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6月21日(火) 「外からの視点」によって明確にされた安倍辞任の必要性 [首相]

 いよいよ明日、参院選が公示されます。この選挙は日本の命運をかけた極めて重要な政治決戦です。
 その結果、与党を敗北させて安倍首相に責任を取らせ、辞任に追い込むことができるかどうかが、最大の焦点になります。その必要性をはっきりと示しているのが、今日の『朝日新聞』に掲載された2人の外国人識者の発言です。

 「アベノミクス考 外からの視点」という表題の下に、2人の方が登場しています。そのうちの1人、元WSJコラムニストのジェームズ・シムズさんは「いま、第3の矢は行方不明です」と指摘しながら、次のように述べています。
 「やはり安倍政権にとって、経済は、憲法改正や安全保障、戦後レジームからの脱却といったことを実現させるための道具でしかないのでしょう。しかし、日本経済の真の立て直しは、正面から取り組まなければとてもできない極めて大きな課題です。国外の投資家は、構造改革に向けた安倍政権の本気度をいま見極めています。」

 経済は「道具」で、本当に実現させたいことは「憲法改正や安全保障、戦後レジームからの脱却といったこと」なのだという指摘です。まさに、その通りでしょう。
 安倍首相は「日本経済の真の立て直し」に「正面から取り組」むつもりなど、最初からなかったのです。アベノミクスは新「富国強兵」のための「道具」であり、経済の立て直しは軍事大国化のために必要だという位置づけにすぎなかったのですから。
 したがって、いくら「安倍政権の本気度」を「見極め」ようとしても、それはとうてい無理なのです。安倍さんの目的は今も変わらず、一貫して「憲法改正や安全保障、戦後レジームからの脱却といったこと」に置かれているのですから。

 もう一人の著名な「国外の投資家」として知られるジム・ロジャーズさんの意見はどうでしょうか。彼の主張はもっと明確です。
 記事の見出しは「お札の増刷『異常』 このままでは破綻 改革進め門戸開け」というものでした。ここで、ロジャースさんは次のように指摘しています。
 アベノミクスについて「正直、がっかりしています」と答え、「安倍首相は、経済を再興させ、海外と競える環境を作り出すと公言していたのに、結局、何もやらなかったと思います。やったことは増税、そして税金で道路や橋を造り続け、お札をじゃぶじゃぶ刷り続けたことくらいでした」と述べ、「この間も日本が抱える問題は大きくなっています。人口が減って高齢化が進む一方で、国の借金は将来の世代で返せないほど積み上がっています。安倍首相は日本を破綻に追い込んでいると、私は思います」と語っています。

 また、マイナス金利については、「マイナス金利政策で経済を良くすることはできないと断言できます。それは日本だけでなく、他国でも同じことです。国の借金が増え続け、自国通貨も下落して物価が上がる。おまけにマイナス金利で財布の中身まで寂しくなって、日本はどうやって生き残るつもりですか」というのが、彼の意見です。
 「日本は投資先としてもう魅力はないのでしょうか」という問いには、「良い兆候が見つかるまでは手を出さないつもりです」と答え、「良い兆候とは?」との質問に、「たとえば、安倍首相が辞任するか、彼自身が変わるかです。危機は変化する好機でもあります。本当の危機に直面して、日本が良い方向に変化していくことができるかを私は見ています」と続けています。
 変わらなければならないというわけです。「良い方向に変化していくことができるか」が、「本当の危機に直面」している日本の課題なのです。

 しかし、アベノミクスのエンジンをさらに吹かすと言っている安倍首相が、この先「変わる」可能性はありません。「安倍首相が辞任するか、彼自身が変わるかです」といってみても、後者の可能性は全くありません。
 とすれば、「安倍首相が辞任する」しかないということになります。安倍さんに変わる新しいリーダーに日本の政治をゆだねることでしか、「良い方向に変化」する可能性は生まれてこないのです。
 ロジャースさんも「日本に必要なのは変化です」と言い、「私が10歳の日本人なら、両親を説得して日本を逃げ出すでしょう。なぜなら、新しいリーダーが出てこない限り、40歳になった時の日本経済は悪夢だと思うからです」と指摘しています。安倍首相「自身が変わる」可能性について、実はロジャースさんも全く想定していないからです。

 ロジャースさんとは異なって、日本で生まれ育ち、これからもこの国で生きていかなければならない人々にとって、日本を逃げ出すという選択肢はありません。となれば、「安倍首相が辞任する」以外に、悪夢を避ける道はないということになります。
 「40歳になった時の日本経済は悪夢だと思う」のであれば、唯一の選択肢である安倍辞任に向けて力を尽くすしかないのです。それこそが残されたたった一つの希望であり、その最大のチャンスが間もなくやってこようとしています。


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6月19日(日) 安倍首相以外の誰が見たってアベノミクスの失敗は明らかだ [首相]

 「着実に結果を出している」のに「道半ば」? それは成功でもなく、失敗でもない?
 あの目標に到達すると言って始めた政策ではありませんか。そこに到達できなければ失敗だというのが、世間の常識でしょう。

 22日公示の参院選を前に、関西プレスクラブ主催の政治討論会が大阪市内で開かれ、与野党9党の幹部が安倍政権の経済政策「アベノミクス」や憲法改正などをテーマに論戦を交わしました。この討論会には、今回の選挙から投票権を持つ18、19歳の若者も参加して各党幹部に質問をぶつけたそうです。
 そこで、自民党の稲田朋美政調会長は「アベノミクスは道半ばだが、着実に結果を出している」と強調したといいます。公明党の佐藤茂樹政調会長代理は「うまく進んでいるが、恩恵がまだ一部にとどまっている」と述べ、家計や地方経済への浸透が課題だと指摘しました。
 この自民・公明両党の幹部の発言には共通点があります。それは、アベノミクスはうまくいっているという点と、それにもかかわらず未だ目標には達していないという点です。

 これは6月1日の安倍首相の記者会見での発言と共通しています。消費増税の延期を表明した安倍首相はアベノミクスの失敗を認めず、世界経済の危機と消費腰折れのリスクを指摘して、消費増税を2019年の10月まで延期するという「新しい判断」を示しました。
 一昨年の11月18日にも安倍首相は消費増税の先送りを表明し、その是非を問うとして総選挙に打って出ました。その時に言明したはずです。
 「18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています。」

 このように「断言」していたのに、「再び延期」することになりました。それは、「3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる」という「決意」が、単なる「決意」にとどまり、「その経済状況をつくり出す」ことができなかったからです。
 この2014年11月18日の記者会見で、安倍首相は「18か月後」という期限を区切って、「景気判断条項を付すことなく確実に実施」することを「断言」していました。今回の再延期がこの「断言」に反することは、誰が見てもはっきりしています。
 つまり、安倍首相は国民に向かって大きな嘘をついたということになります。それがアベノミクスの失敗に基づくものであるのか、それ以外の「新しい判断」によるものであるかはともかく、記者会見まで開いて「断言」した約束を守ることができなかったのは国民の誰もが知っている事実であり、このような形で国民を欺いたことに対するトップリーダーとしての責任をどう考えるのかが、まず安倍首相に問われなければなりません。

 次に問われるべきは、「3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる」と述べていた点です。今回の再延期によって、「その経済状況をつくり出すことができ」なかったことも明らかになりました。
 先に紹介した関西プレスクラブ主催の政治討論会でも、自民党の稲田朋美政調会長は「アベノミクスは道半ば」と発言し、公明党の佐藤茂樹政調会長代理は「恩恵がまだ一部にとどまっている」と述べています。つまり、安倍さんが約束したような経済状況を実現できなかったことを認めたわけです。
 期限を区切って首相が「断言」した約束です。それが実現できなかったということは、「3本の矢をさらに前に進めること」に失敗したからではありませんか。

 安倍首相はアベノミクスによって消費増税は必ず実行できるようにすると「断言」していたのです。この「断言」を「新しい判断」によって訂正せざるを得なかったこと自体、アベノミクスの失敗を明示しています。
 「道半ば」や「恩恵がまだ一部にとどまっている」という弁解も、目標に到達できなかったことや恩恵が行き渡っていないことを認めたことにほかなりません。つまり、アベノミクスが成功しなかったということを白状しているようなものです。
 安倍首相は、2年前の記者会見で「信なくば立たず、国民の信頼と協力なくして政治は成り立ちません」と言い、今回の記者会見でも「信なくば立たず。国民の信頼と協力なくして、政治は成り立ちません」と全く同じことを言っています。しかし、その「信」を木っ端みじんに打ち砕いてしまったのは首相自身ではありませんか。

 「国民の信頼」を得るためには、最低限、事実を隠したり歪めたりしないということが前提でしょう。嘘をつかないのも、あまりにも当然のことです。
 しかし、安倍首相は、「隠し、歪める、嘘をつく」という政治手法を常用しています。これで「信なくば立たず」などと、よく言えたものです。
 しかも、嘘をつかれた国民の方もそのことに気が付かず、お咎めなしで見逃してしまうということを繰り返してきました。これでは、「騙される方も悪い」ということになるでしょう。

 嘘をついてもペナルティを課されず、言い抜けることが許されるところから政治への信頼が崩れていきます。安倍首相の詭弁と嘘が懲罰を受けることのない今の日本が、まさにそうなっています。
 このような形で政治への信頼が失われていくところから、この国の本当の危機が生ずるのではないでしょうか。今度の参院選を、アベノミクスの失敗への責任を問い、嘘をついたら罰せられるという当然の「道徳」を通用させる機会にしなければなりません。

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9月16日(水) 安倍暴走政治によって満身創痍に陥った日本 [首相]

 安倍暴走政治もここに極まれり、という段階を迎えたようです。国民の反対を無視して、今日の地方公聴会の後に特別委員会を開いて採決を強行しようとしています。
 この安倍暴走政治によって、日本の外交、安全保障、経済、社会はズタズタにされてきました。「安倍暴走政治を許さない」という声は戦争法案だけに向けられたものではなく、日本を満身創痍にしてしまった安倍首相の施政全体に向けられています。

 第1に、安倍首相は「戦後70年」という周辺諸国との和解のチャンスを棒に振ってしまいました。侵略戦争を反省し、その責任を明らかにして再び過ちを繰り返さない決意を示すことで中国や韓国など周辺諸国との和解と友好促進に役立ってこそ、「戦後70年談話」を出す意味があったはずです。
 ところが、安倍首相は村山談話を上書きして戦争責任を曖昧にするための機会としてこれを利用しようとしました。内外からの批判に押されてこれが難しくなってもなお、侵略戦争であることを曖昧にしたうえで自らの言葉で反省を語ることを回避しました。
 そのために、中途半端で欺瞞に満ちた談話となり、周辺諸国との和解や友好の促進に役立ち「日本周辺の安全保障環境」を好転させるようなものとはなりませんでした。結局、安倍首相は周辺諸国との関係を改善する能力を持たず、和解と友好にとっての最大の障害は首相自身であるということを、またもや証明したにすぎませんでした。

 第2に、安倍首相は戦争法案の提案と審議を通じて「平和国家」という日本のイメージをぶち壊しました。戦後の日本は戦争とは距離を置き、非軍事的な手段で平和の構築に努める姿勢は広く国際社会に認められてきました。
 そのために、「平和国家」としての日本のイメージは国際社会に定着し、それは日本のブランドとしてだけなく平和外交にとっての政治的資産として大きな役割を演じてきたはずです。戦後70年もかかってそのようなイメージを定着させてきた先人の努力を、安倍首相は踏みにじろうとしています。
 戦争法案が成立して「海外で戦争する」国になってしまえば、「平和国家」としてのイメージも戦争とは距離を置いてきたあり方も、大きな変容を迫られることになるでしょう。しかし、このような安倍政治の暴走に対して多くの国民が異議を申し立て、国会をとりまいて抗議する姿を国際社会に発信できたことはせめてもの救いでした。

 第3に、鳴り物入りの「アベノミクス」でしたが、安倍首相の経済対策は景気回復のカギである内需の拡大に失敗しました。確かに、異次元の金融緩和によって円安が誘導され株価は上がりましたが、儲けたのは一部の大企業と富裕層、それに外国人投資家だけです。
 大規模財政出動によっても景気は回復せず借金ばかりが膨らみ、財政赤字は1000兆円を超えています。大企業の内部留保は増えましたが、国民は景気回復を実感できず、家計消費は低迷したままです。
 日本経済の先行きは不透明で株価は乱高下を繰り返し、中国の経済危機に影響を受けた世界経済にも暗雲が漂い始めました。そこに直撃するのが消費税の10%への引き上げというわけですから、消費不況からの脱却どころかさらに不況が深刻なものとなることは確実です。

 第4に、安倍首相は労働者派遣法の改悪によって非正規化と雇用の不安定化を拡大しました。延長国会の最終盤、戦争法案をめぐる審議のドサクサに紛れて「生涯ハケン」を可能にするような改正労働者派遣法を成立させています。
 派遣という働き方は、これまでは「一時的・臨時的」なもので、業務の繁忙期に限った例外的な働き方だとされてきました。それが、常用労働者として継続的に雇用できるようになります。
 使う側からすれば、正社員をコストの安い派遣社員に置き換え、3年ごとに職場を変えて雇用し続けることが可能になりますが、働く側からすれば、正社員の地位が不安定になり、派遣社員としていつまでも働かされ、仕事を覚えたと思ったら3年で職場を変わらなければ働き続けられなくなります。雇用は不安定になり、働く条件は低下し、技能の習得や蓄積は困難になって、さらに貧困化や少子化が進むにちがいありません。

 第5に、安倍首相は国民の声に耳を閉ざして民主主義を破壊しました。戦争法案については国民の8割が説明不足だとし、首相自身も理解が進んでいないことを認めているのに、成立すればいつかは理解されるとして審議を終了させ、採決を強行しようとしています。
 問答無用の独裁的な政治運営だと言わなければなりません。唯我独尊の強権的手法は、安倍首相において特に際立っています。
 昨日の中央公聴会でシールズの奥田愛基さんが「この状況を作っているのは紛れもなく、現在の与党のみなさんです。つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安を感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声を上げ始めたのです」と語っていましたが、「民主主義の目覚まし時計」となったのは安倍政治による暴走そのものでした。これは日本社会に対する安倍首相の大きな「貢献」でしたが、首相自身にとっては最大の「誤算」だったでしょう。

 まだありますが、さし当りこれくらいにしておきます。政治に対する国民の目を開き、民主主義を活性化させた安倍暴走政治の「誤算」をもっと大きなものにするために、今日も国会前に行こうではありませんか。
 満身創痍となった日本を救うためには、戦争法案を阻止するだけではなく、安倍政権そのものを打倒しなければなりません。戦争法案審議の国会最終盤を、安倍政権を打倒する運動の序盤にしようではありませんか。
 昨日に引き続いて今日も、私は国会前での抗議の人々の波に加わるつもりです。「安倍暴走政治を許さない」ために……。

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9月15日(火) 安倍首相の暴走によって実証されたこれだけのこと [首相]

 昨日の国会包囲行動では、再び車道に人があふれ、大変な状況になったようです。「なったようです」というのは、私は現場に行っていなかったからです。
 しかし、その様子はユーチューブで分かります。このような形で現場の様子が分かるということが、この運動を広める有力な武器になっていると言えるでしょう。

 国会周辺は、まるで「祝祭」の場と化したように見ました。これから毎晩、同じような状況が生まれるにちがいありません。
 人々の怒りとエネルギーがほとばしっています。「強行採決絶対反対」「安倍はヤメロ」「安倍政権は直ちに退陣」「安倍晋三から日本を守れ」と……。
 私の言う「反響の法則」が、このような形で実証されたように思いました。権力が弾圧と暴虐を強めて暴走すればするほど、その「反響」は大きくなるという「法則」が……。

 実証されたのはそれだけではありません。安倍首相の経済・金融政策である「アベノミクス」は「アホノミクス」で、そのうち「ク」が取れて「アホノミス」になるだろうという予測も、次第に実証されつつあります。
 中国の株暴落に端を発した株価の乱高下が続いています。アメリカの金利引き上げや日本自身の金融緩和からの「出口」の先には、さらに大きな谷底が横たわっています。
 今年第2四半期のGDP成長率はマイナスで家計消費の赤字が続いているのに、再来年4月からは消費税が再び10%に引き上げられます。その際に導入されるはずだった「軽減税率」は「還付金詐欺」まがいのアホ政策に捻じ曲げられ、国民から総スカンを食っています。

 日本人母子の乗船は米艦防護の絶対的条件ではない、ホルムズ海峡の機雷除去についても現実的には想定していない、砂川判決は集団的自衛権はもとより個別的自衛権についても答えを出していないとする元判事のメモが見つかるなど、戦争法案の嘘と出鱈目についても余すところなく明白になりました。政府・与党は説明不能に陥り、自衛隊中枢の暴走についても国会終盤のドサクサに紛れてウヤムヤにしようとしています。
 戦前の軍部の独走を許した腰抜け政治家や官僚の過ちを再び繰り返そうというのでしょうか。戦争法案の背後にあった米軍と自衛隊の思惑と一体化を阻止するためにも、この法案の成立を許してはなりません。
 この法案は自衛隊員だけでなく国民のリスクも増大させると批判してきましたが、その批判も「イスラム国(IS)」が日本の在外公館などへの攻撃を呼びかけたことで実証されました。まさに、この法案は成立する前から「安倍の悪夢」の扉を開いたことになります。

 戦争法案が成立すれば税金の使い方が変わり、軍事費などが増えるに違いないと警告してきましたが、この警告も実証されようとしています。来年度予算の概算要求で防衛費は過去最大の5兆911億円とされ、米軍再編経費を含む要求額としては3年連続の増加で、15年度を366億円上回る規模になります。
 法案が成立して「海外で戦争する」ことが可能になれば、自衛隊の一部は日本の国外へと派遣されます。そのための装備や部隊が必要になり、国内の守りが手薄になることは明白ではありませんか。
 大地震や火山の噴火、それに豪雨や大水害など天災への備えはどうなるのでしょうか。防災など国内での「そこにある危機」にこそ手厚く備えるべき時に、海外へと自衛隊を送り出す余裕があるのでしょうか。

 「安倍はヤメロ」というコールには、このように破たんが明らかになってきている愚策の数々を直ちに止めなさいという国民の要求が含まれているように思います。そのためにも、首相を辞めて「直ちに退陣」せよというわけです。
 戦争法案に反対する運動は、安倍内閣に対する倒閣運動へと発展しつつあります。法案の採決や国会の会期とは異なって倒閣運動には期限がないということを、安倍首相はきちんと認識しているのでしょうか。
 今日から、私も国会前の人の波に加わるつもりです。「安倍晋三から日本を守る」ために……。

 なお、現在刊行中の岩波書店発行の雑誌『世界』10月号に、拙稿「自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか」が掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。

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8月15日(土) 「戦後70年談話」に示された安倍首相の誤算と意地 [首相]

 安倍首相からすれば、ずいぶん不本意な談話だったのではないでしょうか。この内容なら出さなければよかったと思っているかもしれませんが、かといって出すと言ってしまった以上、出さないわけにはいかなかったでしょう。
 いずれにしても、安倍首相にとっては誤算続きの談話発表になったようです。同時に、村山談話をそのまま維持したくないという意地を通し、内容を薄めて未来志向を盛り込んだために長くなり、、焦点の定まらない中途半端な談話になってしまいました。

 政府は昨日夕の臨時閣議で、戦後70年に関する安倍晋三首相談話を決定しました。首相はその後、官邸で記者会見してこの談話を発表しています。
 首相は談話で、先の大戦について「日本は進むべき進路を誤り、戦争への道を進んだ」と表明し、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」「植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と「侵略」「植民地支配」に言及しました。しかし、それは首相自身の言葉ではなく戦後日本の誓いとしての言及であり、首相自身が侵略をどう認識しているかについては触れず、韓国への「植民地支配」にも踏み込んでいません。
 また、「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と指摘し、「こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」と述べました。「痛切な反省と心からのお詫び」という言葉はありますが、その主語は「わが国」であり、「反省」と「お詫び」の対象は「先の大戦」とされ、それが侵略戦争であったかどうかについては曖昧にされています。

 このように、村山談話にあった「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」などの「キーワード」は今回の「安倍談話」にも含まれました。新しい談話を出して村山談話を上書きし、その内容を換骨奪胎しようと考えていた当初のもくろみからすれば大きな後退であり、安倍首相の周辺やネトウヨ的な支持者は挫折感を味わっていることでしょう。
 このような形で「安倍カラー」を抑制せざるを得なかったのは、首相にとっては大きな誤算だったにちがいありません。その結果、新たに談話を出した意味がほとんどなくなってしまったのですから……。
 当初、15日に出すとされていた談話の発表についても一日前の14日とし、閣議決定はしないつもりだったようです。それは、首相個人の思いを全面的に開陳して村山談話を覆すような新談話を発表したいと考えていたからです。

 しかし、周辺諸国などの警戒感や公明党の反対、安保法制審議への影響や反対運動の高まり、そして何よりも内閣支持率の急落によって、このような首相の思惑は頓挫することになりました。周辺諸国に喧嘩を吹っ掛けるようなひどい談話にさせず、首相の誤算を招いたのは内外の世論の力です。
 安倍政権の暴走に対する反対運動の高揚が生み出した大きな成果でした。新国立競技場建設計画の見直し、沖縄での新基地建設工事の一時中断、そして今回の「70年談話」と、安倍首相は世論に押されて譲歩せざるを得なかったのですから……。
 今回もまた、民意の力がいかに大きなものであるかが示されたと言えるでしょう。これに続いて「戦争法案」についても民意の力で押し返し、廃案に追い込むという第4の成果を上げたいものです。

 とはいえ、今回の談話でも安倍首相はそれなりの「意地」を示しました。「侵略」「植民地支配」などの言葉はあっても、それを首相自身の歴史認識として示すことは巧妙に回避し、「反省」と「おわび」についても「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」として自ら「おわび」する形にはせず、将来の日本人に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」との表現も組み込んでいます。
 中国への配慮を随所に盛り込んでいますが、韓国への言及はほとんどありません。従軍慰安婦という言葉はなく被害女性の人権侵害についても、日本が行った犯罪行為としてではなく戦時下における一般的な問題として言及されているだけです。
 また、村山談話にあった「植民地支配と侵略によって、アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えた」という部分は引用しませんでした。「植民地支配」も「永遠に決別」と位置付けました」が、韓国への「植民地支配」には踏み込んでいません。


 戦後50年に当たって談話を発表した村山元首相は、この安倍談話について「何のためにおわびの言葉を使ったのか、矮小(わいしょう)化されて不明確になった。植民地支配や侵略などの言葉をできるだけ薄めたものだ」と批判しました。村山談話が継承されたという認識は「ない」とし、「長々と言葉に配慮し、苦労して作った文章だというのが第一印象。しかし最後は焦点がぼけ、何を言いたかったかさっぱり分からない」と述べています。
 また、安倍談話が「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とした点については「(政府の姿勢を)はっきりさせれば謝る必要はない。安倍首相が最初から(村山談話を)継承すると言えば、それで済んだ。本来なら談話を出す必要はなかった」と反論しました。
 これまで謝罪を繰り返さざるを得なかったのは、安倍首相やその周辺の政治家のように、それを否定して加害責任を曖昧にしようとする言動が繰り返され、誤解を招いてきたからです。今回の安倍談話についてもきっぱりとした反省と謝罪とは言えず、中国や韓国がどう反応するかが注目されます。

 未来志向と言うのであれば、過去の問題を解決することを避けてはなりません。自らが犯した過ちをはっきりと認め過去の罪を償うことからしか、新たな未来は生まれてこないのですから……。

 なお、本日から新潟の実家に帰省します。東京を留守にしている間、このブ ログをお休みしますので、ご了承いただければ幸いです。

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5月30日(土) 暴走をストップさせるには運転手を放り出して乗客自らブレーキを踏むしかない [首相]

 自分の身体は満身創痍なのに、その治療もせずに火遊びに興じ、頼まれもしないのに火中の栗を拾おうとしている。それが今の日本であり、安倍政権でしょう。

 鹿児島県屋久島町の口永良部島(くちのえらぶじま)の新岳(しんだけ)で爆発的噴火があり、住民全員が島外に避難しました。昨年の御嶽山の噴火、今年の箱根・大涌谷での火山活動の活発化に次ぐ自然の猛威です。
 日本は自然災害の多い国です。国民の生命と生活が危険にさらされる本当の脅威は、実はこのようなところにあるのではないでしょうか。
 本来、政治が対応しなければならない「そこにある危機」を忘れ、災害対策を後回しにして原発の再稼動をめざし、自衛隊の海外派兵実現のために執念を燃やしているのが、今の安倍政権です。相次ぐ火山の噴火は、このような政治のあり方に対して警鐘を鳴らし、本来のあるべき姿を取り戻すように警告しているのかもしれません。

 それでなくとも、日本は満身創痍になっています。安倍首相は通常国会の施政方針演説で「改革」という言葉を36回も繰り返しました。
 それほどに、変える必要があるということなのです。このまままでは立ち行かないところに至っており、日本の政治も社会もズタズタになってきているということを意味しています。
 満身創痍となったのは長い間続いてきた自民党政治の結果にほかなりません。その治癒を託された民主党政権の治療の失敗の結果でもあります。

 民主党に政治の変革を託したものの、あまりの「藪医者」ぶりに失望した国民は再び自民党に政権を戻しました。もう一度チャンスをやろうというわけです。
 しかし、自民党ももはや政権を運営するだけの力を持たないことが明らかになりました。政策能力と国民統合能力が枯渇してしまっているからです。
 個々の政策課題ではなに一つ国民に支持される政策を打ち出せず、逆に自民党や官僚有力者のOBからさえ懸念と反発を高めるような外交・安保政策にこだわっているのが安倍政権です。かつてのキャッチオールパーティーとしての姿は失われ、一部の極右勢力の顔色をうかがうネオ・ファシスト政党となり、麻生さんの言っていたように「ナチスの手口」に学んで「お試し改憲」などとふざけた口実で「日本版授権法」である緊急事態条項を憲法に書き込もうとしています。

 地方の経済的・社会的衰退は目を覆うばかりで自治体消滅の危機が生じています。安倍政権もこれを無視できず「地方創生」を掲げていますが、それならどうして農家経営を困難にするTPPへの参加、JA(農協)の弱体化や農村の荒廃を生み出す農業改革を強行しようとするのでしょうか。
 子どもを産んで育てる環境が急速に悪化し、少子化も深刻になってきています。これに対しても安倍政権は女性の活躍推進を打ち出していますが、それならどうして労働環境を悪化させるような「生涯ハケン法案」や「残業代ゼロ法案」を出したりするのでしょうか。
 このような地方の荒廃や少子化という大きな社会問題こそ自民党による失政の最たるものですが、自民党にはもはやそれを解決する力がありません。日本を「世界で一番企業が活躍しやすい国にする」と言っている限り、このような問題の効果的な解決策を提起できるはずがないのです。

 安倍政権は満身創痍となっている日本を治療する能力がないばかりか、治療そのものを放棄して政治のエネルギーを無駄遣いしています。憲法が禁止している危険な火遊びに熱中し、頼まれてもいない火中の栗を拾おうとしているからです。
 日本と世界の平和と安全を名目にしていますが、「平和安全法制」の整備によって日本も世界も「平和」を実現できず「安全」にもならないことは、その後を追おうとしているアメリカの経験がはっきりと示しています。
 アメリカは国際社会の平和を掲げてベトナム戦争やアフガン・イラク戦争に軍を派遣しましたが、平和が実現したでしょうか。世界と自国は安全になったでしょうか。

 世界の紛争解決において、日本は独自の役割を果たしてきました。紛争地の戦力引き離しや停戦監視を行ってきた伊勢崎賢治さんは、日本に必要なのは非軍事的な国際貢献だと言っています。
 今こそ必要で平和構築に効果的な施策を放棄し、全く不必要で逆効果となるような施策を採用しようとしているのが、「平安法」という看板の影で「戦争法制」を整備しようとしている安倍政権にほかなりません。外交・安全政策においても、もはや解決能力を失っていることの表れだというべきでしょう。
 やるべきことをやらずに、やってはならないことをやっている典型が、今日の安倍政権の姿です。危険な火遊びを直ちにやめて、民意が求めている政治に復帰することが必要ですが、それは安倍首相の最も不得意とするところです。

 このような人には辞めてもらうしかありません。暴走をストップさせるには、運転席から放り出して乗客自らブレーキを踏むしかないのです。

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5月21日(木) 問題は、安倍首相が「間違った戦争」だと認めなかったことにある [首相]

 党首討論での志位共産党委員長の質問に対する安倍首相の答弁が話題を呼んでいます。「ポツダム宣言」を読んでいなかったかのような答弁をしたからです。
 日本の首相が、その国の戦後体制の基礎になった最重要文書を読んでいなかったということが明らかになり、しかも、その「戦後レジーム」からの脱却を唱えていた当人が「まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」と答えたのですから、多方面から批判を浴び、顰蹙を買ったのも当然だと言えるでしょう。

 しかし、問題の本質は「その部分をつまびらかに読んでおりません」というところにあるのではありません。こう答えることによって、志位委員長が質問した「ポツダム宣言は、日本の戦争について、第6項と第8項の2つの項で、『間違った戦争』だという認識を明確に示しています。総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないのですか?端的にお答えください」という質問をはぐらかし、それへの回答を拒んだというところに最大の問題があります。
 読んでいたかどうかは問題ではないのです。この時、志位委員長は「その部分」を読み上げて質問していたのですから、読んでいなくても「その部分」の内容は分かったはずですから……。
 それにもかかわらず、安倍晋三首相は「ま、この、ポツダム宣言をですね、我々は受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。そして今、え~、私もつまびらかに承知をしているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、たとえば日本が世界征服をたくらんでいたと言うこと等も、今ご紹介になられました。私は、まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、今ここで直ちに、それに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさに、先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけありまして、我々はそのことは忘れてはならないと、このように思っております」と述べて、「端的に」答えることを回避しました。ここに、最も批判されるべき最大の問題があります。

 ここで注目すべきは、「何だ、ポツダム宣言すら読んでいないのか」と馬鹿にされたり批判されたりすることよりも、「今ここで直ちに、それに対して論評することは差し控えたい」と答えることの方が、安倍首相にとっては重要だったという事実です。まともに答えず、のらりくらりと言い逃れることの方を優先したというわけです。
 安倍首相にとっては、馬鹿にされることよりも「間違った戦争」だと答えることの方が、ずっと辛かったということなのでしょう。そのような回答を避けるためには、「ポツダム宣言も読んでいないのか」という嘲りさえも、安倍首相にとっては甘受すべきものだったということになります。
 それほどに、安倍首相は「間違った戦争」だったと認めたくないということなのです。この点にこそ、党首討論でのやり取りが示している本質があり、安倍首相の歴史認識が持っている問題点が集約されているということになります。

 この一連の経過を通じて、「私は、まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」と言って「論評すること」を拒んだ当該箇所についても、安倍首相は十分に知ることになったにちがいありません。今度は、ちゃんとポツダム宣言を読んだことでしょう。
 どなたでも結構です。今後の国会審議で、もう一度、質問していただきたいものです。
 「ポツダム宣言は、日本の戦争について、第6項と第8項の2つの項で、『間違った戦争』だという認識を明確に示しています。総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないのですか?端的にお答えください」と……。

 安倍首相はもう、「私は、まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」などと言って逃げることは許されません。「間違った戦争」だったことを認めるのか否か、真正面から「端的に」答えるべきです。

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5月2日(土) ジャカルタと米議会での安倍演説で明らかになった「70年談話」での騙しのテクニック [首相]

 安倍首相は4月29日、日本の首相として初めて米議会上下両院合同会議で演説(米議会演説)しました。これより前、4月22日にインドネシアのジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議に出席したときにも演説(ジャカルタ演説)しています。
 この2回の演説は、夏に発表される予定の「戦後70年談話」の内容を先取りするものとして注目されていました。この二つの演説で、「70年談話」で安倍首相が駆使しようとしている騙しのテクニックの骨格が明らかになりました。

 その第1は、村山談話や小泉談話に用いられていた「侵略戦争」という用語を回避し、これに代わるものとして「先の大戦」という言い方をしていることです。もちろん、侵略戦争によって可能とされた植民地支配には全く言及せず、知らん顔をしています。
 この点について、ジャカルタ演説では「“侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。”“国際紛争は平和的手段によって解決する。”バンドンで確認されたこの原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓いました」と述べています。「侵略」という言葉はありますが、それはバンドン会議の原則への言及として、にすぎません。
 米議会演説でも「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」と述べています。「先の大戦」という言い方が用いられている点は全く同じです。

 第2に、「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」を認める場合でも、その「苦しみ」が侵略戦争や植民地支配によって与えられたことを曖昧にしています。米議会演説では、「みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません」としてジャカルタ演説よりも踏み込んでいました。
 これは米議会内に「安倍首相は歴史修正主義ではないのか」という懸念があることへの配慮でしょう。しかし、その場合でも、主語は「みずからの行いが」という抽象的な言い方にとどまり、どのような「行いが……苦しみを与えた」のか、という点については口をつぐんでいます。
 これと好対照なのが、アメリカとの戦争です。日米戦争については、「真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…」と数々の激戦地を列挙し、「メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます」と「深い悔悟」の意を重ねて表明しています。このとき、アジア「の若者の、失われた夢、未来を思」うことは、なかったのでしょうか。

 第3に、このような「先の大戦」への「反省」の主体を、日本や戦後日本としている点です。反省しているのは日本や戦後日本であって、安倍首相本人ではありません。
 米議会演説では、「先の大戦の深い反省」の主語は「日本」となっています。同様に、 ジャカルタ演説でも「痛切な反省」の主語は「戦後の日本」となっていました。
 「反省だけならサルにもできる」と言われますが、安倍首相にはできないということでしょう。「反省」という言葉は口にするものの、それに対する自らの責任は巧妙に回避するという卑怯極まりないテクニックが用いられているということになります。

 第4に、従軍慰安婦については口をつぐむか、女性の人権侵害として一般的な問題に解消するというやり方をとっています。前者がジャカルタ演説であり、後者が米議会演説です。
 いずれの場合にも、「従軍慰安婦」という言葉は出てきません。間接的に言及したとされている米議会演説では、「紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません」として、今日の国際紛争との関連における女性の人権問題として言及されています。
 これは過去の歴史問題についての発言ではありません。もし、この問題がり上げられる場合でも、河野談話の継承という形で逃げを打つか、「人身売買の犠牲者」として日本国家や軍の責任を曖昧にするか、どちらかでしょう。

 以上をまとめれば、「70年談話」で「先の大戦への反省」は示しても、その「大戦」が侵略戦争であったことは認めず、「反省」は首相自らのものであることを曖昧にしようとするでしょう。植民地支配や心からのお詫びには口をつぐみ、従軍慰安婦について明言することを避け、戦時下における女性の人権問題一般あるいは人身売買の犠牲者として言及するにとどめるのではないでしょうか。
 それで、日本国民はもとより国際社会の理解が得られるでしょうか。とりわけ、中国や韓国が、そのような姑息なテクニックによって騙されるとは思えません。

 そもそも、戦後70年に当たって談話を出すことの意味はどこにあるのでしょうか。いったい何のために談話を出すのか、和解と仲直りのためなのか、それとも対立し喧嘩するためなのか。
 談話を出すのは周辺諸国と和解し関係を改善するためであって、対立し緊張を高めるためではないはずです。そのことさえ理解していれば、姑息な手練手管などは必要ないはずなのですが……。

拙著『対決 安倍政権―暴走阻止のために』(学習の友社、定価1300円+税)刊行中。
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3月25日(水) 安倍首相が口にした「我が軍」という言葉はどのような意味を持っていたのか [首相]

 心の内が、ポロリと表に出てしまったということでしょう。普段からそう考えているから、何気ない答弁で言葉になってしまうのです。

 安倍晋三首相は20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練について説明するなかで自衛隊を「我が軍」と述べました。維新の党の真山勇一氏が訓練の目的を尋ねたのに対し、首相は「我が軍の透明性を上げていくことにおいては、大きな成果を上げている」と語り、大きな問題になっています。
 これが何故、問題になるのかといえば、政府の公式見解では、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としているからです。憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めていますから、「軍」を保持することは憲法違反になります。
 事実、安倍首相自身も、2006年の第1次安倍内閣の答弁書(06年12月1日付)では、自衛隊は「通常の観念で考えられる軍隊とは異なるもの」で、憲法9条第2項で「保持することが禁止されている『陸海空軍その他の戦力』には当たらない」と答えていました。

 それを、今回の答弁では「我が軍」と述べて、自衛隊を「軍」として認識していることが明らかになったわけです。これに対して、民主党の細野豪志政調会長は24日の記者会見で、「これまで自衛隊という形で憲法の枠組みの中で積み上げた議論を、全部ひっくり返すような話を総理がおっしゃるということについては非常に理解に苦しむ。(新しい安全保障法制をめぐる)与党合意ができたということで前のめりになっておられるのかもしれないが、この問題については時間をかけてしっかりと国会でやることが極めて重要だ。私は安全保障については現実的な対応を、という考え方だが、私の目から見ても非常に懸念される状況なので、より民主党の役割は大きくなってきている」と発言しています。
 このような発言をするのは当然でしょう。「現実的な対応を」と考えている細野さん「の目から見ても非常に懸念される状況」であることが、首相自身の口から明らかになったのですから……。

 しかし、安倍首相が「これまで自衛隊という形で憲法の枠組みの中で積み上げた議論を、全部ひっくり返すような話」をするのは、今回が初めてではありません。すでのに、2013年2月1日の参院本会議で、「自衛隊は国内では軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として扱われています。このような矛盾を実態に合わせて解消することが必要と考えます」と答弁していました。
 また、自民党が2012年4月に発表した憲法改正草案には「国防軍」の創設が盛り込まれています。これも、「矛盾を実態に合わせて解消する」ためのものでしょう。
 これまで、「戦力」としての軍隊は保有できないけれども、憲法は自衛権を認めているので、「国際紛争を解決する手段としては」放棄しても「自衛」のためなら許されるとし、その「必要最小限度」を越えない実力組織であれば保有は許されるという解釈の下に、自衛隊が発足し、保持され、増強されてきました。その結果、「国際法上は軍隊として扱われる」ほどの「戦力」にまで成長し、その結果生じた「矛盾」を「実態に合わせて解消する」ために、自衛隊を通常の軍隊と位置付けるために、「実体」の方ではなく「憲法」に法を変えようというのが、安倍首相が考えている改憲方針だということになります。

 これまで国民を欺いてきた結果、憲法の枠に実態が合わなくなり、自衛隊は「軍」になってしまいました。本来であれば、憲法の趣旨によってそれを是正するというのが、あるべき姿でしょう。
 それを、実態がこうなってしまったから、憲法の方を変えるというわけです。これでは憲法の持っている規範性が失われてしまいます。
 国民を欺き憲法に違反して実態を変え、今度は、その実態に合わせて憲法の方を変えてしまおうというのですから……。

 自衛隊は通常の軍隊ではないから憲法違反ではないというのが、これまでの政府の説明でした。安倍首相も第1次内閣では、そう答弁していたのです。しかし、このような偽りの答弁で取り繕うことができないほどに、自衛隊の「実力」は増強され、世界でも有数の軍隊としての「実態」を持つようになってしまいました。
 このような「実態」を踏まえて、力を弱めてきたアメリカから、もっと能動的で積極的な役割を果たし、軍事分担を引き受けるように強く要求されるようになりました。それに応えるためには、これまでの枠を外し、憲法の制約を踏み越える必要が出てきたというわけです。
 日本の安全と関係あろうがなかろうが普通の軍隊として米軍などと協力できるようにするための方策が集団的自衛権の行使容認であり、9条改憲なのです。そのような方向を目指して与党協議会で公明党を抱き込むことに成功し、いよいよ国会に法案を出してそれが実現できると思い込んだ安倍首相が、思わずポロリと言ってしまった言葉が「我が軍」でした。

 集団的自衛権の行使を容認するための新3要件の最初には、「我が国と密接な関係にある他国が攻撃されたとき」とありますが、ここには「軍」という言葉が隠されています。実際に自衛隊が守るのは、「他国」ではなく「他国(軍)」であり、その主たる対象は米軍です。
 集団的自衛権の行使容認と9条改憲が目指しているのは、自衛隊を普通の軍隊として認知し、いつでもどこでも米軍との共同作戦を可能にすることなのです。今回、思わず安倍首相が口にした「我が軍」という言葉は、はしなくもこのような思惑の一端を表面化させる失言だったということになります。

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3月17日(火) 「戦後70年談話」をめぐって形成されつつある安倍包囲網 [首相]

 安倍首相にとっては頭の痛い問題になりつつあるのではないでしょうか。「戦後70年」
に当たって発表するとしている談話です。

 これについては、当初、新しい談話を出すことによって村山談話を換骨奪胎することを狙っていたようです。萩生田光一自民党総裁特別補佐が明らかにしていたように、新談話によって「上書き効果」を生じさせ、事実上、村山談話の内容を修正することが目指されていました。
 しかし、ここにきて次第に様子が変わってきたように見えます。「戦後70年談話」をめぐって、安倍首相の目論みを許さない方向での包囲網が次第に形成されつつあると言って良いのではないでしょうか。
 安倍首相の大きな誤算は、「戦後70年談話」が思いのほか国際的な注目を浴びるようになってしまったということにあります。それは、「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」と言い続け、「部分的には引き継がない」ことを示唆してきた安倍首相本人がもたらした結果でもあるのですが……。

 すでに今年の初めにアメリカからのジャブが繰り出され、アメリカ政府がこの問題に大きな関心を抱いている事実が明らかになりました。サキ報道官が1月5日の記者会見で「村山談話、河野談話が示した謝罪は、日本が近隣諸国との関係改善に努力をする中で重要な一章を刻んだというのがわれわれの見方だ」と強調し、村山談話や河野談話を踏襲するようクギを刺したからです。
 これに対して安倍首相は、「先の大戦への反省、そして戦後の平和国家としての歩み、そして今後、日本としてアジア太平洋地域や世界のために、さらにどのような貢献を果たしていくのか。世界に発信できるようなものを、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく考えであります」と述べ、「大戦への反省」を口にせざるを得なくなりました。この発言を受けて、サキ報道官も「(安倍氏の発言は)歴史問題と戦後日本の平和への貢献に前向きなメッセージを含んでおり、歓迎する」と発言しました。
 このサキ報道官の発言について前日の発言を「訂正」したという報道がありましたが、それは「訂正」ではなく、首相の釈明を「歓迎」するものだったのです。これによって、少なくとも安倍首相は「戦後70年談話」で「先の大戦への反省」に言及することを約束した形になりました。

 その後、首相談話に関する政府の有識者会議「21世紀構想懇談会」が発足しました。その座長代理を務める北岡伸一国際大学長は3月9日、東京都内で開かれた国際シンポジウムのパネル討論で、先の大戦に言及して「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と述べています。
 安倍首相はこれまで、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」として、「先の大戦」が侵略戦争であったかどうかについて、あいまいな発言を繰り返してきました。これに対して、北岡さんは「侵略戦争」であったことをはっきりさせるべきだとクギを刺した形になります。
 この発言が有識者会議の答申にどう生かされるかは分かりません。しかし、集団的自衛権行使容認に向けての露払い役を務めた北岡座長代理でさえ、「侵略」であった事実を認め、それを明言することを求めた事実は重要でしょう。

 さらに、先日訪日したドイツのメルケル首相も歴史認識に触れ、「過去の総括は、和解をするための前提になっている。和解の仕事があったからこそ、EUを作ることができた」と、地域の安定には自国の「過去の総括」が必要だという見方を示しました。また、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか、との質問には、「隣国が寛大でなければ和解は実現しないものだったが、ドイツが真摯に歴史に向き合おうとしたことが重要だった」と述べ、周辺国と和解した経緯を紹介しています。
 和解のための努力が必要だということ、その前提は「過去の総括」であり、そのためには「真摯に歴史に向き合おうとする」ことが重要だというのが、メルケル首相から安倍首相に対する忠告でした。この報道に接して、以前、ポーランドのワルシャワ郊外でユダヤ人を強制的に隔離したゲットーの跡地を訪れた時のことを思い出しました。
 ここには、西ドイツ時代のブラント首相が訪問して慰霊碑にひざまずき花輪をささげている姿を刻んだレリーフが残されていたのです。日本の首相で、かつての植民地支配や侵略戦争での残虐行為に対して、このような明確な行動によって謝罪した人が一人でもいたでしょうか。

 逆に安倍首相は、過去の「談話」という形での謝罪でさえ、その効果を曖昧にし失わせようとしています。それは、これまでの和解のための努力を無にしてしまう愚かな行為であるということが分かっているのでしょうか。
 メルケル首相の言うように、「戦後70年談話」の前提は「過去の総括」であり、そのためには「真摯に歴史に向き合おうとする」ことが必要です。「戦後70年談話」をめぐっては、このような形で国際的にも包囲網が形成されつつありますが、それによって安倍首相は自縄自縛に陥ってしまったのではないでしょうか。

拙著『対決 安倍政権―暴走阻止のために』(学習の友社、定価1300円+税)刊行中。
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