So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の10件 | -

7月12日(木) オウム真理教関係者の死刑執行を前にした自民党の宴会についての『日刊ゲンダイ』でのコメントと若干の補足 [自民党]

〔以下の私のコメントは、オウム真理教関係者の死刑執行を前にした宴会について『日刊ゲンダイ』2018年7月11日付に掲載されたものです。〕

 「安倍首相も上川法相も、他人の命など、なんとも思っていないのでしょう。死刑執行のボタンは3つあり、3人の刑務官が同時に押します。誰が命を奪ったか分からないようにしている。直接殺したという事実に耐えられないからです。ところが、7人処刑を決めた上川法相や、安倍首相からは、人の命を奪うことに対する苦悩が感じられない。せめて、処刑の前夜は、家で静かに過ごすことが死刑囚への礼儀でしょう。なのに酒宴とは、安倍さんも上川さんも、人として大事なモノが欠落しています」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 かつて、オウム真理教のような「カルト集団」は社会の片隅に存在していました。今は、日本会議のような「カルト集団」が安倍政権の中枢を占めるようになっています。
 かつては、まじめで影響されやすい一部の若者が洗脳され、誤った道に踏み込んでいきました。今は、日本中の真面目で影響されやすい多くの若者が検定教科書と道徳教育によって洗脳され、誤った道に踏み込もうとしています。
 オウム真理教がめざした世の中は、決して過ぎ去った昔のことではありませんでした。あれは、日本社会の行く末を予兆する未来のディストピア(暗黒郷)だったのです。

 安倍首相も上川法相も、日本がそのような社会になることを望んでいるのかもしれません。だからこそ、その扉を開いたオウム真理教の麻原彰晃元教組や他の幹部に対して、人間的な憐憫も命を奪うことへの苦悩も感ずることがなかったのではないでしょうか。

nice!(0) 

7月10日(火) 西日本の豪雨被害と安倍政権の対応についての『日刊ゲンダイ』でのコメントと若干の補足 [災害]

〔以下の私のコメントは、西日本の豪雨被害と安倍政権の対応について『日刊ゲンダイ』2018年7月9日付に掲載されたものです。〕

 「安倍政権は北朝鮮危機をあおり、5年連続で防衛予算を増やしてきましたが、過去最大5兆円超に膨らんだうち、わずかでも防災・減災に回していれば、豪雨被害はここまで拡大しなかったはずです。北朝鮮危機では一人も犠牲者は出ていませんが、ここ数年、立て続いた豪雨被害では多くの方が命を落としてきました。結局、首相にとっての『危機』とは政権維持と支持率向上に役立つものだけ。ゆがんだ危機意識によって、常日頃からの災害への備えが手薄となっているのです。『国民の生命を守り抜く』という掛け声も口先だけ。歴史的な災害には、歴史的にも万全な対策を講じるべきなのに、安倍政権の後手後手対応はそれこそ歴史に汚点を残す最悪なものです」

 西日本を中心とする豪雨被害は、今朝の段階で死者126人、心肺停止が2人、行方不明や連絡が取れない人は79人となりました。犠牲者が200人を上回る可能性が大きい大災害となっています。
 捜索や救助に全力を傾け、これ以上の犠牲者を生まないような緊急対応が必要です。安倍首相は予定していた外遊を取りやめましたが、当然のことです。
 国会も災害対策に全力を挙げ、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案など不要不急の法案審議に時間を費やすべきではありません。与野党が一丸となって被災者の救援や災害復興に全力を尽くしてもらいたいものです。

 今回の大災害に際して、初動に問題があったことは明らかです。すでに九州などで豪雨になっていた5日夜、安倍首相は議員宿舎の「赤坂自民亭」で自民党国会議員らと懇親のための宴会に出ていました。野党から「緊張感が足りない」などと批判があがっていますが、豪雨被害の危機に対する認識が不十分だったことは否定できません。
 主催者の1人で懇親会に出席していた竹下亘自民党総務会長は「どのような非難もお受けする。これだけの災害になるという予想は、私自身はもっていなかった」と釈明しました。安倍首相はどう思っているのでしょうか。
 政府の非常災害対策本部の設置が8日になったことも、遅すぎたのではないかという批判があります。これも緊張感や危機への認識が不足していたことの現れでしょう。

 このような問題が生ずるのは、安倍首相にとって危機とはもっぱら安全保障上のもので、自然災害によるものへの認識が欠落しているからです。災害への危機対応を軽視し、軍事的な危機対応ばかりを偏重するという危機認識の歪みが、多くの問題を生み出しています。
 北朝鮮からのミサイル攻撃を理由に必要でもないJアラートの訓練に国民を動員し防衛費を増やし続ける一方で、毎年のように繰り返される集中豪雨や水害、地震の被害を防止するための予算や工事を先送りしてきたツケが回ってきたというべきでしょう。あるかどうかわからない空想的な危機ではなく、常にあり得る現実的な危機にきちんと対応できるような政権に変えなければ、政治のエネルギーや国費が無駄遣いされ国民の命も生活も守られないという教訓を、今回の豪雨災害から学ぶべきではないでしょうか。

nice!(1) 

7月8日(日) 民主法律家協会から「相磯まつ江記念・法と民主主義賞」の特別賞をいただいた [日常]

 昨日、永田町の全国町村会館で民主法律家協会の総会がありました。そこで、機関誌『法と民主主義』に書いた論攷に特別賞をいただきました。

 先日のことです。突然、メールが飛び込んできました。
 「件名」の欄には、「第14回「相磯まつ江記念・法と民主主義賞」受賞のお知らせと授賞式へのご出席のお願い」と書かれています。最初は何のことか分からず、「新手の詐欺かな?」などと思ったものです。
 しかし、文面を読んだら、そうではないことが判明しました。そこには、こう書いてあったのです。

 当協会では、「相磯まつ江記念『法と民主主義』賞」が設定されて、今年は14回目を迎えます。毎年、昨年4月~今年2・3月号までの『法と民主主義』に掲載された優れた特集や論文を選んで表彰させていただいております。毎回、定時総会の開催にあわせて、授賞式がおこなわれます。
 ……
 2017年11月号(№523)の「特集●2017年衆議選──私たちは何をなすべきか」が、第14回「法と民主主義」特別賞に決定されました。この号にご執筆いただいた先生には、ぜひ、授賞式にご出席いただけますよう、ご案内申しあげます。
……
 ◆終了後、懇親会を同会場の1階レストラン・ペルランにて開催いたします。ご招待させていただきます。引き続き、ご参加いただけますようお待ちしております。

 ということで、高尾山のふもとの八王子から、永田町までのこのこと出かけていったというわけです。表彰状と記念品の扇子を受け取り、懇親会でただ酒をたらふく飲ませていただきました。
 二次会でもご馳走していただき、感謝に堪えません。どうやって帰ってきたのか、よく覚えておりませんが、それでもちゃんと帰り着き、翌朝には自宅の布団で目覚めましたのでご心配なく。

 「特別賞」というのは、個別の論攷ではなく「2017衆院選 ――私たちは何をなすべきか」という特集全体が評価されたということのようです。この特集に執筆したのは私だけでなく、中野晃一、広渡清吾、谷口長世、大江京子、澤藤統一郎、上田文雄、新里宏二、金子修、赤嶺朝子さんでしたので、これらの方との一緒の受賞ということになります。
 賞状に書かれていた受賞の理由は、以下の通りです。

 あなたがたは、「法と民主主義」11月号「特集・2017 衆院選-私たちは何をなすべきか」において、2016年の 参院選に続いて、安倍政権に対して市民と立憲野党が共同のたたかいに取り組んだ2017年10月の衆院選について、このたたかいを振り返り、記録し、総括をしています。 そこで重要なのは、選挙がたたかわれる社会のなかの基礎条件、すなわち、市民と野党の共同のし方、市民と政党・市民と市民のつながり方、選挙制度それ自体などを考察し、政治を変えるために選挙をかえるという可能性を探ったことです。このような可能性の探索が今後に持つ意義を高く評価し、本賞を授与します。
第14回相磯まつ江記念 法と民主主義特別賞
2018年7月7日 日本民主法律家協会

 嬉しいですね。このような団体から、このような理由で、このように表彰されるなんて、夢にも思っていませんでしたから。
 ここに書いた論攷「衆院選を教訓に、市民と立憲野党の共闘の深化を」は、このブログで、昨年の12月5~9日に4回に分けてアップされています。興味のある方は、ご笑覧ください。
 これはその後、大幅に手を入れて最新刊『打倒安倍政権―9条改憲阻止のために』(学習の友社、2018年4月)の第2章「市民と立憲野党の共闘の刷新と深化」として組み込まれています。こちらの方も、お買い求めいただければ幸いです。

 「石流れ、木の葉沈む」理不尽な政治と社会を変えるために、何としても「打倒安倍政権」を実現したいと「蟷螂の斧」を振るってきましたが、それがこのような形で評価され、嬉しい限りです。志を同じくする方が、このように沢山おられるということにも励まされました。
 憲法12条が要請する「不断の努力」の一環として、「ひるまず、忘れず、諦めず」微力を尽くしていきたいと思います。そのためにも、このブログで書き続け、声を上げていく所存ですので、これからもよろしくお願いいたします。

nice!(0) 

7月4日(水) 自由と権利を守るために「不断の努力」を行うことは憲法上の義務なのだ [憲法]

 前回のブログで、憲法12条の重要性についてして指摘しました。そして、「自由や権利を守るという点で国民も政治・行政・司法も中立ではなく、それを「保持」するために「不断の努力」を行わなければならず、それは憲法上の義務なのだということを忘れてはならないのではないでしょうか」と書きました。
 国民にとっては自由と権利を守るためにある程度の「迷惑」は耐えるという「努力」が必要であり、行政機関などは自由と権利を守るための活動を保障し、支援しなければならないということになります。とりわけ、憲法99条で憲法尊重擁護義務を負っている天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員などは、憲法12条の趣旨を尊重し擁護しなければなりません。

 ところが、安倍政権の走狗と化している政治家、行政や司法はこのような義務を果たしていないばかりか、自由と権利を無視し奪い破壊する先兵になっています。たとえば、『東京新聞』7月3日付は「『No9』とプリントされたTシャツを着た女性が先月末、参議院の委員会室を傍聴しようとしたところ、入り口で職員に制止された」ことを報じていますが、これは「示威宣伝に当たる衣類の着用を許可しない」という「内規」に違反したからだというのです。
 憲法を守ろうという主張を込めたTシャツの着用を、表現の自由を守るために「不断の努力」を行い憲法を尊重し擁護する義務を負っている公務員が制止したということになります。これは憲法よりも「内規」を優先した憲法違反の対応ではありませんか。
 自由と権利を守るために努力せよとの憲法の要請よりも、9条改憲をめざしている安倍政権の政治姿勢への忖度を優先させたことになります。安倍首相が9条改憲をめざしていなければこのような対応は取られなかったにちがいありません。

 東京都の迷惑防止条例や新宿区が実施しようとしている新たなデモ規制などが、言論・表現の自由を規制するものだとして批判を浴びています。近隣住民にとっての「迷惑行為」を禁止したり防止したりするための措置だとして正当化されていますが、「不断の努力」を求めている憲法12条と、それを尊重し擁護することを義務付けている憲法99条の趣旨からすれば、自由と権利を守るために多少の「迷惑」については国民も甘受するべきだということになるでしょう。
 しかも、何が「迷惑」かは人によって受け取り方は異なり、最終的にそれを判断するのは取り締まりに当たる公務員たる警察官です。「みだりにうろつくこと」や「名誉を害する事項を告げること」などの行為が、条例違反に当たるかどうかを恣意的に判断され罰せられる可能性もあります。
 デモの出発地として使用できる公園を制限しようとする新宿区の規制に対して、自由法曹団東京支部は「デモ行進自体、かかる表現行為を通じて社会にその問題を知らしめ、政治的意思表示を行うことで社会を改善するためのものであり、騒音を理由に規制することは表現行為を禁止するに等しい」と、懸念を表明しています。このような規制は集会・結社・表現の自由を保障した憲法21条違反であるだけでなく、その権利を保持するための「不断の努力」を求めた憲法12条違反になり、公務員に対して尊重擁護義務を定めた憲法99条違反でもあり、三重の憲法違反にほかなりません。

 逆に、憲法で保障されている自由と権利を守るために市民が声を上げたり運動したりするのは、憲法12条が要請する国民としての義務を果たすための当然の行為に過ぎません。政治・司法・行政はこのような国民の努力を鼓舞し、擁護し、推進し、支援しなければならない憲法上の義務を負っているのです。
 憲法9条は平和を守るべきことを、憲法12条は自由と権利を擁護するべきことを、そして憲法99条はこのような規定を尊重し擁護することを、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員に義務づけています。安倍首相はじめこれらの人々には、憲法を熟読し自らが負っている憲法上の責務を改めて自覚していただきたいものです。

nice!(0) 

7月2日(月) 自由と権利の保持のための不断の努力を国民に求めた憲法12条の重要性 [憲法]

 最近、憲法の条文のなかでも特に重要なのは、12条ではないかという気がしてきました。とりわけ、政治・社会運動に関わる人々にとって、日本国憲法12条は運動理念にも等しい重要な意味を持っているのではないでしょうか。

 まず、その条文を確認しておきましょう。それは次のようになっています。
 〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 この条文は、後段にある「自由及び権利」の「濫用」防止という点で注目され、「公共の福祉のために」用いる「責任」が強調されてきました。しかし、それ以上に重要なのは、前段にある「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という部分だと思われます。
 憲法は権力者に対する命令書であって、99条に定められている憲法尊重擁護義務から国民は除外されています。権力者の恣意的な権力行使を制限し、その暴走を抑えるための「檻」のようなものだからです。
 しかし、この12条は他の条文とは異なり、国民に対する直接的な要請が書かれています。この憲法が「保障する自由及び権利」は、国民自身による「不断の努力」によって「これを保持しなければならない」と。

 7月1日付『東京新聞』の一面に「<世界の中の日本国憲法> 『世界最古』の未改正憲法 人権規定充実 平和主義貫く」という記事が大きく出ていました。この記事に登場するのは「あらゆる憲法の条文を比較研究しているケネス・盛(もり)・マッケルウェイン東大准教授」です。
 准教授は、「約四十本ある未改正の現存憲法の中では、日本国憲法は一番古い」と指摘しています。その理由として、人権規定が多く制定当時は「とても進歩的」(准教授)だったし、今でも十分世界に通用する水準であること、統治機構の規定が少なく、憲法を変えなくても法改正で対応できること、「日本国憲法は軍の最高司令官や兵役、軍事裁判所も書いていない。全部ない憲法はすごく珍しい」平和憲法であることなどを挙げ、改憲に必要な議会の承認に関しては、衆参両院の三分の二以上の賛成が必要とする日本国憲法は「一番スタンダード(標準的)」であると、改憲論者の言いがかりに反論しています。
 日本国憲法には時代を越えて長く通用する生命力があり、それにはちゃんとした理由があるということなのです。そして、その理由の一つである人権規定が多いという「とても進歩的」な側面を支えてきたのが12条であり、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という規定だったのではないでしょうか。

 この規定は、憲法が保障する「自由及び権利」を守るために国民が「不断の努力」を行うことを求め、国民は自由と権利を守るために努力すべきこと、それらが侵されそうになったら抵抗すべきことを要請しているのです。このような国民一人一人の努力が積み重なり集まることになれば、それは集団的な行動となり政治・社会運動となります。
 したがって、政治や行政・司法はこのような国民の努力を支える憲法上の義務を負っていることになります。自由と権利のために運動することはもとより、そのために努力する個人や集団を支援することは憲法に書かれている要請なのです。
 冒頭で、私が「政治・社会運動に関わる人々にとって、日本国憲法12条は運動理念にも等しい重要な意味を持っている」と書いたのは、このような意味からです。自由や権利を守るという点で国民も政治・行政・司法も中立ではなく、それを「保持」するために「不断の努力」を行わなければならず、それは憲法上の義務なのだということを忘れてはなりません。

 自由と権利が忘れられ奪われ失われるような時代にあって、国民一人一人ができる範囲とやり方で自由と権利を守るために努力することはますます重要になっています。自由と権利を守る砦として憲法12条を政治と生活に活かすこと、その旗を掲げて「不断の努力を行う」ことこそ、憲法を守る国民としてのあるべき姿なのだということを再確認したいものです。

nice!(1) 

6月30日(土) ワールドカップの影で強行された働き方改革関連法案の採決についての『日刊ゲンダイ』でのコメント [労働]

〔以下の私のコメントは、ワールドカップへの熱狂のどさくさに紛れて強行された働き方改革関連法案採決について『日刊ゲンダイ』2018年6月30日付に掲載されたものです。〕

 「労働法制は人の生き死にかかる重要な政策です。過労死を容認するような中身で、多くの問題点が明らかになっているのですから、強行して成立させるような法案ではありません。政府も当初こそ『労働者のため』と言っていましたが、ここへきて経営者の利益が優先されていることも見えてきました。正々堂々と議論できないから、『国民がW杯に気を取られているうちに……』『サーカスに惑わされているうちに……』という姑息なやり方で法案を成立させようとするのでしょう」

 「支持率1%に低迷したままの国民民主は立憲民主とは違うことをして独自性を示したいのでしょうが、与党を利するだけです。『野党の足並みが乱れている』とメディアに報じられ、有権者にも『党利党略』と思われ、結果的に国民民主にとってプラスにならない。支持率も上がりませんよ。どうしてそういうことが分からないのでしょう」(五十嵐仁氏=前出)

nice!(1) 

6月29日(金) 憲法の理念を活かした外交・安全保障はどうあるべきなのか [憲法]

 6月27日のブログで、私は「拉致問題を解決するためにも安倍首相を引きずり降ろさなければならない」と書きました。これは私の勝手な思い込みだというわけではありません。
 安倍首相では拉致問題は解決できないという意見は、世論の多数になっているからです。毎日新聞が6月23、24両日に実施した全国世論調査で、安倍首相が意欲を示している日朝首脳会談による日本人拉致問題の解決に「期待できる」は18%にとどまり、「期待できない」が66%に上りました。
 7割近くの国民は、安倍さんに期待できないと考えているわけです。そうであるなら、安倍さん以外の方に首相となって拉致問題の解決に取り組んでいただく以外にないでしょう。

 そもそも、安倍首相は憲法の理念を活かした外交・安全保障政策には全く関心がなく、その逆の道を歩んできました。憲法に自衛隊の存在を書き込む改憲案を提起しているだけでなく、首相就任以来、「戦争する国」「戦争できる国」をめざした好戦的政策を具体化し、軍事大国に向けて暴走を続けてきたからです。
 野党や世論の反対を押し切って特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法などを制定し、防衛費も毎年の増額によって1兆2000億円も増やし、長距離巡航ミサイルなどの攻撃的兵器を導入し、オスプレイの購入などによる装備と自衛隊基地の増強、沖縄の辺野古での米軍新基地建設、教育での道徳の教科化や愛国心教育の強化などを強行してきました。いずれも、軍事的対応による安全保障をめざしたもので、軍事力によらない安全保障を志向する憲法の理念に反するものばかりです。
 憲法は、その前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳い、9条には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書かれています。つまり、国民の「安全と生存」は「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼によって「保持」されるべきで、「国際紛争」も戦争、武力の「威嚇」や「行使」によって「解決」されてはならないというのが憲法の要請なのです。

 北朝鮮危機、核やミサイルの問題を軍事力で解決することもいとわない姿勢を示していた安倍首相は、このような憲法の要請に完全に反していました。憲法上の制約を受ける日本の首相は、アメリカのトランプ大統領と一致するような対応を取ってはならなかったのです。
 トランプ大統領が、軍事的なオプションを含めてあらゆる選択肢がテーブルの上にあると言った時、安倍首相が100%共にあると言うことは許されず、軍機的な選択肢を外しなさいと諫言するべきでした。それが、平和憲法を順守するべき日本の首相としてのあるべき姿だったのです。
 今後の朝鮮半島での緊張緩和、ミサイルと核問題の解決に当たっても同様です。戦争や軍事力に訴えるのではなく、非軍事的な手段によって非核化への道を具体化していくのが日本としての取るべき道にほかなりません。

 これについて、昨日の『朝日新聞』の「論壇時評」に示唆的な論攷が掲載されていました。小熊英二さんの「ゲーム依存と核 関係性の歪み 北朝鮮にも」という記事です。
 小熊さんは、ゲーム依存について、「依存症とは、社会関係の歪みから生じる病なのだ。関係の歪みから依存になると、関係がますます歪み、さらに依存が深まる。強制して一時的にやめさせても、当人の社会関係が変わらないとすぐ依存が再発する。周囲の人がやるべきことは、説教や恫喝ではなく、社会関係の再構築を助けることだ」とし、北朝鮮の核問題も同様だと指摘するのです。つまり、「猜疑心や敵対心、相互不信がつのると、核兵器が増加する。逆にいえば、猜疑心や相互不信に満ちた関係を作り変えることなしに、核兵器をなくすのは難しいのだ」と指摘し、「猜疑心や相互不信に満ちた関係を作り変えること」が大切だと主張しています。
 日本についても、「日本はなぜ核武装しないのか。それは、そうしなくてもよい国際関係があるからだ。また核武装したら、その国際関係が破綻するからだ」とし、「いちど核依存になった国は、圧力だけかけても効果は薄い。北朝鮮も同様だ。全面戦争で双方に大量の犠牲者を出したいのでなければ、関係を再構築していくほかない。その具体策を考える際には、日本自身が、安全保障上の不安をやわらげる国際関係なしには核武装をあきらめなかったことを念頭におくべきだ」「力で恫喝すれば何でも解決すると考えるのは非現実的であり、幼稚である。外交とはすなわち、国際関係を再構築する努力にほかならないはずだ」というのが、小熊さんの結論です。

 力による「恫喝」ではなく、「国際関係を再構築する努力」こそが必要であり、それこそが「外交」だというのです。それには「猜疑心や相互不信に満ちた関係を作り変える」知恵も忍耐力も必要で、相手を納得させるような道理に立脚した説得力も不可欠でしょう。
 憲法の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することによって、このような道理や説得力を手にすることができたはずです。それを安倍首相は投げ捨て、相手の猜疑心や不信を高めてきたというのが、「戦争する国」に向けての好戦的政策実施のプロセスにほかなりませんでした。
 憲法に反した暴走の連続だったというだけではありません。「平和憲法」を持つ国であるからこそ実現できたはずの紛争解決への道を閉ざし、国際社会で享受できたはずの「名誉ある地位」を踏み外してしまったと言うべきではないでしょうか。

 この日の『毎日新聞』一面下のコラム「余録」にも、注目すべき文章が書かれていました。「武器効果」という用語についての指摘です。
 「心理学に『武器効果』という用語がある。胸にわだかまるイライラや欲求不満が、時に他人への攻撃衝動に変わることがあるのは人の悲しい一面である。それを結びつけるものの一つが『武器』の存在という▲ストレスを与えられた人に銃を見せると攻撃的になるという心理実験があるそうだ。銃などの武器が人の心にひそむ攻撃のイメージや記憶を呼び覚まし、欲求不満などによる怒りを攻撃衝動へと結びつけてしまうのだといわれている」
 武器の存在こそが、人々のイライラや欲求不満、ストレスを攻撃衝動に変えてしまうのだというのです。逆にえば、イライラや欲求不満などによる怒りなどがあっても、武器がなければ簡単には攻撃衝動に結びつかないということになります。

 国家や国家指導者についても、同じことが言えるのではないでしょうか。核やミサイルなどの武器があるからこそ、攻撃衝動へと結びつくのだと。
 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言したことの深い含意を、ここから汲み取ることができるように思われます。安倍首相がめざしてきた軍事力依存の「積極的平和主義」や軍事大国路線こそが攻撃衝動を高める極めて危険な道だったということも、同じように学び取ることができるのではないでしょうか。

nice!(0) 

6月28日(木) 米朝首脳会談が切り開いた「対決から対話へ」の歴史的転換 [国際]

 国際政治を動かすベクトルが逆転したということではないでしょうか。米朝首脳会談の歴史的な意義はそこにあると言うべきでしょう。
 この意味を理解せず、その大転換を前提としないどのような議論も、国際政治の行く末を論ずることや見通すことはできません。それほど大きな激変が、6月12日にシンガポールで起きたということです。

 朝鮮半島を舞台にした戦争の危機が回避されただけでも大きな成果でした。アメリカと北朝鮮の「どちらが勝ったのか」などという議論がありますが、どちらも戦争を望んでいなかったというのであれば、「どちらも勝った」ということになります。
 戦争で大もうけを狙っていた一部の軍産複合体という「戦争屋」どもを除けば、平和的な解決を望んでいたのは朝鮮半島やその周囲の人々だけでなく世界の大多数の人々でした。戦争ではなく平和的な交渉による問題解決への道が開かれたのですから、これらの人々も「勝者」だったと言えます。
 もし、「敗者」がいるとすれば、それは日本の安倍首相でしょう。「圧力」一辺倒で首脳会談実現の足を引っ張ったあげく、トランプ米大統領には貿易面で裏切られ、ロシアのプーチン大統領にも領土問題で騙され、北朝鮮の金正恩委員長からは相手にされず、韓国の文在寅大統領とはギクシャクしたままで、中国の習近平主席からも適当にあしらわれるという醜態を演じ、「蚊帳の外ではない」と叫びながら蚊帳の外で飛び回っている一匹の蚊のようになってしまったのですから。

 特に、北朝鮮との関係では先方の厳しい対応が際立っています。これまでの拉致問題をめぐる日朝交渉で北朝鮮は日本への強い不満を抱き不信感を高めてきたからです。
 しかも、その中心に居て、時にはアメリカの背後で軍事的な対応さえほのめかし、常に圧力のみを主張し続けてきたのが安倍首相でした。このような安倍首相への嫌悪と反感は、米朝首脳会談後も払しょくされていないようです。
 なかでも最悪だったのが、1月16日に河野太郎外相がカナダ・バンクーバーで開催された北朝鮮問題を話し合う関係国の外相会合で、北朝鮮との外交関係の断絶や北朝鮮労働者の送還を呼びかけた声明でした。平昌での冬季オリンピックへの北朝鮮代表団の参加などが予定され、米朝首脳会談に結びつく動きが始まっていた段階でのこのような呼びかけは、日本政府がいかに事態の進展を見誤っていたかを象徴的に示すものだったと言って良いでしょう。

 米朝首脳会談では、アメリカによる体制保障と北朝鮮の非核化が約束されました。同じようなことはこれまでも約束され、北朝鮮によって破棄され覆られるという歴史が繰り返されています。
 このような経過もあって、北朝鮮は信用できない、今回の合意も抽象的で具体性に欠けており、裏切られるにちがいないという悲観的な見方が支配的です。しかし、このような見方は今回の首脳会談の歴史的な意義を十分に理解していない誤ったものだと思います。
 米朝両国における外交・安全保障政策のベクトルが大きく変化したことは誰にも否定できない事実だからです。非核化に向けて揺れ戻しや紆余曲折はあるでしょうし、一直線には進まず時間はかかるでしょうが、この方向でしか問題の解決はあり得ず、それをどう確実なものにするのかという立場から対応すべきではないでしょうか。

 これまでとの違いを言えば、今回の合意は米朝両国の最高指導者によってなされたものだという点が重要です。担当者や実務者レベルの約束ではなく、史上初めての米朝首脳会談による合意であり、簡単に覆されるようなものではありません。
 また。米朝首脳会談に関連して、南北朝鮮の首脳会談、北朝鮮と中国との首脳会談など、関連するトップ同士での合意が積み重ねられているという点も重要です。なかでも、中国との間では3回もの首脳会談が行われ、シンガポールへの往来のために特別機まで中国から提供されました。
 このように、今回の米朝合意の後ろ盾になっているのが中国だという点も重要です。アメリカや日本が軍事的なオプションを含めた圧力路線を主張していた時にも、朝鮮半島での戦争に反対し非核化を望んでいた中国とロシアはあくまでも対話による問題の解決を主張していたからです。

 決定的に重要なのは、対話と交渉の道が開かれ、朝鮮半島における緊張の緩和と信頼の醸成に向けての具体的な措置が次々に実施されているということです。その結果、日本に対する脅威も大きく減少しました。
 『朝日新聞』6月27日付の社説「ミサイル防衛 陸上イージスは再考を」が「安全保障分野で脅威とは、相手の『能力』と『意図』のかけ算とされる。北朝鮮にミサイルがあることは事実だが、対話局面に転じた情勢を無視して、『脅威は変わらない』と強弁し続けるのは無理がある」と指摘しているように、北朝鮮の「意図」が大きく変化しました。小野寺防衛相が「北朝鮮の脅威はなにも変わっていない」と繰り返しているのは、このような安全保障のイロハを理解していないからです。
 もちろん、非核化とミサイルの削減によって攻撃「能力」を減らしていくことが必要です。同時に、緊張緩和と信頼醸成による攻撃「意図」の縮小も大きな意味を持ち、この点ではすでに多くの具体的な措置が取られているということに注目する必要があります。

 6月25日に、韓国と北朝鮮は朝鮮戦争の開戦68周年を迎えましたが、南北は軍の通信回線を復旧させる実務協議を行い、今は1回線しかない回線を過去に最大で9回線あった状態まで復旧させることで合意しました。韓国統一省は、26日に鉄道連結、28日に道路連結、7月4日に北朝鮮の荒廃した山林復旧の実務協議を板門店などで行うという新たな対話の日程を明らかにしました。
 韓国の各地では記念式典も開かれましたが、李洛淵(イナギョン)首相は、ソウル市内で開かれた式典で、「(南北の軍事境界線近くに展開する)長距離砲を後方に移すことが議論されている」と明らかにしています。他方、朝鮮通信によれば、北朝鮮の労働新聞(電子版)は25日付で、朝鮮戦争に関する7件の記事を載せましたが、米国を名指しで非難せず「米帝」の表現も使いませんでした。
 すでに米朝首脳会談前に、拘束されていた3人のアメリカ人が帰国し、首脳会談直後には米韓軍事演習の中止も発表されています。訪ロした文韓国大統領とロシアのプーチン大統領との間でシベリア横断鉄道と朝鮮半島を横断する鉄道の連結についても協調していく方針で一致し、プサン発ロンドン行きのユーラシア大陸横断鉄道も夢ではなくなっています。

 新しい歴史的な局面に向けての扉が、東アジアで開かれようとしているということです。朝鮮戦争の終結が宣言され、最後まで残った「冷戦」が終わろうとしているように思われます。
 「対決」から「対話」へとベクトルが逆転し、国際関係を律する原則が大きく方向を転じました。日本国憲法前文と9条が本格的に活かされ、その本領を発揮するような「活憲の時代」が、今こそ幕を開けようとしているのではないでしょうか。

nice!(0) 

6月27日(水) 拉致問題などの諸懸案を解決するためにも安倍首相を引きずり降ろさなければならない [国際]

 昨日のブログで、こう書きました。「トランプ大統領によれば、金正恩委員長は拉致問題について『解決済み』とは言及しなかったとされていますが、論評は北朝鮮が従来の立場を変えていないことを示唆するものでした。その後、この問題についての報道はないようですが、北朝鮮の出方が注目されます。」
 今日の『毎日新聞』には、「この問題についての報道」が新たに掲載されていました。その表題は「拉致問題『ない』 北朝鮮がけん制」となっており、記事は以下のようなものです。

 <北朝鮮の国営ラジオ、平壌放送は26日に伝えた論評で、「日本は今日まで過去の犯罪について謝罪し賠償するどころか、逆にありもしない拉致問題をわめきたてて自らを『拉致被害国』に化けさせようと破廉恥に策動している」と非難した。ラヂオプレス(RP)が伝えた。
 拉致問題の解決に向け日朝首脳会談の実現を目指す安倍政権を改めてけん制した。平壌放送は15日にも、拉致問題は『既に解決された』と主張する論評を伝えていた。>

 ここで言及されている15日の放送については昨日のブログでも紹介し、「米朝首脳会談で事態が大きく動くかのような期待は、またも裏切られるのではないでしょうか」と指摘しました。この記事は、このような指摘をさらに裏付けるものとなっています。
 政府もマスコミも、このような事実をなぜきちんと国民に伝えようとしないのでしょうか。安倍首相によって拉致問題の解決に向けて事態が動き始めているような幻想をまき散らすことはやめるべきです。
 お昼のTVニュースでも、国連軍縮会議で北朝鮮代表は非核化について「日本は首を突っ込むべきではない」と批判したと伝えていました。これらの報道が示しているのは、北朝鮮は米朝首脳会談前から示していた安倍首相に対する厳しい姿勢を、首脳会談後も取り続けているということです。

 これらの経緯を見れば、日朝首脳会談の実現はかなり難しいように思われますが、もし実現したとしても、そこで安倍首相は何を主張するのでしょうか。拉致問題は解決済みだという北朝鮮に対して、これまでと同様の主張を繰り返すだけであれば事態が打開される可能性はほとんどありません。
 打開の道は、日朝平壌宣言が示していた拉致、核・ミサイル、植民地支配など過去の清算という両国間の諸懸案を包括的に解決して国交正常化を目指すという方向しかありません。これらの諸懸案を総合的に議論する中で拉致問題についても解決の道が切り開かれるのではないでしょうか。
 しかし、月刊誌『FACTA』の最新号の記事によれば、北朝鮮を非難して国内の人気を高めるために拉致問題を中途半端な状態にしておくよう安倍首相が外務省に圧力をかけたそうです。そのような安倍首相に、日朝平壌宣言に沿った国交正常化交渉と北東アジアの緊張緩和に向けての包括的で総合的な対話が可能でしょうか。

 拉致問題をはじめとした日朝間の諸懸案を解決することも、北東アジアをめぐる平和体制の構築についても、安倍首相では不可能だと言わなければなりません。「必要なのは対話ではない。圧力だ」と言い続けてきたツケが、今、回ってきているということではないでしょうか。
 安倍政権を打倒することは、これらの問題の解決への展望を開くためにも必要になっています。安倍首相がその座を去ることが早ければ早いほど、外交面でも新たな希望と展望が早まるというのが現時点における北東アジア情勢の大きな特徴にほかなりません。

nice!(0) 

6月26日(火) 米朝首脳会談などによる国際情勢の激変についての『日刊ゲンダイ』へのコメントと若干の補足 [国際]

 〔以下の私のコメントは、米朝首脳会談などによる国際情勢の激変についての『日刊ゲンダイ』に掲載されたものです。参考のために、アップさせていただきます。〕

*『日刊ゲンダイ』2018年6月13日付
 「世界のリーダーは、安倍首相に呆れているでしょうね。重要な外交方針を〝圧力〟から〝対話〟にカンタンに変えてしまった。しかも、変更した理由も情けない。ひとつは、トランプ大統領が〝米朝融和〟へカジを切ったから合わせるしかなかった。もうひとつは『このままではバスに乗り遅れる』と慌てて北朝鮮に秋波を送ったのでしょう。関係国の米、中、ロ、韓は北朝鮮との対話に向かっているのに、日本だけは接触できていませんからね。要するに、信念から外交方針を変えたわけではない。国際社会では、口にしたことをころころ変える、こういううトップが一番信用されない。しかも、安倍首相は心の中で米朝会談の〝失敗〟を期待していることも見透かされています。世界のリーダーは、日本の首相を哀れに思っているはずです」(法政大学名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

*『日刊ゲンダイ』2018年6月23日付
 「安倍政権がこの5年間に強引な手法で成立を急いだ特定秘密保護法や安保法、共謀罪などは、いずれも北朝鮮の脅威などを理由にしていましたが、北をとりまく国際情勢が激変した今、エネルギーと時間の無駄遣いだったことがはっきりしました。そして、その間のアベ政治によって、三権分立も民主主義も総崩れになり、経済や外交もメタメタ。アベノミクスは異次元緩和の出口すら見えず、外交では米ロにだまされ、北からは相手にもされず孤立化している。現実に目を向けず、やれW杯だ、東京五輪だと浮かれていると、行き着く先は国民生活の破綻。死屍累々の状況を覚悟した方がいいでしょう」

 ここでも指摘しているように、米朝首脳会談をめぐる安倍首相のトランプ米大統領への追随ぶりは、これまで以上に際立っています。首脳会談を開催すると言えば、「対話のための対話には意味がない」と言い続けてきたこれまでの発言を翻して「支持」を表明し、途中で「開催をやめる」と言った時も直ちにこれを「支持」し、さらにその後、「やめるのをやめる」と言った時にも、安倍首相は直ぐに「支持」を表明しました。
 トランプ大統領のやること、言うことは何でも支持するという無定見ぶりです。どこに、独立国としての判断や主張があるのでしょうか。
 拉致問題でも、首脳会談で取り上げてもらいたいとトランプ大統領にお願いするだけでした。トランプ大統領は首脳会談で拉致問題を取り上げ、北朝鮮の金正恩委員長は「安倍首相と会う可能性がある。オープンだ」と前向きな姿勢を示したと伝えられています。

 しかし、これで拉致問題についての事態が進展するほど、甘くはなかったようです。安倍首相に対する北朝鮮側の評価が厳しく、日朝首脳会談を急ぐ必要はなく、従来の態度を変えたという確証もないからです。
 最近も、北朝鮮の朝鮮中央通信は安倍政権が森友学園の問題をはじめとするスキャンダルで行き詰まるなど安倍政権に批判が集まっていることを紹介しながら、「安倍一味は、彼らに集まる怒りのまなざしをそらして政権の危機を免れるために」 「拉致問題」や「最大の圧力」を持ち出しているなどと主張していました。岡田充共同通信客員論説委員は、北朝鮮との日朝首脳会談の可能性を打診した安倍政権に対し、北朝鮮当局が「一切取り合うな」との指示を出していたことが明らかになったと伝え、4月27日の南北首脳会談と米朝首脳会談など、国際的対話の枠外に置かれる安倍政権は当面、北との対話の契機をつかめないまま孤立を深めることになると報じていました。
 5月12日にも、朝鮮中央通信は安倍政権が「既に解決した拉致問題を再び持ち出して世論を形成している」とし、「朝鮮半島の平和の流れを阻もうとする稚拙で愚かな醜態だ」と非難する論評を配信していました。米朝首脳会談でのやり取りは、このような風向きが変わったのではないかとの期待を高めましたが、そうではなかったようです。

 米朝首脳会談が開かれた2日後の6月14日、外務省の志水史雄アジア大洋州局参事官はモンゴルのウランバートルで開催された国際会議の場で、北朝鮮外務省のシンクタンク、軍縮平和研究所のキム・ヨングク所長と短時間接触し、拉致問題の解決に向けた日本政府の基本的な立場を伝えたと外務省が発表しました。これが首脳会談後の最初の「接触」でした。
 外務省は「非公式に意見交換した」と発表していますが、正式の会談を設定することができず、面と向かっての「意見交換」もできなかったようです。実態は廊下での立ち話、それも行き過ぎる北朝鮮の代表団を追いかけて一方的に話したのではないでしょうか。
 志水氏は、拉致問題は日朝が直接向き合い、解決すべきだとの安倍晋三首相の考えを伝達したとされ、キム氏の発言については明らかにせず、外務省幹部は北朝鮮側の反応について「(従来の姿勢と)大きな変化はなかったようだ」と語っています。モンゴル外務省の関係者によると、北朝鮮代表団の一人は「日本が提起する内容は今の良い流れを阻害しかねない」と語ったということで、拉致問題に対する拒否反応とみられています。

 つまり、これまでと変わらない反応だったということになります。米朝首脳会談で事態が大きく動くかのような期待は、またも裏切られるのではないでしょうか。
 このような見方を裏付けるように、北朝鮮の国営ラジオ「平壌放送」は6月15日に報じた論評で、日本人拉致問題について「既に解決された」と言及しています。トランプ米大統領が米朝首脳会談で拉致問題を提起した後、北朝鮮メディアが拉致問題は解決済みとの従来の主張を表明したのは初めてのことです。
 トランプ大統領によれば、金正恩委員長は拉致問題について「解決済み」とは言及しなかったとされていますが、論評は北朝鮮が従来の立場を変えていないことを示唆するものでした。その後、この問題についての報道はないようですが、北朝鮮の出方が注目されます。

nice!(0) 
前の10件 | -