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7月22日(水) 残された左目を殴られたのは1972年2月28日のことだった [戦争立法]

 「裁判所の前で、左目を殴られたことがあったでしょう。あの時、救急車で運ばれた病院はどこだったかしら。私が付き添っていったんだけど、覚えてる? あさま山荘事件の日で、心配しながらテレビを見ていたの」

 先日、戦争法案についての講演会があり、その後の交流会が終わった後、見送りに出てくれた大学後輩のMさんがこう言いました。覚えていませんでした。
 右目を失明させられた事件の裁判を傍聴に来ていた友人たちに挨拶したとき、突然、暴力学生の一団が現れて左目を殴られ、救急車で運ばれたことは覚えています。その時、担ぎ込まれたのが慈恵医大病院だったことも……。
 しかし、その時、病院まで付き添ってくれたのがMさんだったことや、その日があさま山荘事件の日だったことも全く覚えていませんでした。ということは、左目を殴られて病院に担ぎ込まれた日は1972年2月28日だったということになります。

 都立大学の学生だった私が、全共闘を名乗っていた暴力学生の1人に竹ざおで右目を刺されて失明したのは、その前年の1971年9月10日のことでした。犯人のWは傷害罪の容疑で逮捕され、東京地裁での裁判が始まります。
 私は検察側証人として出廷し証言することになっていました。その前に、支援に来ていた友人たちに会いに行ったとき、この事件が起きたのです。
 すでにこの時、私の右眼は義眼でしたから、左目を殴られれば全く見えなくなってしまいます。証人として出廷が予定されていた私が病院に運び込まれたため、公判は延期されました。

 応急処置をされて救急車で運ばれる間、その直前に見た映画「アラビアのロレンス」の一場面を鮮明に思い出しました。「あれが、この目で見ることができた最後の映画だったかもしれない」と思いながら……。
 半ば、失明を覚悟していたのです。右目を失い、そして左目も見えなくなるかもしれないという不安と恐怖を抱きながら……。
 治療が終わって、左目が見えることを知ったときの喜びは、今も忘れることができません。この時、何かと面倒見てくれたMさんのことを忘れてしまったのは、その喜びがあまりにも大きかったからだと思います。

 突然のことでしたので、私に殴り掛かった学生のことは良く覚えていません。しかし、私の左目を狙って殴り掛かってきたことは、はっきりと覚えています。
 自分たちの仲間が傷つけて右目を失明させたことを反省するどころか、その残された左目を狙って殴り掛かってきたわけです。それが人間のやることなのでしょうか。
 暴力に頼る者は、その人自身も暴力によって壊されてしまうということでしょう。人としての感性も自制も相手への思いやりも、そして自らの人間性や人格さえも……。

 国や社会も同じなのではないでしょうか。力や暴力に頼ろうとした時から、その国や社会は壊れ始めていくように思います。
 そのような国や社会になっても良いのか。70年間拒否してきたそのような歩みからそれてしまって良いのかが、今、私たちに問われているように思います。

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