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7月17日(木) 理解不能な誤魔化しはどんなに説明しても理解されるわけがない [集団的自衛権]

 集団的自衛権をめぐって衆参両院の予算委員会で2日間にわたって行われた閉会中審査について「質疑が不十分だ」として、野党はさらなる閉会中審査を行うよう自民党に要求しました。高村正彦自民党副総裁は集団的自衛権の行使を可能とする閣議決定に基づく安全保障関連法案の国会審議に関して来年の通常国会で衆参両院に特別委員会を設置すべきだとの認識を示しています。
 集団的自衛権の行使容認について国民の不安は大きく、反対意見も多くなっています。十分な説明がなされていないと感じている人は8割にも上っています。

 たとえば、閣議決定を受けて7月2~3日に読売新聞が行った緊急世論調査によれば、集団的自衛権を限定的に使えるようになったことについて「評価する」が36%、「評価しない」は51%と半数を越えました。以前、読売新聞が行った世論調査で限定を含めて集団的自衛権更新容認論が7割もあったことに比べれば、大きな変化です。
 以前の調査は3つの選択肢のうち賛成が2つもあるという「3択のトリック」によるものでした。そのような「トリック」を用いなければ、読売新聞の調査であっても反対の方が過半数を越えるのです。
 限定容認によって日米同盟が強化され、抑止力が高まると思う人は39%で、「そうは思わない」が49%と、抑止力が高まるとは思わない人の方が多くなっています。また、政府が集団的自衛権をめぐる問題を国民に十分に説明していないと思う人は81%もの多数に上っています。

 このように、今後も国民への説明がなされ、国会でも十分に審議することは必要です。しかし、長い時間をかけてそうしたからといって、果たして国民は十分に理解できるでしょうか。
 国民が十分に理解できないのは、集団的自衛権の行使容認を決めた閣議決定が誤魔化しに満ちているからではありませんか。それに対する安倍首相の説明も、うそを言ったりでたらめだったりして、国民の疑問や懸念にまともに答えるものとなっていないからではないでしょうか。
 どれほど時間をかけて説明しても、もともと説明できないような論理に基づく無理な決定であれば、国民が理解できるはずがありません。しかも、安倍首相はそのデメリットやリスクを隠そうとしており、国民の目を誤魔化すような不真面目な答弁に終始しています。

 これでは、国民の納得を得ることはできません。もともと、国民に説明できないような矛盾に満ちた政策転換だったのですから、それも当然でしょう。
 その最たるものは、国内向けと国外向けを使い分けた2枚舌です。安倍首相は、国内向けには1日の記者会見で、「現行の憲法解釈の基本的考えは、今回の『閣議決定』でも何ら変わることはない」と強調し、国外のオーストラリア連邦議会では、「なるべくたくさんのことを諸外国と共同してできるように、日本は安全保障の法的基盤を一新しようとしている」と演説しました。
 「安全保障の法的基盤を一新」したのに「憲法解釈の基本的考えは……何ら変わることはない」というわけです。この説明を聞いて、「良くわかった」という国民はどれほどいるでしょうか。

 安倍首相はあまりにも不誠実だと、この言葉を読んだ誰もがそう思うでしょう。今回の閣議決定の元になった報告書を出したのは「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」であり、それに基づいて閣議決定で新しい「3要件」を定め、これまで「できない」とされていた集団的自衛権に基づく武力行使を「できる」ようにしたというのが、一連の経過だったのではありませんか。
 この経過を見ていた国民が、「何ら変わることはない」などと説明されれば、面食らって混乱するだけでしょう。「変わることはない」のに「一新しようとしている」だなんて?
 「変わることはない」というのであれば、どうして閣議決定までして集団的自衛権についての態度を変更する必要があったのか。安倍首相のオーストラリアでの演説にあるように、これまで「できなかった」ことが「諸外国と共同してできる」ようになったのに、それでも「変わることはない」というのは、一体、どういうことなのか、と。

 閣議決定自体が矛盾に満ちた誤魔化しにほかならないものでした。そのうえ、安倍首相は国民に真実を語らず、言い逃れに終始しています。このような状況が続く限り、どれほどの時間をかけても国民の理解を得ることは不可能でしょう。
 とはいえ、国会という場での審議には大きなメリットがあります。このような誤魔化しと言い逃れが国民の目にさらされ、その矛盾が赤裸々に示される貴重な機会となるでしょうから……。

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