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12月25日(火) NHK大河ドラマ「平清盛」に見る民主党政権の限界と挫折 [民主党]

 「平清盛と源頼朝の違いはどこにあったと思いますか。どちらも『武士の世』をめざして、一方は失敗し、他方は成功したわけですが」

 先日の東村山での講演会後の懇親会で、この日に最終回を迎えたNHKの大河ドラマ「平清盛」が話題になりました。その時、私の発した問いが冒頭のようなものです。
 皆さんは、どう思われますか。「武士の世を創る」という同じ目標を掲げていたのに、どうして平清盛は失敗し、源頼朝は成功したのでしょうか。
 この問題は、今回の総選挙で惨敗を喫した民主党の政権運営を考えるうえでも参考になります。どうして民主党はかくも惨めな失敗をもたらすことになってしまったのかを……。

 その答えは、古い政治の枠組みに依存しようとしたのか、それを壊して新しい政治の枠組みを生み出そうとしたのか、という点になります。清盛は前者であり、頼朝は後者です。
 「武士の世」をめざして福原遷都を強行しながらも、清盛は天皇を中心とする従来の政治体制を引き継ぎ、福原に内裏を作って高倉帝を迎えようとします。これに対して、頼朝は天皇の権威に頼らず、京都から遠く離れた鎌倉に全く新しい武士の都を作ろうとしました。
 天皇や上皇・法皇などを中心とする古い政治の枠組みを否定し、全く新しい枠組みを鎌倉に作ったのです。民主党は、このような形で古い政治の枠組みを否定することができず、新しい政治のあり方を生み出すこともできませんでした。

 ここに、民主党の限界があり、今回の惨敗を招いて挫折した遠因があります。沖縄の普天間基地問題の解決を目指して「国外」「最低でも県外」を主張したものの、結局は辺野古移転の日米合意に戻り、財政赤字の解決や社会保障の維持をめざして安定した財源を模索したものの、結局は消費税を増税するという古いやり方を踏襲してしまいました。
 目標は正しくても、それを解決すべき新しい発想もなければ、これまでとは違った方策を打ち出す能力もなかったわけです。ここに民主党の限界と挫折の要因がありました。
 それが結局、党内外の失望を招き、旧来の政治への回帰をもたらしてしまいます。公家などの貴族や一門の多くの抵抗によって「福原遷都」が失敗し、わずか半年で平安京(京都)への「還都」に屈することになった清盛と同様の失敗であったと言えるでしょう。

 このような失敗を防ぐためには、古い政治の枠組みを大胆に転換するべきだったのです。全く新しい政治のあり方を創造することでしか、このような転換は不可能です。
 それができなかったために、「平安京還都」とも言うべき自公政権の復活が生じようとしています。安倍元首相は、清盛の野望に立ちふさがった後白河法皇のようなものです。
 しかし、「平安京還都」と後白河法皇の復活は、貴族による政治の再生をもたらしませんでした。やはり、時代の要請に応えることができなかったからです。

 政権に復帰する安倍元首相も時代の要請に応えることはできず、おそらく平家や後白河院と同じような末路を辿ることになるでしょう。その時、平家を壇ノ浦まで追いつめて打ち破った源義経の役割を演ずるのは、一体、誰になるのでしょうか。

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