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7月5日(日) 「軍事分担」ではなく「敵を少なくする」ことでしか平和は維持できない [戦争立法]

 今日の『朝日新聞』に、注目すべき書評が掲載されていました。作家の島田雅彦法政大学教授が書いたもので、イアン・J・ビッカートン著『勝者なき戦争―世界戦争の200年』という本を取り上げています。
 「後引く犠牲と損害 勝敗とは?」という見出しの書評です。ここで、島田さんは次のように書かれています。

 「本書はここ二百年のあいだに起きた戦争がもたらした結果に公正な歴史的評価を下そうとしているが、その結論は歴史上のどんな戦争も、得られる利益より失う犠牲の方が大きいということである。多くの場合戦勝国の損害も甚大であり、歳月の経過とともに勝利や敗北の意味は薄れるどころか、逆転しさえもする。」

 ぜひ、安倍首相に呼んでいただきたい本だということになります。「歴史上のどんな戦争も、得られる利益より失う犠牲の方が大きい」というのですから、そこから得られる教訓ははっきりしています。
 いかなる理由があっても、戦争をしてはならないということです。「積極的平和主義」に基づいて行われる戦争であっても「犠牲の方が大きい」のであり、たとえ勝利しても、その意味は「逆転しさえもする」のですから……。
 これに続いて、島田さんは次のように指摘しています。

「アメリカが矛盾だらけの中東軍事介入を行い、実質、タリバンやISなどのテロリスト集団を育成する結果となった今日、戦争は国家間の武力衝突から、テロやサイバー攻撃、経済戦争の形で日常に潜在するものになった。戦争で勝利した国も平和維持のための軍事分担によって滅びたという世界史の法則を顧みれば、どんな国家も極力敵を少なくすることでしか平和を維持できないことは自明である。」

 ここに、「戦争法制」をめぐる国民の疑問に対する明確な答えがあります。アメリカのように「海外で戦争する国」になることは、日本の安全を高めることにも、世界の平和を維持することにもならないということです。
 「平和維持のための軍事分担」ではなく、「極力敵を少なくする」ための努力でしか、「平和を維持できないことは自明」なのです。そして、これはこれまでの日本のやり方であり、憲法9条が指し示す「平和国家」としての道なのです。
 第2次世界大戦で勝利したアメリカも「平和維持のための軍事分担によって滅び」つつあります。だからということで、日本が肩代わりやお手伝いという形での「軍事分担」を行えば、日本も「平和維持のための軍事分担によって滅びたという世界史の法則」を実証するだけでしょう。

 今日の『朝日新聞』にはもう一つ、緊急発進(スクランブル)についての記事が掲載されています。これについて、私は6月27日付のブログ「『当たり前の事実を置き去りにして』自己の主張を正当化しているのはどちらか」で取り上げています。
 そこでは、「半世紀近く前の水準にまで低下したスクランブルの回数と近年になってから急増した回数を比べて、『7倍』だと危機感をあおっていたこと」を指摘しました。最低に近くなった時の数字と最高に近くなった時の推移路を比べて「7倍」だと危機感を煽っていたわけです。
 そして、次のように書きました。最近10年では「80年代に比べれば、スクランブルの回数は平均して半減していた」ことを明らかにし、「この回数が日本周辺における安全保障環境の変化を示すとすれば、それは悪化していたのではなく改善していたことを意味します。したがって、集団的自衛権の行使容認など憲法解釈の幅を広げる根拠は存在していません」と……。

 今日の『朝日新聞』の2面に、「緊急発進(スクランブル)回数の推移」というグラフが出ていますので、ご覧いただきたいと思います。一見して、80年代における回数が極端に多く、前世紀末から今世紀初めにかけて急減し、最近になってから急増していることが分かります。
 最近の急増は、ここ数年のことです。原因ははっきりしています。
 尖閣諸島の領有権問題や安倍首相の歴史認識、靖国神社参拝などをめぐる日中間の対立の激化です。それは石原慎太郎元都知事の挑発や安倍首相の政権復帰によるものであり、この2人こそ日中間の緊張を高めた元凶にほかなりません。

 この原因を除去することこそ、日本周辺の安全保障環境を改善する早道です。「戦争法制」の整備などは必要ないばかりか、完全な逆効果となることでしょう。
 安倍首相は中国を挑発して緊張を激化させ、持論の「積極的平和主義」の法制化と念願の改憲実現を図ろうとしているだけです。「極力敵を少なくする」ことなどは考えていません。
 日本の防衛についても、まじめに考えていないのではないかと思います。日本の周りが危なくなっているというのに、わざわざ防衛範囲を広げて、公海上での米艦防護、南シナ海での共同監視、マラッカ海峡での機雷封鎖解除、中東地域など海外での「後方支援」、国連平和維持活動(PKO)での治安維持など、日本防衛以外の自衛隊の活動の拡大を図ろうとしているなど、自衛力が手薄になることばかり打ち出されているからです。

 ここに、大きな論理矛盾があります。周辺の緊張増大を理由にして、周辺以外での軍事的関与の拡大を正当化するという矛盾が……。
 個別的自衛権と集団的自衛権の関係についても論理的な矛盾は明らかです。日本への攻撃着手の一環としての米艦への攻撃なら個別的自衛権によって防護できますし、攻撃着手の一環とは言えない米艦への攻撃は「存立危機事態」に当たるとは言えませんから集団的自衛権によっても防護できないという矛盾が……。
 これはもともと「新3要件」にはらまれている根本的な矛盾でした。日本の存立を脅かす「存立危機事態」でなければ集団的自衛権は行使できず、そのような事態が事実上の攻撃着手に当たり、「武力攻撃予測事態」ないしは「武力攻撃切迫事態」に該当するのであれば個別的自衛権での反撃が可能になり、集団的自衛権の行使は必要なくなるという矛盾が……。

 ここでもう一度、島田さんの指摘を思い出していただきたいものです。「戦争で勝利した国も平和維持のための軍事分担によって滅びたという世界史の法則を顧みれば、どんな国家も極力敵を少なくすることでしか平和を維持できないことは自明である」という指摘を……。
 インチキな論証と破たんした論理を掲げて「軍事分担」を引き受けるのではなく、「極力敵を少なくする」9条の道を歩むことこそ、「世界史の法則」を踏まえた路線選択にほかなりません。安倍首相が進もうとしている道は、「平和維持のための軍事分担によって滅びた」もう一つの例を世界史に付け加えるだけにすぎないのではないでしょうか。

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7月4日(土) 安倍首相が使ったイラストパネルはもともとデタラメだ [戦争立法]

 集団的自衛権の行使をめぐって新たなデタラメが明らかになりました。朝鮮有事に対して、個別的か集団的か、どちらの自衛権を行使するのか、基準が曖昧だというわけです。

 この問題は昨日の安保法制特別委員会での質疑で取り上げられました。日本を守る米軍艦への攻撃が発生した場合、その防護は個別的自衛権で対処できるのではないかというのが、野党の側の質問です。
 これに対して安倍首相は、「(相手国が)次に日本を攻撃する」と言っている場合には日本への攻撃着手として個別的自衛権で対処できるが、「東京を火の海にする」と言っている状況では集団的自衛権の存立危機事態に該当すると説明しました。この両者の違いはあいまいで、かつて石破防衛庁長官は個別的自衛権発動の条件として「東京を火の海にしてやる」として攻撃に着手した場合を挙げていたというのです。
 何も言わずに攻撃してきた場合はどうなのかと聞きたくなりますが、それはともかく、「火の海にする」と言って攻撃してきた場合、どちらの自衛権を行使するのか、基準が曖昧だというのはその通りでしょう。そもそも、「個別的自衛権」で言うところの「武力攻撃切迫事態」と「集団的自衛権」で言うところの「存立危機事態」の区別は曖昧で、おまけに「重要影響事態」というものまであります。

 今回の「戦争法制」で想定される「事態」には、このほかに「武力攻撃事態」「武力攻撃予測事態」「国際平和共同対処事態」が掲げられています。まさに、「事態」のオンパレードですが、概念がはっきりしているのは日本が攻撃された場合の「武力攻撃事態」と、多国籍軍などを支援する「国際平和共同対処事態」で、あとは区別が曖昧です。
 それぞれの概念がどう違うのか、どのような場合がそれぞれの「事態」に該当するのか。ぜひ国会での質問によって明らかにしてもらいたいものです。
 そもそも、「東京を火の海にする」ことは日本を攻撃せずには不可能なのですから、日本への攻撃が予測され、切迫していることを意味しています。従来の個別的自衛権に基づく「武力攻撃事態法」で対処できると考えるのが普通でしょう。

 この問題に関連して、民主党の後藤祐一議員は安倍首相が集団的自衛権行使容認の閣議決定後の記者会見で使った「赤ちゃんを抱いた母親」のイラスト入りパネルを取り上げ、「昨年7月の記者会見のパネルは間違いだったのではないか」と指摘しました。このパネルは集団的自衛権の必要性を訴えるため、首相の肝いりでつくられたものです。
 日本周辺で武力衝突が起き、避難のために乳児と母親が米輸送艦に乗艦し、輸送艦への攻撃の恐れがあり、米国が日本に輸送艦の防護を要請した場合の様子が描かれていました。首相は「(輸送艦への攻撃は)わが国自身への攻撃ではないが、日本人の命を守るため自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定だ」と力説したものです。
 ところが、政府は特別委で、輸送艦への攻撃の恐れがあるだけでは日本は集団的自衛権を行使できないと説明しています。横畠裕介内閣法制局長官はパネルについて「攻撃国の言動により、わが国にも武力攻撃が行われかねない状況だということが前提の事例だ」と述べ、集団的自衛権行使の条件となる新3要件が満たされていることが前提だと述べました。
 こうした前提がパネルに明示されていなかった点を批判する後藤さんに対し、首相は「パネルに全部書き込んだら(絵が)見えなくなってしまう」「ミスリードでも何でもない」などと反論し、攻撃国が、ミサイル、工作員を運ぶ潜水艇、特殊作戦部隊などを保有し、「わが国に武力攻撃が行われかねない」と認定でき、新3要件に合致すれば、日本人を輸送中の米艦防護は可能になると弁解しました。しかし、このイラストパネルには、ここで指摘された以外にも大きな問題があります。

 第1に、本来、邦人の避難は半島有事の可能性が生じた場合、直ちに実施されるべきものです。米艦による邦人の輸送は、あったとしても逃げ遅れた場合の緊急避難として例外的なものにすぎません。
 真っ先に避難させられるべき「赤ちゃんを抱いた母親」が逃げ遅れて米艦に緊急避難するなどということがあってはなりません。そのような避難計画の失敗をあらかじめ想定しているというのが、あのイラストパネルの図の意味です。
 このような図を元に論ずるということは、邦人避難計画の失敗を前提にしているということになります。邦人避難に責任を負うべき政府の立場として、そのようなことが許されるのでしょうか。

 第2に、逃げ遅れた避難民が米輸送艦に乗艦するということは、避難のための他の手段が存在しないということを意味しています。そうなる前に、政府はチャーター機などを派遣して救出するのが当然でしょう。
 しかし、イラストパネルに「赤ちゃんを抱いた母親」の図が描かれているということは、初めからそのような努力を行わないと言っているに等しいことになります。政府がチャーター機などを派遣せず見捨てるということなのであり、だからこそ米艦に輸送を頼む必要性が生ずるということなのですから……。
 そのようなことを前提に、邦人避難の問題を論ずることが許されるのでしょうか。それは政府としての責任の放棄に等しいのではないでしょうか。

 第3に、米国の輸送艦は法人を輸送してくれるのかという問題があります。軍艦や輸送艦は戦闘に従事し、武器・弾薬、兵員などを運ぶためのものです。
 基本的に、民間人を輸送することはありません。緊急避難として例外的に運ぶことがあったとしても、自国民を優先し外国人は後回しにされます。
 朝鮮半島有事において、逃げ遅れた日本の民間人を運んでくれるという保障があるのでしょうか。特例として、日本人を輸送艦に乗船させてくれるという想定には、どのような根拠があるのでしょうか。

 そして第4に、日本人を乗せた米国の船を護衛するために自衛艦が航行可能であり、しかも米艦の近くで防護できるのであれば、その自衛艦によって邦人を運べばよいではありませんか。
 何も、米国の輸送船を頼る必要はありません。日本国民なのですから、日本の船で運べばいいんです。
 それを、わざわざ米国の艦船での輸送という荒唐無稽な想定をイラストにまでしたのは、集団的自衛権の行使容認に結びつけるためでした。しかし、その場合でも、「攻撃国の言動により、わが国にも武力攻撃が行われかねない状況だということが前提」とされなければ、つまり日本の存立が危機にさらされているという新3要件が満足されていなければ、自衛隊は米国の船を守ることができないというのが横畠内閣法制局長官の答弁の意味なのです。

 このように、朝鮮半島有事に限っても想定自体に無理があり、荒唐無稽であることは明らかです。審議をすればするほど、そのデタラメさは明らかになってくることでしょう。
 嘘とデタラメで塗り固められているのが「戦争法制」の本質です。いかに時間をかけて審議しても本質が変わるわけではありませんから、そのような無駄はやめて、とっとと廃案にするべきです。

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6月27日(土) 「当たり前の事実を置き去りにして」自己の主張を正当化しているのはどちらか [戦争立法]

 昨日、たまたまネットで「安保法制反対で喧伝される“危うさ”は本当か」という記事を見つけました。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の岸博幸さんが書かれたものです。
 興味のある方は、本文http://diamond.jp/articles/-/73911?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditorをお読みください。

 この記事で岸さんは、「国会での野党の主張やメディアの報道を見ていると、どうも当たり前の事実を置き去りにして安保関連法案の“危なさ”ばかりが強調されているように思えます。そこで今回は、安保関連法案の議論に絡む当たり前の事実を自分なりに整理してみたいと思います」と書いています。
 ご本人は、よほど「当たり前の事実」をきちんと踏まえて議論しているのだろうと思いながら、本文を読み始めました。すると、すぐに目に飛び込んできたのが、次のような記述です。

 「どの国も、自国の領空が侵犯されそうになると、空軍機が緊急発進(スクランブル)して守ります。自衛隊のスクランブルの回数は、2004年度は141回だったものが2014年度には943回と、10年で7倍近くに増え、今や平均すると毎日2.6回です。ちなみに、以前は日本の領空に近づくのはロシア機が最多でしたが、この数年は中国機が急増しています。」

 誰かが同じようなことを言っていたような気がしました。ちょっと考えたら、すぐに気が付きました。
 安倍首相です。5月14日の記者会見での冒頭発言で、安倍首相は次のように発言していました。

 「我が国に近づいてくる国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルの回数は、10年前と比べて実に7倍に増えています。これが現実です。そして、私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません。」

 岸さんは「中国機」、安倍首相は「国籍不明の航空機」という違いがありますが、スクランブルの回数が「10年前と比べて7倍」に増えているという指摘は全く同じです。だから、以前に比べて安全保障環境は厳しくなっており、それに対応した形で憲法解釈の幅を広げ集団的自衛権の部分的な容認が必要になっているという説明でした。
 このような論理は、今も一貫しています。スクランブルの回数は、このような倫理を支える重要な事実のはずです。
 ところが、これは「当たり前の事実を置き去りにして」自己の主張を正当化しているのはどちらかと言いたくなるような、とんでもないインチキなのです。インチキというのが悪ければ、とてつもない思い違いだと言っても良いでしょう。

 「当たり前の事実」を前提にして議論するべきだというわけですから、「年度緊急発進回数の推移」http://www.mod.go.jp/asdf/about/role/bouei/というグラフをご覧いただきたいと思います。これは航空自衛隊のホームページに載っているものですから間違いないでしょう。
 このグラフには2013年度の数字までしか出ていません。24年度の数字は、岸さんの指摘しているものを使わせていただきます。

 さて、岸さんは「2004年度は141回だったものが2014年度には943回」で7倍にもなっていると指摘しています。それはそうなのですが、2004年のスクランブルの数字が特に少なく、それを下回るのは1959年の119件だけだという事実については全く触れていません。
 また、最近のスクランブルの回数は前年の2013年から急増していたことについても触れていません。つまり、岸さんも安倍首相も、半世紀近く前の水準にまで低下したスクランブルの回数と近年になってから急増した回数を比べて、「7倍」だと危機感をあおっていたことになります。
 ちなみに、2014年のスクランブル回数が最も多いのかというと、そうではありません。1984年の944回がこれまでの最多記録になります。

 航空自衛隊が示しているグラフを見ればわかる通り、スクランブルの回数がもっと多かったのは80年代です。この時代(1980~89年)の平均をとってみれば853.2回になりますが、最近の10年間(2003~2014)の平均は444.2回にすぎません。
 「な~んだ」と思われるでしょう。80年代に比べれば、スクランブルの回数は平均して半減していたのです。
 この回数が日本周辺における安全保障環境の変化を示すとすれば、それは悪化していたのではなく改善していたことを意味します。したがって、集団的自衛権の行使容認など憲法解釈の幅を広げる根拠は存在していません。

 しかし、このように低下していたスクランブル回数は、2012年から直近10年間の平均を上回るようになり、2012年567回、13年810回、14年943回と急増しました。第2次安倍内閣が発足して安倍さんが首相になってからです。
 確かに、80年代ほどではありませんが、第2次安倍内閣になってから安全保障環境は急速に悪化していたことになります。つまり、安倍内閣の成立こそ周辺環境の悪化をもたらした最大の要因だったということです。
 そうであれば、安全保障環境を改善するのに「戦争法制」などはいりません。安倍さんが首相を辞めれば良いのです。

 そうすれば、周辺諸国との関係は一挙に改善すること、請け合いです。その安倍首相の手による「戦争法制」の成立は日本の安全を確かなものにするどころか、周辺諸国の警戒感を高めて関係を悪化させる大きな要因の一つとなり、安全保障環境を改善するうえではまったくの逆効果であるということが、どうして分からないのでしょうか。

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6月22日(月) 「戦争法案」における集団的自衛権の行使容認が想定するデタラメの数々 [戦争立法]

 むかし「事変」で、いま「事態」と言うべきでしょうか。国会で審議中の「戦争法案」に関連して、昨日のブログで指摘した「武力攻撃切迫事態」「存立危機事態」「重要影響事態」「国際平和共同対処事態」に加えて、「武力攻撃事態」や「武力攻撃予測事態」など、「事態」という言葉が乱発されています。
 かつて、「満州事変」や「上海事変」、「シナ事変」など、「事変」という言葉が乱発され、戦争であることが誤魔化された過去とよく似ています。言葉の言いかえや誤魔化しによって、ことの本質が曖昧にされ国民を戦争に引き込んでいくやり方は昔も今も変わりがないようです。

 むかし「満蒙は日本の生命線」、いま「ホルムズ海峡は日本の生命線」ということなのでしょうか。集団的自衛権行使容認についての唯一の具体例として安倍首相がたびたび言及している事例です。
 これも、かつての言い方とよく似ています。「満蒙」も「ホルムズ海峡」も、日本にとっては「生命線」であるとして戦争を正当化・合理化しようという「手口」において……。
 安倍首相は歴史的事実については無知でも、かつての侵略戦争に国民を引き込んでいった軍部の「手口」についてだけは、きちんと学んでいるようです。その教訓の活かし方は、全く逆ではありますが……。

 しかし、ホルムズ海峡での機雷封鎖などは、全くあり得ない荒唐無稽な空想の産物にすぎません。どうして、安倍首相がこのような空想にとらわれているのか、理解できる人がいるのでしょうか。
 これもすでに書いたことですが、ホルムズ海峡をめぐる国際環境は大きく改善されています。もし、封鎖するとすればイランですが、イランは欧米との関係改善を志向し、イスラム国(IS)と戦っているイラクを支援するなど、状況は大きく変化しました。
 イランから輸出される原油は100%この海峡を通りますから、封鎖して困るのはイラン自身です。それでもなお封鎖するかもしれないと言い張る根拠はどこにあるのか、ぜひ、国会での質問で安倍首相に問いただしていただきたいものです。

 荒唐無稽ということで言えば、集団的自衛権行使の例として言及された他の場合も同様です。ホルムズ海峡封鎖解除論以外に言及されたものの一つにミサイル発射準備期での敵基地攻撃論がありますが、これも空想の産物だと言うべきでしょう。
 北朝鮮でアメリカ本土に向かう大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)は開発されていず、もし開発されて発射されても日本の上空は通りません。日本の方向に向かうミサイルは、在日米軍基地かグアムやハワイを狙うものだということになりますが、これらを標的としていることがどうして分かるのでしょうか。
 ミサイルに行き先が書いてあるはずもありませんから、発射前であればどこに向かうかは分からず、実戦なのか訓練なのかも不明です。ただ、発射準備をしているということだけでその基地を攻撃すれば、日本こそが先制攻撃を行った無法な国となって国際社会の非難を受けることになるでしょう。

 また、安倍首相はしばしば半島有事に際しての他国の領域や公海上での邦人を輸送する他国の軍艦の警護をしなくてよいのかと、問題を提起しています。集団的自衛権の行使容認は、このような事態での他国軍艦の警護を可能にするためのものだというのです。
 このような想定ほど、国民を馬鹿にしているものはありません。そもそも軍艦は民間人を輸送したりせず(輸送のためなら輸送船があるわけですから)、万に一つ、そのような例外があったとしても、それは逃げ遅れた場合の緊急避難として行われるにすぎません。
 安保法制懇の答申が出されたときや閣議決定がなされたとき、安倍首相は日本人の母親と子供が米軍艦で輸送されているパネルを出しましたが、それは事前の邦人避難が失敗したことを示しています。真っ先に避難させられなければならない女性と子供が逃げ遅れ、米軍艦によって緊急避難させられることを前提に安全保障政策を論ずるなどということがあってはならず、いかにして円滑・安全に避難させることができるかを論ずることこそ一国のトップリーダーとしての責任ある態度だと言うべきでしょう。

 さらに、「後方支援」についてもデタラメな説明が繰り返されています。これまでの国会論戦で、「後方支援」とは日本独自の概念(日本でしか通用しない誤魔化し)であり、国際的には「兵站」であること、それが狙われるのは軍事的な常識であり反撃すれば武力行使と一体化せざるをえないことなどが明らかになってきました。
 それでも政府は、弾薬を輸送することはあっても危険な場所には近寄らず、襲われる危険性はなく、自衛隊員の安全は確保されるかのように言い張っています。しかし、このような誤魔化しも通用しません。
 弾薬を輸送する必要性はそれが消費されて無くなるから生ずるわけで、無くなるのは発射されるからです。弾薬が発射されて消費されるのはどのような場所かと言えば、そここそが戦闘が行われている場所、つまり「戦闘現場」にほかなりません。

 このような「戦闘現場」でこそ、弾薬を補充する必要性が最も高まっているわけです。だから「すぐに弾薬を運んでほしい」と要請されたときに、「そこは危ないから、近寄れない、安全なところまで取りに来てほしい」と答えるのでしょうか。
 安全だと思ったところまで運んで、弾薬を渡そうとした時に襲われることがあるかもしれません。当然、一緒になって反撃するでしょう。
 そのような時でも、「武力行使と一体化してしまうので、我々だけ戦闘を停止して退却する」などと言えるのでしょうか。「後方支援」のために弾薬を運搬していても戦闘現場まで行かないというのは、建設資材を運んでいるのに建設現場まで行くことはないというのと同じで、まことに奇妙奇天烈な説明だというしかありません。

 もう、こんなデタラメを繰り返すことはやめにするべきでしょう。国会の会期を延長すればするほど、このような説明の誤魔化しや荒唐無稽さが明らかになるだけです。
 安倍首相の思い入れだけが強く、空虚で根拠のない答弁が繰り返されている国会の姿は、日本の政治の劣化と衰退を示しています。それを克服するためにも、会期通りに国会を閉じてデタラメばかりの「戦争法案」をとっとと廃案にするべきでしょう。


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6月21日(日) 気の毒なのは安倍首相の無理筋に付き合わされている高村さんではないのか [戦争立法]

 「戦争法制」を審議している安保特別委員会などでの審議が続いています。この過程で明らかになってきているのは「戦争法案」の中身についての問題点だけではありません。
 それを提案している政府・自民党側の姿勢ややり方自体も大きな問題を持っていることが明瞭になりつつあります。

 政府の憲法解釈を担当する横畠裕介内閣法制局長官が衆院特別委員会で「腐った味噌汁は一部でも腐っている」という批判に答え、国際法上の集団的自衛権と安倍内閣が主張する「限定的」な集団的自衛権の違いを「フグ」に例えて「毒があるから全部食べたらそれはあたるが、肝を外せば食べられる」と答弁して話題をまきました。これは「憲法の番人」が「権力の番犬」に変わってしまった瞬間であり、このようなたとえ話で説明しようとしたこと自体、「適切ではない」という批判があります。
 しかし、そのたとえが正しいとしても、それが「フグ」であって「腐った味噌汁」ではないということ、「フグ」であっても食べる部分が「肝」ではないということが、どうして分かるのでしょうか。かつて日本の支配層が毒をたらふく国民に食わせ、ほとんど滅亡の淵にまで追いやった前例があるというのに……。
 このようなたとえ話が説得力を持つためには、「戦争法制」が「腐った味噌汁」の一部ではないこと、「フグの肝」とは異なっていることを証明しなければなりません。横畠さんにはそれができるのでしょうか。

 もう1人注目を浴びたのが「戦争法制」についての与党側の責任者である自民党の高村正彦副総裁です。18日の衆院予算委員会で民主党の玉木議員が、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認は「問題がある」とした高村さんの過去の発言を取り上げ、安全保障関連法案の違憲性を追及しました。
 玉木さんが取り上げたのは、2002年6月6日の衆院憲法調査会における発言で、このとき高村さんは「必要最小限という言葉から、個別的自衛権はいいけど、集団的自衛権はだめだという言葉は必然的に出てこない」と語り、憲法上許される必要最小限度の自衛の措置に集団的自衛権が含まれる場合があると主張しつつも、「現実の問題としてそういう解釈を政府は取ってこなかった。必要だからパッと変えてしまうのは問題がある」と述べ、「集団的自衛権を認めるような形で、国民的議論のもとで憲法改正をしていくのが本筋だ」と語っていました。集団的自衛権の行使容認には憲法改正を行う必要があるとの「正論」を主張していたのです。
 このようなかつての高村さんの主張は、当時の政界にあっては常識的なものでした。自民党をはじめ改憲派の政治家や学者の過去の発言をほじくりだせば、集団的自衛権の行使容認は現行憲法に反しており、それを可能にするためにも改憲が必要だという発言は掃いて捨てるほど出てくるでしょう。

 自衛隊を普通の軍隊として位置づけ、アメリカなどの戦争の手伝いに自衛隊を海外に派遣するための集団的自衛権の行使容認であり、そのための憲法改正論だったからです。現行憲法の下では容易に自衛隊を海外に派遣できず、派遣しても満足な手伝いができないから憲法を変えるべきだと、これらの人々は口を極めて主張してきたのですから……。
 今回の「戦争法制」では、①「新3要件」に基づいて集団的自衛権の行使容認を具体化し「存立危機事態」として認定された場合の海外派兵、②周辺事態法から周辺を外し重要影響事態として認定された場合の海外派兵、③国際社会の平和と安全が危機にさらされる「国際平和共同対処事態」として認定された場合の「国際平和支援法」に基づく海外派兵、そして、④国連平和維持活動(PKO)の一環としての海外派兵と活動内容の拡大という4つのチャンネルによって自衛隊を海外に送り出し、これまで以上に活動範囲と活動内容を拡充できるようにされています。
 「海外で戦争する国」になるためにいかに「隙間のない」対応が工夫されているか、感心してしまいます。しかし、そのために大きな問題が生じました。

 「武力攻撃切迫事態」「存立危機事態」「重要影響事態」「国際平和共同対処事態」という各概念の違いがよく分からなくなってしまったのです。あるいは、あれがダメならこれがあるというように、重ね合わせてどれでも使えるようにしたということなのかもしれません。
 いずれも日本ないし国際社会の安全が危機的な状態になった時ということでしょう。それぞれに対応してどのような「事態」であるかは、時の政権によって恣意的に判断されることになります。
 このような法体系からは、「とにかく自衛隊を海外に出せるようにしたい」という執念のようなものを感じます。それほどアメリカに媚びた政策転換が意図されているということでもあります。

 高村さんのように過去の発言との矛盾が生ずるのは、このような政策転換のために、解釈によって憲法の幅を広げたり縮めたりできるという珍妙な憲法論が主張されるようになったからです。以前は、いかに自民党でも、このようなご都合主義的解釈改憲論は主張できませんでした。
 ところが、安倍政権になって解釈による集団的自衛権の行使容認が強行され、その理由として挙げられたのが安全保障環境の変化です。環境が変われば憲法の解釈も変えてよいだけでなく、そうしなければ無責任だとまで主張されるようになりました。
 そのために、以前の主張との整合性が取れなくなりました。その一例が高坂さんの発言の矛盾だったというわけです。

 そればかりではなく、憲法の規範性が極端に軽視されることになりました。本来であれば、権力行使の基準であり尺度であったはずの憲法が状況変化に応じて広がったり縮んだりする、あるいは法案に適応させられたりするというのですから、これほど為政者にとって便利なものはありません。
 しかし、そうなればもはや憲法は憲法でなくなります。広がったり伸びたり、ときには縮んだりするような物差しは、もはや物差しとしての用をなさないからです。
 このように憲法が伸縮自在となれば、条文を変える必要性もほとんどなくなってしまいます。ご都合主義的な解釈改憲論は、9条改憲はもとより明文改憲そのものの必要性を低下させるというパラドクスに、改憲論者は気が付いているのでしょうか。

 三木派の後継として自民党内でリベラル派を引き継いだはずの高村さんには、こう言いたくなります。「安倍首相の自己満足以外、何の役にも立たない法律のために晩節を汚してしまいましたね、お気の毒様」と……。

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6月19日(金) 「国際状況」が変われば憲法解釈も変えるのは当然だという安倍首相の憲法99条違反 [戦争立法]

 本来であれば、今日が退院の予定日でした。実際には一日早く昨日退院し、すでに自宅療養に入っています。
 退院が一日早まったのも、手術が大成功に終わり、その後の経過が超順調であったためです。お陰様で、ブログはもう本格復帰させていただいています。

 テレビ番組に出演した船田元自民党憲法改正推進本部長は、自民党推薦の長谷部恭男教授が衆院憲法審査会で安全保障関連法案を憲法違反と指摘したことについて「(以前)特定秘密保護法で(自民党の)参考人として来られたとき、ご理解のある発言だったので、少し安心して選んだ。正直、ミスだった」と述べました。自分たちに都合の悪いことを言ったから「人選ミス」だと言いたいようですが、憲法研究者の多数意見を代表する参考人を選んだのですから、憲法調査会の参考人の人選としては誠に正しいものだったと言うべきでしょう。
 「ミス」ということでは、国民の多くから理解が得られない違憲の「戦争法案」を出したことこそが大きなミスでしょうし、「人選ミス」ということで言えば、このような法案をゴリ押ししようとする極右の安倍晋三を自民党の総裁に選んでしまったことが、最大の「人選ミス」だったのではないでしょうか。
 3人の憲法専門家の「違憲」発言に慌てた政府はまたもや砂川判決を根拠に合憲性を主張していますが、すでに多くの批判を受け、判決自体の正当性すら疑われ、閣議決定の根拠にもできなかったような判決を持ち出さざるを得ないところに、「戦争法案」の根拠の薄弱さが示されています。ほかの最高裁判決についてもいろいろと探したのでしょうが、集団的自衛権の行使容認のこじつけとして使えそうな材料がこれ以外に見つからなかったということなのですから……。

 その「人選ミス」の安倍首相ですが、衆議院予算委員会での集中審議で、またもや重大な暴言を放っています。自民党の小野寺元防衛大臣の質問に答えて、「国際情勢に目をつぶり、従来の解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ」と述べ、憲法解釈変更の正当性を強調したからです。
 この答弁は、今回の「戦争法制」が「従来の解釈に固執」するものではなく、それを変更したものであることをはっきりと認めています。それだけではありません。「時々の内閣が『必要な自衛の措置とは何か』とことん考えるのは当然のことだ。昭和47年の政府見解では、集団的自衛権は必要最小限度を超えると考えられたが、大きく国際状況が変わっているなかで、国民の安全を守るために突き詰めて考える責任がある」と居直りました。
 「国際状況」が変われば、それに応じて憲法の解釈を変えるのは当然で、むしろそうしないのは「政治家としての責任の放棄だ」というのです。安倍首相にとって憲法の規範性や立憲主義などはくそくらえで、「従来の解釈に固執する」ことこそ無責任なのだということになります。これこそ、憲法99条に定められた「憲法尊重擁護義務」違反の暴言であり、国務大臣の長たる首相として最悪の失言であると言わなければなりません。

 それでは、このような「国際状況」はどう変化したというのでしょうか。今回の「戦争法案」について、なぜ今必要なのかと問われた安倍首相はこれまでも国際環境の変化を繰り返し、昨年5月15日に出された安保法制懇の答申でも同様の説明がなされていました。
 日本周辺の安全保障環境が悪化したから、それに対応した安全保障法制の整備が必要になっているというわけです。加えて、日本の安全は日本一国では守れなくなっているからだとも……。
 この説明は嘘です。安倍首相は国民に嘘をついてまで、「海外で戦争できる国」に日本を変えようとしているのです。

 「日本周辺の安全保障環境の悪化」と言えば、国民は直ぐに北朝鮮を思い浮かべるでしょう。確かに、北朝鮮は核開発を進め、ミサイル実験を繰り返しており、解決を約束した拉致問題には全く進展がありません。
 しかし、世界が東西両陣営に分かれて対立し、ソ連を仮想敵国としていた時代に比べて今の方が安全保障環境は悪化していると言えるのでしょうか。冷戦時代にはソ連による北海道への着・上陸型侵攻まで想定されていましたが、北朝鮮についてはミサイル攻撃やゲリラ・グループの原発攻撃などだけで、着・上陸型の侵攻は想定されていません。
 その理由は、はっきりしています。北朝鮮は大量の侵攻部隊や武器・弾薬などを運ぶ大型の輸送船や輸送機を保有していないからです。
 太平洋艦隊などの軍事力の巨大さや核戦力、着・上陸型侵攻の可能性ということで言えば、冷戦時代のソ連の方が今日の北朝鮮よりもはるかに大きな脅威であったことは明らかです。このような過去と比べれば、今の方が「日本周辺の安全保障環境が悪化している」とは言えません。

 第2に、もし、安倍首相の言うように「日本周辺の安全保障環境が悪化している」ことへの対応が必要だというのであれば、何故、周辺事態法の「周辺」を削除し、集団的自衛権行使の具体例としてホルムズ海峡の機雷封鎖の例しか出してこないのでしょうか。
 まさに、「周辺」での危機に対処することが必要なのに、その「周辺」を取って重要影響事態という新概念を編み出し、対応地域を中東にまで拡大しようとしています。つじつまが合わないではありませんか。
 さらに、ホルムズ海峡の機雷封鎖について言えば、その周辺の安全保障環境は悪化するどころか、以前よりも格段に改善しています。封鎖する可能性があるとされているイランですが、穏健派のロウハニ大統領が欧米諸国との関係改善を積極的に進めようとしているという国際状況の変化を安倍首相は知らないのでしょうか。

 第3に、北朝鮮が安倍首相の言うような脅威であるとすれば、それを低下させるための努力が必要です。「それが今の安保法制なのだ」と安倍首相は言うかもしれませんが、それ以前に外交的な圧力を強めるべきでしょう。
 北朝鮮を孤立させ、核開発やミサイル実験を止めさせ、拉致問題を解決するためには国際的な協力による包囲網を形成しなければなりません。そのためには、韓国との連携を強め、中国の協力を得ることが不可欠です。
 そのために、安倍首相は何をやったでしょうか。何もしていないどころか、この両国との関係改善に役立たないことばかりやって来たのが、これまでの安倍首相の対応でした。
 もし、「戦後70年談話」が両国によって批判されるような内容になれば、再び「安全保障環境」は悪化するにちがいありません。そうなれば、「環境」悪化をもたらしている張本人こそ安倍首相なのだということが明瞭になるでしょう。

 現在審議中の「戦争法制」は、北朝鮮の核開発を思いとどまらせ、拉致問題を解決するうえで、何の役にも立ちません。このような無意味な「戦争法制」に熱中するよりも、具体的で効果的な外交交渉に力を入れることの方が先決でしょう。
 そのために韓国との連携を強め、北朝鮮に強い影響力を持つとされている中国の協力を得なければなりません。それをサボタージュするための口実として、「戦争法案」が使われているのでなければ良いのですが……。

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6月18日(木) インフォームド・コンセントなしの間違った手術に頼るヤブ医者への先祖返り [戦争立法]

 先ほど、入院先の病院から退院してきました。自宅で、このブログを書いています。

 手術は大成功です。その後の経過も良好で、今日の退院に際して診察した担当医は「超順調」だと太鼓判を押してくれました。
 今回の私の病名は、左副鼻腔乳頭腫というものです。俗に「鼻筍」とも呼ばれますが、鼻から目にかけての空洞(鼻腔)に乳頭腫という良性腫瘍が成長して塞いでしまいました。
 鼻はつまり鼻水も出てきて、乳頭腫の先端が鼻の穴から顔を出すこともあります。これが大きくなると先端が尖って「筍」のようになるから、「鼻筍」と言われるのでしょう。

 私は8年前にも、同様の内視鏡下鼻副鼻腔手術をしています。その時は全てを取り切れず、左目の下に一部が残りました。
 右目は義眼で左目しか見えませんからこれを傷つけてはならないということで、多少残っても良いから無理をしないでもらいたいと、手術前に依頼していたからです。その時、いずれまた大きくなる可能性があり、再度の手術が必要になるかもしれないと伝えられていました。
 したがって、左の鼻が詰まるようになった時、「また筍が成長したのだな」と直ぐに気が付きました。診察を受けたら「今は良性だけれど放置すれば悪性の腫瘍(ガン)になる可能性もある」とのこと。やはり手術は避けられないということで「覚悟」を決めたわけです。

 手術の結果、妨害物が取り除かれたわけですから、鼻のつまりがなくなり、大変、すっきりしました。今まで以上に鼻が利くようになることは間違いありません。
 空気の通りが良くなったわけですから、鼻息も荒くなることでしょう。「鼻は良くなったけれど、代わりに口が悪くなった」などと言われないように気を付けたいと思います。
 とはいえ、世の中はこのような状況ですから、鼻を利かせて権力者の秘密を探り、鼻息荒く糾弾しなければなりません。多少の「口の悪さ」については、庶民のうっぷん晴らしということでご寛恕いただきたいものです。

 今回の手術に当たっては、担当医から細かい説明を受けました。全身麻酔でしたから、そのリスク、あるかもしれない事故や傷害についても、懇切・丁寧な情報提供があり、誓約書にも何枚か署名しました。
 これがインフォームド・コンセントと言われるものです。担当医から事前に十分な説明を聞いて患者が理解し納得したうえで同意し、自分の自由な意思で治療法を選択することを意味しています。
 インフォームド・コンセントにおいて重要なのは、医師による「説明・理解」と、それを条件にした患者側の「同意」の両方です。十分な説明がなされず、説得して従わせようとしたり、十分に理解していないのに「お任せします」といって任せたりするような場合は不十分なインフォームド・コンセントであり、充分な説明を受けたうえで患者が治療方針を拒み、医師がそれを受け入れた場合は充分なインフォームド・コンセントになります。

 このようなインフォームド・コンセントという概念から見た場合、今の安倍政権による「戦争法案」という治療方針はどのように判断できるでしょうか。それは十分なインフォームド・コンセントと言えるでしょうか、それとも不十分なインフォームド・コンセントなのでしょうか。
 その答えは明瞭です。安倍首相は国民の合意を得るために無理やり説得しようとしていますが、十分な「説明・理解」も「同意」も欠けているわけですから、極めて不十分なインフォームド・コンセントだと言わなければなりません。
 とりわけ、自衛隊員や国民のリスクについては言を左右し、正直に説明しようとしていません。これでは安心して手術を受けられるわけがないでしょう。

 安倍首相は平和と安全を確保するためだとしてアメリカ的な術式を採用しようとしています。しかし、それは失敗続きで国際紛争やテロを根絶できず、自国の安全を高めるどころか多くの若者を死に至らしめる「悪魔の術式」でした。
 日本も専ら軍事力に頼る「悪魔の術式」によって巨大な犠牲者を出した過去があります。だからこそ、そのようなやり方を放棄するという誓約書(憲法前文と9条)を書いて国際社会への復帰を許されたのではありませんか。
 かつての日本や戦後のアメリカが採用した「悪魔の術式」は、病気を治すのではなくかえって悪化させるだけだということは、多くの犠牲を伴った歴史によって証明されています。それなのに何故、このような時代遅れの間違ったやり方に舞い戻ろうとしているのでしょうか。

 説明も理解も合意もなしに、やってはならない手術を繰り返して大失敗したのが、かつての大日本帝国でした。安倍政権下の日本は、再びこのヤブ医者へと先祖返りしつつあるのではないかと、ベッドの上で病室の天井を眺めながら大いに心配になったものです。

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6月10日(水) 憲法専門家の3人の学者は「王様は裸だ」と言ったにすぎない [戦争立法]

 衆院憲法審査会での専門家3人の「違憲」発言は、その後も波紋を呼んでいます。このような形で議論が深まるのは結構ですが、この3人の学者は「王様は裸だ」と本当のことを言っただけです。
 あわてて、「新3要件」というベールをかぶせて「裸の王様」を国民の目から隠そうとしても無駄でしょう。もともと「裸」なのですから……。

 安倍晋三首相はドイツ・ミュンヘンで記者会見し、衆院憲法審査会で憲法学者が安全保障関連法案を「違憲」と指摘したことに関し、憲法違反ではないと確信していると反論しました。「憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。世界に類を見ない非常に厳しい武力行使の新3要件の下、限定的に行使する」と述べたそうです。
 しかし、「新3要件」の内容はあいまいで「非常に厳しい」とは言えず、この3要件は「重要影響事態」や「国際平和共同対処事態」での「後方支援」(事実上の武力行使)には適用されません。9条2項で「交戦権」を認められていない自衛隊が、「限定的」であっても他国で「武力行使」することは憲法違反になります。
 安倍首相にとって、「新3要件」は魔法の呪文のようなものなのでしょう。これを唱えさえすれば、「他国防衛」は「自国防衛」となり、「武力行使」も「憲法解釈の基本的論理」に含まれてしまうというのですから……。

 自民党も憲法専門家3人の発言に大慌てです。全国での街頭演説を始めましたが聴衆に批判されて「帰れ」コールが起こり、「違憲」論に反論するために戦争法案の正当性を訴える文書を作成して配布しました。
 ここでも根拠として示されたのが、1959年の砂川事件判決です。自国の存立のために必要な自衛措置は認められるとされたことに触れ、「最高裁のいう自衛権に個別的自衛権か集団的自衛権かの区別はない」と指摘し、「日本の存立を根底から覆すような場合」は「集団的自衛権を行使することは何ら憲法に反するものではない」とし、「国民の命と日本の平和を守るための安全保障政策に責任を持つべきなのは政治家だ」として、今国会中の成立を目指す立場を改めて示しています。
 「自衛権に個別的自衛権か集団的自衛権かの区別はない」最高裁の判決をもって集団的自衛権の行使容認を正当化することはできないにもかかわらず、この判決をまたも根拠にしたということは、これ以外に根拠にできるものがないということを示しています。「国民の命と日本の平和を守るための安全保障政策に責任を持つべきなのは政治家だ」としても、その判断や行動が憲法に適合しているかどうかを判断するのは憲法の専門家の役割ではありませんか。

 また、政府は野党の求めに応じて見解を発表しました。「これまでの憲法解釈との論理的整合性および法的安定性は保たれている」として憲法学者3人が「憲法違反」と表明したことに反論しています。
 見解は、「わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として一部限定された場合の武力の行使を認める」とし、その理由について「安保環境が根本的に変容」したことで「今後、他国への攻撃でも日本の存立を脅かすことはあり得る」と説明したうえで、新3要件で容認されるのは「あくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置」に限定されていると強調しています。また、「現に戦闘を行っている現場」では活動しないことなどを挙げ、「一体化の回避という憲法上の要請は満たす」とし、新3要件について「いかなる事態にも応えるという事柄の性質上、ある程度抽象的な表現が用いられることは避けられない」と説明しています。
 これまでの説明と基本的には変わりありませんが、最後に「ある程度抽象的な表現が用いられることは避けられない」としている点は注目されます。「新3要件」が具体性に欠け、恣意的な判断が可能であることを暗に認める結果となっているからです。

 これらの反論や説明は、反論にも説明にもなっていません。「王様が裸」であることを隠そうとして、これまでの牽強付会や強弁を繰り返しているだけだからです。
 問われているのは、無理やり「裸」にしてしまったことですから、それを隠そうとしても無理が生ずるだけです。必要なことは、ちゃんと服を着せて、元の姿に戻してやることでしょう。

 ということで、突然ですが、今日から10日間、鼻の手術のために入院します。このような重大な情勢の下で戦線離脱のような形になるのはまことに残念ですが、以前から決まっていたことでやむを得ません。
 このような事情ですので、参加を呼びかけておきながら、6.13大集会にも翌日の八王子の市民パレードにも参加できません。ブログの読者の皆さんの多くが参加され、私の分まで声を張り上げて下さることを期待しております。

 手術が無事に済んでブログを書けるようになり次第、再開します。その時まで、ご機嫌よう。

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6月9日(火) 戦後最悪・最低内閣による戦争国家への転換を阻止しよう [戦争立法]

 「現在の憲法をいかにこの法案に適用させていけば良いのかという議論を踏まえて、閣議決定をおこなった。」(中谷防衛相)
 「昨年の閣議決定は、これまでの憲法九条をめぐる議論との整合性を考慮したものであり、行政府における憲法解釈として裁量の範囲内と考えており、違憲の指摘は当たらない。」(同前)
 「憲法学者はどうしても(戦力不保持を定めた)憲法九条二項の字面に拘泥する。」(高村副総裁)

 このような驚くべき発言が、次々と繰り返されています。安倍内閣の中枢が立憲主義の何たるかを全く理解していないことを象徴するような、暴言のオンパレードだと言うべきでしょう。
 憲法審査会での憲法の専門家3人による「戦争法制」は「違憲」だという発言が、いかに大きな衝撃を与えたか。周章狼狽するこれらの人々の姿が、そのことを如実に示しています。
 これらの法案を担当する大臣である中谷防衛相の発言はとりわけ大きな問題であり、とっとと首を切るべきでしょう。このような状況の下で「戦争法案」を成立させるなどトンデモナイことであり、廃案にするべきです。

 「戦争法制」をめぐる情勢は、ここにきて「潮目」が変わったと言って良いかもしれません。その廃案、少なくとも今国会での成立阻止に向けての可能性が出てきたようです。
 これには、三つの背景があるように思われます。一つは、「一強多弱」状況に胡坐をかいた安倍首相の不真面目で強引な姿勢であり、二つは、特に共産党の志位委員長などの国会質問など野党の追及であり、三つは、急速に盛り上がってきている反対運動です。
 「どうせ通るのだから」と高をくくっていた安倍首相は、審議時間が80時間を超えた段階で強行採決によって衆院を突破するつもりで、いい加減な答弁を繰り返してきました。「国民に本当のことを知られたくない」という気持ちで誤魔化したり、嘘をついたり、問題点をはぐらかしたり、長い答弁で煙に巻いたり、時には不規則発言で挑発したりという行動を繰り返し、最後には一気呵成に強行突破を図るというのが衆院審議のシナリオだったと思われます。

 しかし、そのようなシナリオには齟齬が生じました。最初のつまずきは、党首討論での「ポツダム宣言をつまびらかには読んでいない」という発言であり、これに続いたのが安保法制特別委員会での答弁です。
 いずれも、共産党の志位委員長の発言や質問に答えたものでした。特に、2日間にわたってテレビ中継された志位委員長とのやり取りは圧巻で、私もこのブログで「ABC対決」と書いたものです。
 このような国会内の追及に呼応するかのように、国会の外での反対運動も急速に盛り上がってきました。埼玉や八王子などでも「戦争法制」反対の集会やパレードに取り組むなど国会周辺だけでなく地方や地域でも反対運動が勢いを増し、どの世論調査でも戦争法案への反対や今国会での成立反対の方が多いという状況が生まれています。

 このような反対世論を反映した一つの頂点が、憲法審査会での3人の憲法学者の「違憲」発言であったと思います。これに慌てた政府・自民党は様々な形で反論を試みますが、もともと道理のない無理筋であったために、それを正当化しようとすればますます墓穴を掘る結果になったというのが冒頭に掲げた発言にほかなりません。
 さらに追い詰めていくことが必要です。世論を高めて政治の現実を変え、主権者が国民であることを教えようじゃありませんか。
 まず立ち上がり、声をあげて異議を申し立て、戦後最悪で最低の安倍内閣による戦争国家への転換をストップさせましょう。そのためにも、来る13日(土)の12時20分からお台場の東京臨海広域防災公園で開かれる「許すな!戦争する国づくり まもれ!憲法と平和、いのちと暮らし STOP安倍政権!6・13大集会」への参加を呼びかけます。

 なお、会場へは、りんかい線「国際展示場駅」徒歩4分、ゆりかもめ「有明駅」徒歩2分です。会場からあふれるばかりの多数の結集で、安倍首相の目にものを見せてやろうじゃありませんか。

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6月5日(金) 専門家や学者なら恥ずかしくて合憲だなどと言えるはずがない [戦争立法]

 当たり前でしょう。憲法の専門家や学者・研究者なら、今回の「戦争法案」が合憲だなどと、とても恥ずかしくて言えるわけがありません。
 だって、誰が見てもこれまでの枠をはみ出していることは明らかなのですから……。というより、これまでの憲法解釈の枠をはみ出させるための「戦争法案」なのですから……。

 衆院憲法審査会は昨日の午前、憲法を専門とする有識者3人を招いて参考人質疑を行いました。どの参考人も、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案(戦争法案)について「憲法違反」との認識を表明しています。
 これには自民・公明両党の与党が推薦した参考人も含まれていました。この点が重要です。
 与党が推薦して参考にしようとした専門家の意見も「違憲」だというものだったわけですから……。ということは、この戦争法案は憲法の枠内だという政府の主張は専門家の誰一人も支持せず、与党が参考にしようとした専門家でさえ、その主張を覆したということになるのですから……。

 昨日の委員会に参考人として出席したのは、自民・公明・次世代の各党が推薦した長谷部恭男(はせべやすお)早稲田大教授、民主推薦の小林節(こばやしせつ)慶応大名誉教授、維新推薦の笹田栄司(ささだえいじ)早稲田大教授の3人でした。与党などが推薦した長谷部さんは、戦争法案のうち集団的自衛権の行使を容認した部分について「憲法違反だ。従来の政府見解の論理の枠内では説明できず、法的安定性を揺るがす」と指摘しました。
 小林さんは「私も違憲だと考える。(日本に)交戦権はないので、軍事活動をする道具と法的資格を与えられていない」と説明しました。笹田さんも「従来の内閣法制局と自民党政権がつくった安保法制までが限界だ。今の定義では(憲法を)踏み越えた」と述べました。
 いずれも民主党の中川正春委員の質問に答えたものです。これに対して、法案提出前の与党協議を主導した公明党の北側一雄委員は「憲法の枠内でどこまで自衛の措置が許されるかを(政府・与党で)議論した」と反論したそうです。

 また、他国軍支援を随時可能にする国際平和支援法案に対しても、戦闘行為が行われていない現場以外なら他国軍に弾薬提供などの後方支援をできるようにされる点について、長谷部さんは「武力行使と一体化する恐れが極めて強い。今までは『非戦闘地域』というバッファー(緩衝物)を持っていた」と主張しました。
 小林さんは「後方支援は特殊な概念だ。前から参戦しないだけで戦場に参戦するということだ。言葉の遊びをしないでほしい。恥ずかしい」と述べました。
 戦争法案をめぐっては、憲法研究者のグループ171人が3日、違憲だとして廃案を求める声明を発表したばかりです。安倍政権の憲法解釈に対しては、専門家から異議が強まっていますが、それも当然のことです。

 憲法の専門家でなくても、政府・与党が嘘とごまかしで憲法の枠を広げようとしていることは、容易に理解できることです。その目的は、何とか自衛隊を海外に出して戦争に関与できるようにしたいということです。
 これは憲法の定める「専守防衛」の枠を大きく踏み越えることになります。「専守防衛」とは「自国が攻撃されたときにだけ反撃する」ということですが、今回の法整備がなされれば「日本と密接な関係にある他国が攻撃されたときにも反撃できる」ことになります。
 このように大きく変わるにもかかわらず、安倍首相は「専守防衛の考え方は全く変わりない」と答えています。つまり、新3要件さえ満たされれば「他国防衛」も「専守防衛」だというわけであり、言い換えれば「他国防衛」も「自国防衛」だということになります。
 「それはおかしいんじゃないか」と、誰もがそう思うでしょう。安倍首相とそのお仲間(安倍一族)以外の人であれば……。

 こんなデタラメな解釈が通用すると思っているのでしょうか。このような奇妙奇天烈な論理が国会で堂々と主張されているところに、今日の戦争法案審議の異常さが集中的に示されています。
 衆院憲法審査会での3人の参考人の証言は、このような国会の異常さを際立たせ、政府・与党の嘘とデタラメを明らかにし、憲法解釈の枠を守り、憲法の専門家としての誇りと矜持を示す重要な機会となりました。せっかくの参考人の意見ですから、今後の審議で大いに「参考」にすべきではないでしょうか。

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