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7月31日(火) 文科省への検察の捜査に関する『日刊ゲンダイ』でのコメント [コメント]

〔以下の私のコメントは、文科省への検察の捜査について『日刊ゲンダイ』2018年7月27日付に掲載されたものです。〕

 「森友問題では改ざんに関わった財務官僚が全員、不起訴になりましたが、加計問題では検察が動く気配すらない。安倍夫妻や仲間たち、体を張って首相を守った官僚らが関わる疑惑は見逃されると誰もが感じる状況になっています。特に文科省は、加計学園の獣医学部新設に抵抗したり、前川前次官が『総理の意向で行政が歪められた』と告発するなどして、官邸から目をつけられたために、狙い撃ちされているように見えてしまう。文科省の汚職と、モリカケのどちらが巨悪なのか。検察も行政組織の一部なのに、恣意的な捜査を行っていると国民に思われたら、行政の公平性・公正性を大きく損なうことになる。行政の信頼を根底から揺るがしているのは、検察組織と官邸です」(政治学者・五十嵐仁氏)


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7月28日(土) 杉田水脈議員の暴言に関連して行った『日刊ゲンダイ』でのコメント [コメント]

〔以下の私のコメントは、杉田水脈議員の暴言に関連して行ったコメントで『日刊ゲンダイ』2018年7月27日付に掲載されたものです。〕

 「安倍政権は、憲法25条が定める『国の生存権保障義務』を国からの『施し』と考えているのでしょう。この政権が続けば、年金受給額をますますカットし、支給開始年齢を引き上げる。いずれ高齢者は排除されるか、死ぬまで働くかの二択しかなくなってしまいます」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 「第2次安倍政権発足前年には『3・11』が発生。不安や恐怖心が増大する中、『絆』という美名で同調圧力や集団化が加速し、狭小なナショナリズムが台頭したように感じます。さらにSNSの発展を媒介にして、異端やマイノリティーを認めず、政権に盾突くものは許さない論調が拡散。ついには杉田氏のように、そんなヘイトムードにこびへつらう議員まで現れた。この風潮の根底にあるのも、やはり現代の新自由主義経済です。競争社会に生きづらさを感じても、少数派を排除することで、自分は多数派に属しているという心の安定をもたらす。それだけにヘイトはタチが悪いのです」


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7月27日(金) 杉田水脈議員は現代日本によみがえった「ナチスの亡霊」 [スキャンダル]

 まるで現代日本によみがえった「ナチスの亡霊」のようなものではありませんか。いま、差別発言で問題になっている自民党の杉田水脈議員のことです。

 杉田議員は雑誌に「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」(『新潮45』8月号)と寄稿し、厳しい抗議の声が上がっています。批判は杉田議員を擁護する自民党にも向けられ、議員辞職を求める行動も拡大しつつあります。
 子供を作らなければ「生産性」がないとするのも、だから税金を使ってはならないということも、全くの間違いです。子供を産むか産まないかで「生産性」を判断してはならず、「生産性」のあるなしで税金が使われてはならないからです。
 「生産性」のあるなしで人間の価値を判断し、差別してはなりません。それは人の能力に優劣をつける「優生思想」に通じ、このような思想に基づいてユダヤ人や障害者、同性愛者などを大量に虐殺したり収容所に送ったりしたナチスの蛮行と「地続き」だからです。

 杉田議員の暴言や妄言はこれにとどまりません。今日の『しんぶん赤旗』には、以下のような「人権否定の暴言」が紹介されています。
 「私たちが対峙しなければならなのは、ウソも100回叫べば真実になるという中国や韓国の報道活動、政治宣伝」「河野談話が反日の格好の情報発信源」(2014年2月3日の衆院予算員会)
 「女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名のもと、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等をめざしてきたことに起因します。男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想です」(同年10月13日、衆院本会議)
 「科研費を使って韓国の団体と一緒になって反日プロパガンダをやっている」「これは本当にゆゆしき問題」(18年2月26日、衆院予算員会第4分科会)

 ここに紹介されている発言だけでも、とんでもない暴言ばかりですが、これは「氷山の一角」にすぎません。「水面下」での発言は奇妙奇天烈な思い込みに満ちています。
 たとえば、次のようなものです。杉田水脈・河添恵子『「歴史戦」はオンナの闘い』からの引用は、いずれもウェブ(https://matome.naver.jp/odai/2146669224819971901 )に紹介されているものです。
 「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」「これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。今回の保育所問題もその一環ではないでしょうか」(杉田水脈のなでしこリポート(8))
 「慰安婦像を何個建ててもそこが爆破されるとなったら、もうそれ以上、建てようと思わない。建つたびに、一つひとつ爆破すればいい。」(杉田水脈・河添恵子『「歴史戦」はオンナの闘い』)
 「ソ連崩壊後、トホホな日本を舞台にコミンテルンのうごきは活発化していますよね。他国もそうですが、洗脳計画は現在進行形で進んでいると思います。コミンテルンが国連内部にも入り込んでいることも実感しました。」(同前)
 「他人のためにお金を使うのはイヤ、でも自分が貰えるものは最大限いただく、その最たるものが生活保護ですよね。子供たちに『大きくなったら何になりたいですか?』って尋ねたら、『公務員』と答えると話しましたが、それはまだいい方で、大阪だと『生活保護!』と答える子供がいるそうです」(同前)
 「グローバル化という名のもとにコミンテルンの世界支配が進んでいくー日本はその温床となっています。私たちがぼやぼやしているうちに、世界はどんどん次のステップに進んでいきます」(同前)
 「LGBTの主張は社会に不要な特権」(杉田水脈『なぜ私は左翼と戦うのか』)
 「伊藤詩織氏の事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」

 驚くべき妄言の数々です。コミンテルンがまだ存在しているかのように書いているなんてお笑い種です。
 コミンテルンは第2次世界大戦中の1943年に解散し、後継組織のコミンフォルムもとっくの昔になくなっています。大学院時代にコミンテルンも研究対象の一つだった私としては、いささか懐かしく思いましたが。
 このような意味不明で荒唐無稽な思い込みを、言葉にしたり書いたりする愚かさに気が付いていないのでしょうか。知的退廃の極みであり、人権意識のかけらもないこのような変人を比例代表で優遇し国会議員にしてしまった自民党の責任は重大です。

 日本維新の会から国会議員になり、次世代の党にいたときに自民党に誘ったのが安倍首相で仲立ちをしたのが櫻井よしこ氏、説得に当たったのが萩生田氏だったそうです。杉田議員は日本会議、統一教会、幸福実現党、在特会とも関係を持っており、この点からしても現代日本によみがえった「ナチスの亡霊」にほかなりません。
 「自民党に入って良かった」と言っているようですが、自民党は杉田議員をかばうのでしょうか。このような「ナチスの亡霊」と同類と見られてもかまわないということなのでしょうか。

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7月21日(土) 「打倒安倍政権」を実現するために「ひるまず、忘れず、諦めず」力を尽くしていこう [国会]

 通常国会が事実上、閉会しました。「通常国会」というよりも「異常国会」と言った方が良いような体たらくです。
 理不尽で不条理、嘘とデタラメ、隠ぺいに虚偽、失言というより妄言・暴言が相次ぎ、常識が通用しない異常な国会でした。戦後最低で最悪の安倍首相の横暴と強権が猛威を振るった最低・最悪の国会だったと言うべきでしょう。

 こんな逃亡、許して良いのかと思います。森友学園疑惑での安倍首相夫人の昭恵氏と嘘をつき続けた佐川元理財局長、加計学園疑惑での加計孝太郎氏と柳瀬首相秘書官、責任逃れと暴言に終始した麻生財務相、それに疑惑の中心で深く関与していた安倍首相。
 国会が幕を閉じ、これで逃げおおせたと思っているにちがいありません。「やれやれ、何とか逃げ切ったわい」と、ほくそ笑んでいるかもしれません。
 公文書が改ざんされ廃棄され、「ない」とされた文書が見つかり、答弁のうそが明らかになって国会審議の前提は根底から覆されました。それなのに誰も責任を取らず、真相は明らかにならないままです。これで良いのでしょうか。

 こんな法律、成立させて良いのかと思います。「働き方改革」関連法、カジノ新設を認める統合型リゾート(IR)実施法、定数6増の改正公職選挙法などです。
 「働き方改革」とは名ばかりで実態は過労死促進法にほかならず、「せっせと働いて、とっとと死ね」と言わんばかりの高度プロフェッショナル制度が導入されました。賭博を合法化して来る人を増やし、てら銭を稼いで景気を良くしようというのでは、江戸時代の宿場を牛耳っていたヤクザの親分のやり方と変わりません。
 あきれ返ってしまうのは、自分の都合だけで定数を増やした「合区救済」法です。「自分勝手」な法律である以上に「自民勝手」な法律だと言うべきでしょう。

 こんな首相、続投させても良いのでしょうか。疑惑にフタをして逃亡した張本人・最高責任者で、国民の多くが反対した法案をゴリ押しして成立させてしまった極悪人の安倍首相を。
 野党が分裂し、弱体化している今なら無理を押し通しても大丈夫だと高をくくっているのではないでしょうか。疑惑を払拭するための丁寧な説明も真相解明のための努力もせず、ひたすら不誠実な答弁を繰り返す姿にはうんざりさせられました。
 国会は閉幕しましたが、このまま頬かむりで逃亡するのを許してはなりません。特別委員会を設置するなど、引き続き疑惑解明と責任追及の努力を行い、安倍首相の3選阻止を目指すべきでしょう。

 この通常国会で「打倒安倍政権」を実現できなかったのは残念ですが、安倍首相が狙っていた改憲発議の野望を阻止することができました。しかし、自民党総裁選での争点として言及するなど安倍首相はまだあきらめておらず、3選されれば秋の臨時国会での最大の争点になる可能性があります。
 内閣支持率は下げ止まったとはいえまだ半分以下であり、調査によっては不支持率の方が高いままです。引き続き、戦後最低で最悪の安倍首相の横暴と強権の実態を明らかにし、「打倒安倍政権」を実現するために「ひるまず、忘れず、諦めず」力を尽くしていきたいものです。

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7月19日(木) 西日本豪雨の被災地支援についての『日刊ゲンダイ』でのコメントと若干の補足 [コメント]

 〔以下の私のコメントは、西日本豪雨の被災地支援について『日刊ゲンダイ』2018年7月18日付に掲載されたものです。〕

 「宴会問題で初動を批判された安倍政権ですが、その後も危機感をもって災害対応しているようには見えません。支援策を次々と発表していますが、中身が伴ったものではなく、お得意のポーズです。メディアは、発表された支援策をそのまま垂れ流し、安倍政権の印象操作に協力してしまっている。総額350億円の交付金支給前倒しが大したことないのは、被災自治体の受け止めを取材すればすぐにわかることです。メディアは、支援策が本当に被災者や被災自治体にとって役立ち、元気が出るものなのか、ひとつひとつ検証して報道すべきなのです」(法政大学名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 連日の猛暑で、脳みそが湯豆腐になってしまったのではないかと言いたくなります。西日本豪雨が始まって以来の安倍政権と自民党の対応です。
 すでに、繰り返し指摘してきたように、気象庁が豪雨災害に対して緊急の記者会見を開いて厳重な警戒を呼びかけたのが7月5日の午後2時でした。その3時間後の午後5時から問題の宴会「赤坂自民亭」が開かれ、そこには安倍首相、上川法相、小野寺防衛相、西村官房副長官をはじめとした政府・自民党の幹部が出席していました。
 そこで女将役を務めていたのが、翌日のオウム真理教幹部7人の死刑執行にゴーサインを出した上川法相でした。安倍首相と言い、上川法相と言い、よく酒を飲んで騒ぐ気になったものです。人間としての心がないというしかありません。

 その3日後の8日になってから、ようやく安倍首相を本部長とする災害対策本部が設置されました。初動の遅れは明白であり、決定的な失態でした。
 この失態を挽回しようということで、安倍首相は矢継ぎ早に「対策」を打ち出しましたが中身の乏しいものです。お得意の「ポーズだけ」の印象操作にすぎません。
 被災地支援ということで純粋に支出するのは、予備費の約20億円にすぎないのです。北朝鮮危機を名目にした「陸上イージス」には、2000億円も支出するというのに。

 危機や脅威に対する安倍首相の認識の歪みが、この点に象徴的に示されているのではないでしょうか。災害対策や被災地支援のための費用が、軍事的な危機対応のための予算のわずか100分の1にすぎないという事実に。

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7月12日(木) オウム真理教関係者の死刑執行を前にした自民党の宴会についての『日刊ゲンダイ』でのコメントと若干の補足 [自民党]

〔以下の私のコメントは、オウム真理教関係者の死刑執行を前にした宴会について『日刊ゲンダイ』2018年7月11日付に掲載されたものです。〕

 「安倍首相も上川法相も、他人の命など、なんとも思っていないのでしょう。死刑執行のボタンは3つあり、3人の刑務官が同時に押します。誰が命を奪ったか分からないようにしている。直接殺したという事実に耐えられないからです。ところが、7人処刑を決めた上川法相や、安倍首相からは、人の命を奪うことに対する苦悩が感じられない。せめて、処刑の前夜は、家で静かに過ごすことが死刑囚への礼儀でしょう。なのに酒宴とは、安倍さんも上川さんも、人として大事なモノが欠落しています」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 かつて、オウム真理教のような「カルト集団」は社会の片隅に存在していました。今は、日本会議のような「カルト集団」が安倍政権の中枢を占めるようになっています。
 かつては、まじめで影響されやすい一部の若者が洗脳され、誤った道に踏み込んでいきました。今は、日本中の真面目で影響されやすい多くの若者が検定教科書と道徳教育によって洗脳され、誤った道に踏み込もうとしています。
 オウム真理教がめざした世の中は、決して過ぎ去った昔のことではありませんでした。あれは、日本社会の行く末を予兆する未来のディストピア(暗黒郷)だったのです。

 安倍首相も上川法相も、日本がそのような社会になることを望んでいるのかもしれません。だからこそ、その扉を開いたオウム真理教の麻原彰晃元教組や他の幹部に対して、人間的な憐憫も命を奪うことへの苦悩も感ずることがなかったのではないでしょうか。

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7月10日(火) 西日本の豪雨被害と安倍政権の対応についての『日刊ゲンダイ』でのコメントと若干の補足 [災害]

〔以下の私のコメントは、西日本の豪雨被害と安倍政権の対応について『日刊ゲンダイ』2018年7月9日付に掲載されたものです。〕

 「安倍政権は北朝鮮危機をあおり、5年連続で防衛予算を増やしてきましたが、過去最大5兆円超に膨らんだうち、わずかでも防災・減災に回していれば、豪雨被害はここまで拡大しなかったはずです。北朝鮮危機では一人も犠牲者は出ていませんが、ここ数年、立て続いた豪雨被害では多くの方が命を落としてきました。結局、首相にとっての『危機』とは政権維持と支持率向上に役立つものだけ。ゆがんだ危機意識によって、常日頃からの災害への備えが手薄となっているのです。『国民の生命を守り抜く』という掛け声も口先だけ。歴史的な災害には、歴史的にも万全な対策を講じるべきなのに、安倍政権の後手後手対応はそれこそ歴史に汚点を残す最悪なものです」

 西日本を中心とする豪雨被害は、今朝の段階で死者126人、心肺停止が2人、行方不明や連絡が取れない人は79人となりました。犠牲者が200人を上回る可能性が大きい大災害となっています。
 捜索や救助に全力を傾け、これ以上の犠牲者を生まないような緊急対応が必要です。安倍首相は予定していた外遊を取りやめましたが、当然のことです。
 国会も災害対策に全力を挙げ、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案など不要不急の法案審議に時間を費やすべきではありません。与野党が一丸となって被災者の救援や災害復興に全力を尽くしてもらいたいものです。

 今回の大災害に際して、初動に問題があったことは明らかです。すでに九州などで豪雨になっていた5日夜、安倍首相は議員宿舎の「赤坂自民亭」で自民党国会議員らと懇親のための宴会に出ていました。野党から「緊張感が足りない」などと批判があがっていますが、豪雨被害の危機に対する認識が不十分だったことは否定できません。
 主催者の1人で懇親会に出席していた竹下亘自民党総務会長は「どのような非難もお受けする。これだけの災害になるという予想は、私自身はもっていなかった」と釈明しました。安倍首相はどう思っているのでしょうか。
 政府の非常災害対策本部の設置が8日になったことも、遅すぎたのではないかという批判があります。これも緊張感や危機への認識が不足していたことの現れでしょう。

 このような問題が生ずるのは、安倍首相にとって危機とはもっぱら安全保障上のもので、自然災害によるものへの認識が欠落しているからです。災害への危機対応を軽視し、軍事的な危機対応ばかりを偏重するという危機認識の歪みが、多くの問題を生み出しています。
 北朝鮮からのミサイル攻撃を理由に必要でもないJアラートの訓練に国民を動員し防衛費を増やし続ける一方で、毎年のように繰り返される集中豪雨や水害、地震の被害を防止するための予算や工事を先送りしてきたツケが回ってきたというべきでしょう。あるかどうかわからない空想的な危機ではなく、常にあり得る現実的な危機にきちんと対応できるような政権に変えなければ、政治のエネルギーや国費が無駄遣いされ国民の命も生活も守られないという教訓を、今回の豪雨災害から学ぶべきではないでしょうか。

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7月8日(日) 民主法律家協会から「相磯まつ江記念・法と民主主義賞」の特別賞をいただいた [日常]

 昨日、永田町の全国町村会館で民主法律家協会の総会がありました。そこで、機関誌『法と民主主義』に書いた論攷に特別賞をいただきました。

 先日のことです。突然、メールが飛び込んできました。
 「件名」の欄には、「第14回「相磯まつ江記念・法と民主主義賞」受賞のお知らせと授賞式へのご出席のお願い」と書かれています。最初は何のことか分からず、「新手の詐欺かな?」などと思ったものです。
 しかし、文面を読んだら、そうではないことが判明しました。そこには、こう書いてあったのです。

 当協会では、「相磯まつ江記念『法と民主主義』賞」が設定されて、今年は14回目を迎えます。毎年、昨年4月~今年2・3月号までの『法と民主主義』に掲載された優れた特集や論文を選んで表彰させていただいております。毎回、定時総会の開催にあわせて、授賞式がおこなわれます。
 ……
 2017年11月号(№523)の「特集●2017年衆議選──私たちは何をなすべきか」が、第14回「法と民主主義」特別賞に決定されました。この号にご執筆いただいた先生には、ぜひ、授賞式にご出席いただけますよう、ご案内申しあげます。
……
 ◆終了後、懇親会を同会場の1階レストラン・ペルランにて開催いたします。ご招待させていただきます。引き続き、ご参加いただけますようお待ちしております。

 ということで、高尾山のふもとの八王子から、永田町までのこのこと出かけていったというわけです。表彰状と記念品の扇子を受け取り、懇親会でただ酒をたらふく飲ませていただきました。
 二次会でもご馳走していただき、感謝に堪えません。どうやって帰ってきたのか、よく覚えておりませんが、それでもちゃんと帰り着き、翌朝には自宅の布団で目覚めましたのでご心配なく。

 「特別賞」というのは、個別の論攷ではなく「2017衆院選 ――私たちは何をなすべきか」という特集全体が評価されたということのようです。この特集に執筆したのは私だけでなく、中野晃一、広渡清吾、谷口長世、大江京子、澤藤統一郎、上田文雄、新里宏二、金子修、赤嶺朝子さんでしたので、これらの方との一緒の受賞ということになります。
 賞状に書かれていた受賞の理由は、以下の通りです。

 あなたがたは、「法と民主主義」11月号「特集・2017 衆院選-私たちは何をなすべきか」において、2016年の 参院選に続いて、安倍政権に対して市民と立憲野党が共同のたたかいに取り組んだ2017年10月の衆院選について、このたたかいを振り返り、記録し、総括をしています。 そこで重要なのは、選挙がたたかわれる社会のなかの基礎条件、すなわち、市民と野党の共同のし方、市民と政党・市民と市民のつながり方、選挙制度それ自体などを考察し、政治を変えるために選挙をかえるという可能性を探ったことです。このような可能性の探索が今後に持つ意義を高く評価し、本賞を授与します。
第14回相磯まつ江記念 法と民主主義特別賞
2018年7月7日 日本民主法律家協会

 嬉しいですね。このような団体から、このような理由で、このように表彰されるなんて、夢にも思っていませんでしたから。
 ここに書いた論攷「衆院選を教訓に、市民と立憲野党の共闘の深化を」は、このブログで、昨年の12月5~9日に4回に分けてアップされています。興味のある方は、ご笑覧ください。
 これはその後、大幅に手を入れて最新刊『打倒安倍政権―9条改憲阻止のために』(学習の友社、2018年4月)の第2章「市民と立憲野党の共闘の刷新と深化」として組み込まれています。こちらの方も、お買い求めいただければ幸いです。

 「石流れ、木の葉沈む」理不尽な政治と社会を変えるために、何としても「打倒安倍政権」を実現したいと「蟷螂の斧」を振るってきましたが、それがこのような形で評価され、嬉しい限りです。志を同じくする方が、このように沢山おられるということにも励まされました。
 憲法12条が要請する「不断の努力」の一環として、「ひるまず、忘れず、諦めず」微力を尽くしていきたいと思います。そのためにも、このブログで書き続け、声を上げていく所存ですので、これからもよろしくお願いいたします。

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7月4日(水) 自由と権利を守るために「不断の努力」を行うことは憲法上の義務なのだ [憲法]

 前回のブログで、憲法12条の重要性についてして指摘しました。そして、「自由や権利を守るという点で国民も政治・行政・司法も中立ではなく、それを「保持」するために「不断の努力」を行わなければならず、それは憲法上の義務なのだということを忘れてはならないのではないでしょうか」と書きました。
 国民にとっては自由と権利を守るためにある程度の「迷惑」は耐えるという「努力」が必要であり、行政機関などは自由と権利を守るための活動を保障し、支援しなければならないということになります。とりわけ、憲法99条で憲法尊重擁護義務を負っている天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員などは、憲法12条の趣旨を尊重し擁護しなければなりません。

 ところが、安倍政権の走狗と化している政治家、行政や司法はこのような義務を果たしていないばかりか、自由と権利を無視し奪い破壊する先兵になっています。たとえば、『東京新聞』7月3日付は「『No9』とプリントされたTシャツを着た女性が先月末、参議院の委員会室を傍聴しようとしたところ、入り口で職員に制止された」ことを報じていますが、これは「示威宣伝に当たる衣類の着用を許可しない」という「内規」に違反したからだというのです。
 憲法を守ろうという主張を込めたTシャツの着用を、表現の自由を守るために「不断の努力」を行い憲法を尊重し擁護する義務を負っている公務員が制止したということになります。これは憲法よりも「内規」を優先した憲法違反の対応ではありませんか。
 自由と権利を守るために努力せよとの憲法の要請よりも、9条改憲をめざしている安倍政権の政治姿勢への忖度を優先させたことになります。安倍首相が9条改憲をめざしていなければこのような対応は取られなかったにちがいありません。

 東京都の迷惑防止条例や新宿区が実施しようとしている新たなデモ規制などが、言論・表現の自由を規制するものだとして批判を浴びています。近隣住民にとっての「迷惑行為」を禁止したり防止したりするための措置だとして正当化されていますが、「不断の努力」を求めている憲法12条と、それを尊重し擁護することを義務付けている憲法99条の趣旨からすれば、自由と権利を守るために多少の「迷惑」については国民も甘受するべきだということになるでしょう。
 しかも、何が「迷惑」かは人によって受け取り方は異なり、最終的にそれを判断するのは取り締まりに当たる公務員たる警察官です。「みだりにうろつくこと」や「名誉を害する事項を告げること」などの行為が、条例違反に当たるかどうかを恣意的に判断され罰せられる可能性もあります。
 デモの出発地として使用できる公園を制限しようとする新宿区の規制に対して、自由法曹団東京支部は「デモ行進自体、かかる表現行為を通じて社会にその問題を知らしめ、政治的意思表示を行うことで社会を改善するためのものであり、騒音を理由に規制することは表現行為を禁止するに等しい」と、懸念を表明しています。このような規制は集会・結社・表現の自由を保障した憲法21条違反であるだけでなく、その権利を保持するための「不断の努力」を求めた憲法12条違反になり、公務員に対して尊重擁護義務を定めた憲法99条違反でもあり、三重の憲法違反にほかなりません。

 逆に、憲法で保障されている自由と権利を守るために市民が声を上げたり運動したりするのは、憲法12条が要請する国民としての義務を果たすための当然の行為に過ぎません。政治・司法・行政はこのような国民の努力を鼓舞し、擁護し、推進し、支援しなければならない憲法上の義務を負っているのです。
 憲法9条は平和を守るべきことを、憲法12条は自由と権利を擁護するべきことを、そして憲法99条はこのような規定を尊重し擁護することを、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員に義務づけています。安倍首相はじめこれらの人々には、憲法を熟読し自らが負っている憲法上の責務を改めて自覚していただきたいものです。

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7月2日(月) 自由と権利の保持のための不断の努力を国民に求めた憲法12条の重要性 [憲法]

 最近、憲法の条文のなかでも特に重要なのは、12条ではないかという気がしてきました。とりわけ、政治・社会運動に関わる人々にとって、日本国憲法12条は運動理念にも等しい重要な意味を持っているのではないでしょうか。

 まず、その条文を確認しておきましょう。それは次のようになっています。
 〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 この条文は、後段にある「自由及び権利」の「濫用」防止という点で注目され、「公共の福祉のために」用いる「責任」が強調されてきました。しかし、それ以上に重要なのは、前段にある「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という部分だと思われます。
 憲法は権力者に対する命令書であって、99条に定められている憲法尊重擁護義務から国民は除外されています。権力者の恣意的な権力行使を制限し、その暴走を抑えるための「檻」のようなものだからです。
 しかし、この12条は他の条文とは異なり、国民に対する直接的な要請が書かれています。この憲法が「保障する自由及び権利」は、国民自身による「不断の努力」によって「これを保持しなければならない」と。

 7月1日付『東京新聞』の一面に「<世界の中の日本国憲法> 『世界最古』の未改正憲法 人権規定充実 平和主義貫く」という記事が大きく出ていました。この記事に登場するのは「あらゆる憲法の条文を比較研究しているケネス・盛(もり)・マッケルウェイン東大准教授」です。
 准教授は、「約四十本ある未改正の現存憲法の中では、日本国憲法は一番古い」と指摘しています。その理由として、人権規定が多く制定当時は「とても進歩的」(准教授)だったし、今でも十分世界に通用する水準であること、統治機構の規定が少なく、憲法を変えなくても法改正で対応できること、「日本国憲法は軍の最高司令官や兵役、軍事裁判所も書いていない。全部ない憲法はすごく珍しい」平和憲法であることなどを挙げ、改憲に必要な議会の承認に関しては、衆参両院の三分の二以上の賛成が必要とする日本国憲法は「一番スタンダード(標準的)」であると、改憲論者の言いがかりに反論しています。
 日本国憲法には時代を越えて長く通用する生命力があり、それにはちゃんとした理由があるということなのです。そして、その理由の一つである人権規定が多いという「とても進歩的」な側面を支えてきたのが12条であり、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という規定だったのではないでしょうか。

 この規定は、憲法が保障する「自由及び権利」を守るために国民が「不断の努力」を行うことを求め、国民は自由と権利を守るために努力すべきこと、それらが侵されそうになったら抵抗すべきことを要請しているのです。このような国民一人一人の努力が積み重なり集まることになれば、それは集団的な行動となり政治・社会運動となります。
 したがって、政治や行政・司法はこのような国民の努力を支える憲法上の義務を負っていることになります。自由と権利のために運動することはもとより、そのために努力する個人や集団を支援することは憲法に書かれている要請なのです。
 冒頭で、私が「政治・社会運動に関わる人々にとって、日本国憲法12条は運動理念にも等しい重要な意味を持っている」と書いたのは、このような意味からです。自由や権利を守るという点で国民も政治・行政・司法も中立ではなく、それを「保持」するために「不断の努力」を行わなければならず、それは憲法上の義務なのだということを忘れてはなりません。

 自由と権利が忘れられ奪われ失われるような時代にあって、国民一人一人ができる範囲とやり方で自由と権利を守るために努力することはますます重要になっています。自由と権利を守る砦として憲法12条を政治と生活に活かすこと、その旗を掲げて「不断の努力を行う」ことこそ、憲法を守る国民としてのあるべき姿なのだということを再確認したいものです。

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