怪しいものです。
 できるだけ事故を小さく見せようとする意図はないのでしょうか。事故やトラブルについての情報操作などがあってはなりません。

 今回の地震によって、6号機から放射性物質を含む水が海に流出したことが分かっています。当初、その放射能量は6万ベクレルと算出されていましたが、実際には1.5倍の9万ベクレルだったとことが、その後、判明しました。
 東京電力は「単純な計算ミスで申し訳ない。国の安全基準を下回っており、安全性に問題はない」と説明しているそうです。
 本当に、「単純な計算ミス」だったのでしょうか。「安全性に問題はない」ことを強調したいがための作為だったのではないでしょうか。

 また、今回の地震を引き起こした断層が原発の直下まで延びている可能性のあることが、気象庁などの分析で分かりました。原発は事前に断層を見つけることを前提に建設されているのに、今まで分からなかったというのは事前の調査自体に問題があったことを意味しています。
 東京電力は柏崎刈羽原発の耐震性再評価のために昨年10月~今年4月、原発周辺の地質再調査を実施していますが、海底の断層については改めて調べていません。その結果、このときも、中越沖地震を引き起こした断層を発見できなかったのです。
 今回の地震があって、初めて東電周辺海域の地質調査をすることになったそうです。以前に見つけていながら耐震設計の評価から外していた海底断層を含め、原発を中心に沿岸60キロ、沖合30キロまでを改めて調査するそうですが、まさに“泥縄”そのものではありませんか。

 さらに、3号機の建屋脇の変圧器で発生した火災は、地震で周辺の地盤が沈下し、電気を流す銅帯が金属と接触したために発生した可能性が高いことが分かりました。この地盤沈下も想定外だったようです。
 それだけではありません。このような火災に対する消火体制の不備については以前から指摘されていたのに、対応していなかったことも明らかになりました。
 昨日の夜のテレビ朝日の番組で、共産党の志位和夫委員長は「2年前に国際原子力機関(IAEA)から『火災消火の専門部隊をつくり、訓練すべき』と言われ、政府も約束した。その部隊がないのは勧告無視で、政府の責任問題だ」と批判しました。IAEAは04年11月に調査団を派遣し、報告書で改善すべき点などを指摘していたのに、無視されていたわけです。

 消火体制がないということは、このような火災が起きることが、そもそも想定されていなかったということです。それは国際的に見れば全く非常識で、だから、IAEAは改善すべきだと指摘していたのでしょう。
 このときの勧告が守られていれば、今回のように、消防車が到着するまで1時間もかかり、鎮火するまで原発の施設が2時間も燃え続けるなどということはあり得なかったはずです。消火作業にはたった4人の人間しか当たらず、破損して出の悪くなった水をチョロチョロかけるだけで化学消化剤も無かったなんて、信じられません。

 年金記録の問題に続いて、原発行政の面でも、政府・与党の怠慢が明らかになったというわけです。今度の参院選では、このような政府・与党の監督責任もまた、問われなければならないでしょう。


7月17日(火) 原発に依存する生活からの脱却は急務 [社会]

 新潟から荷物が届きました。本来なら救援物資を送るべきところですが、逆に、姉から野菜を送ってきたのです。
 昨日の朝、地震が起きる前に荷造りしたそうです。新潟方面への物資輸送は混雑しているかもしれませんが、新潟からの荷物は普通に届くということが確認できました。

 このように、私は兼業農家である実家の姉から、ときどき野菜を送ってもらっています。新潟の新鮮な野菜は、こちらで売られているものとひと味違うからです。
 その野菜が、放射能に汚染されるなどということがあっては困ります。柏崎には原子力発電所があり、今回の地震によって、多くの問題点が明らかになったからです。
 柏崎刈羽原子力発電所ができるとき、地震による破損や大事故の恐れが指摘されました。今回の新潟県中越沖地震によって、その可能性が皆無ではないことが証明されたといって良いでしょう。

 今回の地震を引き起こした活断層は見落とされていました。震源は原発から北へ約19キロ離れた海底活断層とみられていますが、設計時には見つけられなかったものです。
 原子炉などの重要機器について、耐震設計では原発の敷地から10キロ以内に震源を持つマグニチュード(M)6.5の地震を想定していましたが、今回はこれを上回るM6.8でした。
 経済産業省原子力安全・保安院によると、1号機の地下5階に設置された地震計で東西方向に680ガルの揺れを観測しました。これは、原子炉など重要機器の設計で想定する273ガルを大きく上回っています。

 3号機建屋わきの変圧器で火災が起こり、黒煙や炎はテレビの画面にも映りました。発電所には自主防災組織がありますが、初期消火にあたったのは職員や作業員ら4人だけで、自主防災体制が十分には機能しませんでした。
 結局、自力では消火することができず、消防署に連絡したものの、地元消防本部は市内各所からの救助要請への対応に追われていました。途中の渋滞もあって、消防車が原発に到着したのは、1時間以上たってからです。

 また、6号機では、使用済み燃料プールの水があふれ、施設内の排水溝を通じて海に流れ出ていたことが判明しました。水は微量の放射性物質を含んでおり、放射性物質が原発の外部に漏れたのは過去に例がないそうです。しかも、経産省へ報告したのは発見から6時間も経ってからでした。
 固体廃棄物貯蔵庫では、交換した配管や汚染した手袋などの低レベル放射性廃棄物を納めたドラム缶約100本が転倒し、数本はふたが開いていました。床の汚染状況を調べた結果、17か所のうち1か所で微量の放射能が確認されています。ドラム缶は全部で2万2000本あり、これからも転倒数は増えるでしょう。

 さらに、空中へも放射能が漏れた可能性があります。主排気筒の排気サンプリング装置の試料を分析した結果、7号機では放射性のヨウ素、クロム、コバルトが検出されたからです。地上濃度は法令の規制値以下だったとされていますが、どれだけの放射能が漏れだしたかは分かりません。
 このほか、建屋と主排気筒をつなぐ排気ダクトがずれるなど、地震の影響とみられる50件のトラブルが全7基で確認されています。まだ、これからも増えていくでしょう。

 これらの事実は、原子力発電所の危険性をはっきりと物語っています。一つ間違えば、大災害を引き起こす可能性がありました。
 今回の地震は、事前の想定を越えるものであり、実際に起きた事態も、事前には想定されていたものではありません。報告は正しいのか、全て正直に報告されているのか、という疑問も残ります。
 これまでも、東京電力は数々の事故を隠してきました。その隠蔽体質からして、今回もまた同様の事故隠しがあるかもしれません。全貌を明らかにして、対策を急ぐべきです。

 そもそも、このような場所に、どうしてこのような原子力発電所を建設したのでしょうか。地震が起こった場所は「新潟―神戸ひずみ集中帯」とも呼ばれ、阪神大震災をはじめとする地震が、相次いで起こっている場所だというのに……。
 3月の能登半島地震でも志賀原子力発電所が耐震設計上の想定の2倍近くに達する揺れを記録しました。ここも「新潟―神戸ひずみ集中帯」に含まれています。
 福井県の敦賀原発や高浜原発、美浜原発、大飯原発も、この範囲に含まれています。「ひずみ集中帯」が“地震の巣”であるとすれば、その上に原子力発電所が並んでいるというわけです。何ということでしょうか。

 原子力発電に依存する生活からの脱却は急務です。少なくとも、今ある施設については、耐震強度と防災体制の強化を図る必要があるでしょう。
 そして、いずれは原子力発電所の稼働停止へと進んでいかなければなりません。このような危険な施設への依存から脱却することは、地震列島・日本の宿命なのではないでしょうか。