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3月22日(火) 小学校にはいないのに、なぜ保育園に「待機児童」が存在するのか [社会]

 「保育園落ちた日本死ね!!!」という書き込みが大きな反響を呼びました。その言葉はまさに心からの叫びだったために痛烈で、そうであるがゆえに多くの人の共感を得たのでしょう。
 私も共稼ぎで子どもを保育園にあずけ、その送り迎えで苦労しました。子育ての苦労と保育行政の遅れに対する強い憤りは良く分かります。

 俳優の津川雅彦さんが「そこまで言って委員会」で、この問題について「(日本死ね!のブログを)書いた人間が××(死ね)ばいい」と暴言を吐き、出演者は爆笑したそうです。これはネットで問題になり、「キチガイじみた発言をする津川雅彦・それを爆笑する狂った出演者・そしてそれを垂れ流す読売テレビ」などと、フェイスブックでも批判を招いています。
 保育園に入れず、仕事を続けられない苦労が、これらの人には分からないのでしょうか。これはイデオロギーの問題ではなく人間性の問題です。
 困った人に寄り添うだけの感性を持たない人々がここにいます。そのような人が社会の公的な問題に対して発言する資格があるのでしょうか。

 保育園に入れない潜在的な待機児童が4万9000人もいると報じられています。共稼ぎの場合、保育園にあずけられなければ、仕事を休むか辞めなければなりません。
 その対象は母親であるというのが、暗黙の裡に前提されています。しかし、子育ては母親だけの問題ではなく父親も当事者です。
 したがって、子どもが保育園に入れなくて困るのは母親だけではありません。子育てをめぐる困難はママさんだけでなく、パパさんの問題でもあるということを忘れたくないものです。

 保育園には待機児童がいますが、小学生に待機児童はいません。満6歳になったすべての子供は、1人の例外もなく全員が小学校に入れます。
 小学校には待機児童がいないのです。それなのに、どうして保育園にはいるのでしょうか。
 小学校は義務教育ですが、保育園は「義務保育」ではないからです。しかし、小学校と同等の位置づけで希望者全員が入れるようにするという姿勢で取り組めば、待機しなければならない子供をなくすことができるはずです。

 保育園が足りないという言い訳は通用しません。小学校は足りなければ充足するまで作るではありませんか。
 保育士さんが足りないという言い訳も通用しません。先生が足りないから学校に来るのを待ってくれと小学生に言いますか。
 保育園が足りなければ作ればよいではありませんか。保育士さんが足りなければ、増やすための方策をとればよいではありませんか。

 これらの措置を、これまでの歴代政権と自治体はサボタージュしてきました。だから、保育園は足りず、保育士も充足していないのです。
 「予算の壁」は言い訳にはなりません。必要な予算は手当すれば良いだけのことです。
 必要でもないオスプレイを17機も購入するために約30億ドル(3600億円)を支出しても、必要な保育園の建設や保育士の処遇改善のための3000億円は支出しないという予算のあり方が問題なのです。この政治の意思こそが最大の「壁」にほかなりません。

 私が大学院で学んでいたころ、私自身もそうでしたが、先輩や仲間の大学院生は保育園に子供を預けられずに苦労しました。皆さん、院生として研究しており、定職についていなかったからです。
 窮した先輩の中には赤ちゃんを背負って区役所の窓口に行き、「何とかしてくれ」と言って座り込んだ方もいました。それから約40年たちますが、事態はほとんど改善されていなかったのです。
 何ということでしょうか。政治と行政は何をやっていたのでしょうか。

 子供を育てにくい社会では、子どもが生まれ育つはずがありません。少子化は、この日本社会が大きな歪みを持ち、子どもを産み育てることも子供が健やかに育っていくことも難しい社会であることを示しています。
 そして、それに怒って異議を申し立てれば、袋叩きにして笑いものにするのです。こんな世の中に一体誰がしてしまったのでしょうか。
 子供の数が減り続けているのは、このような世の中にしてしまった為政者に対する暗黙のレジスタンスであり、社会的なストライキなのです。この問題を、これまでの為政者で政権党たる自民党が解決できないということは、その代弁者である津川雅彦さんの言葉がはっきりと証明しています。

 子供を産み育てることの難しい社会は、いずれ消滅せざるを得ません。「日本を守る」とは、本来、持続可能な社会にするということではありませんか。
 「保育園落ちた日本死ね!!!」という言葉は、保育園にも入れないような社会は持続可能性を失い、いずれ「死」を迎えざるを得ないと告発していたのです。この言葉を袋叩きにして笑いものにしている限り、このような「死」を免れることはできないでしょう。


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12月2日(水) マイナンバー制度は直ちに中止するべきだ [社会]

 先週末、帰宅すると郵便受けに通知が入っていました。マイナンバーの配達に関するもので、不在だったため郵便局まで受け取りに来てほしいというのです。

 郵便局に行くのをやめて受け取りを拒否しようかとも思ったのですが、勤めている娘がいます。問題が起きては困りますので、指定の郵便局まで受け取りに行ってきました。
 日本郵便は昨日、11月中の日本全世帯への配達を予定していたマイナンバーを記載した通知カードが、11月末時点で全国5684万世帯のうち、約4分の1の23.7%に届いていないと発表しました。私は11月30日に入手したわけですから、かろうじて「11月中」に届いたことになります。
 国民一人一人に対して勝手に番号を与え、来年1月から税や社会保障、災害の3分野で運用が始まるのが、マイナンバー制度です。使うことで利便性が増し、使わなければ不利益が生ずるかのような宣伝がなされています。

 メリットもあればデメリットもあると言われていますが、財産などを完全に把握して徴税できるようになる行政側のメリットは明らかです。しかし、それを使う国民の側のメリットははっきりせず、個人情報の流出などの危険性が高まるデメリットの方が大きいように思われます。
 このような制度は憲法が保障するプライバシー権を侵害するもので違憲だとして、全国の150人余が昨日、国に個人番号の収集・利用差し止めや損害賠償を求める訴えを、仙台東京新潟金沢、大阪の5地裁にそれぞれ起こしました。全国の弁護士や市民でつくるグループによる一斉提訴で、これから横浜、名古屋、福岡でも訴えを起こす予定だといいます。
 訴状によれば、このマイナンバー制度は個人情報を本人の同意なく集めており、自分の情報がどう使われるかコントロールできる権利を侵害していると主張しています。セキュリティー対策が不十分で、民間から個人情報が漏れ、成りすましの被害に遭う恐れもあるとしています。

 このようなマイナンバーによる詐欺被害は、すでに発生しています。今後、マイナンバーが行き渡れば情報流出などのリスクが高まることは確実で、犯罪に利用される危険性も増すでしょう。
 似た制度を導入しているアメリカ韓国でも、多くの問題が発生し、被害が生じています。そのような制度を、なぜ今、後追いしようとしているのでしょうか。
 国民が将来、被るかもしれないデメリットに目をつむり、行政の側のメリットと都合ばかりを優先するというのでは本末転倒です。国民の利益を最優先に考えるのが政治や行政のあるべき姿ではないでしょうか。

 このような本末転倒の制度は実施すべきではありません。裁判の結論を待つことなく、国はマイナンバーの利用を直ちに中止すべきです。

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10月4日(土) 大学への脅迫を断じて許してはならない [社会]

 なんという世の中になってしまったのでしょうか。気に入らない教員の排斥を求めて、大学を脅迫する卑劣な行為が相次いだというのですから……。

 戦争に言論弾圧はつきものです。大学の自治や学問の自由、報道の自由への攻撃は戦争への道にほかなりません。
 特定秘密保護法の制定によって情報の秘匿と報道の統制が図られ、朝日新聞たたき(バッシング)によってマスメディアを委縮させ、大学を脅迫して教員を辞めさせる。このようなことが、今日の日本社会で堂々と行われ、しかもそれが異常なことだという危機意識が極めて薄い。
 これが現実なのです。こうして、戦争への道は掃き清められるということでしょうか。

 一昨日の『朝日新聞』の社説「大学への脅迫 暴力は、許さない」によれば、「かつて慰安婦報道に関わった朝日新聞記者が教授を務める帝塚山学院大(大阪狭山市)に9月、別の元記者が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市)には5月と7月、それぞれの退職を要求し、応じなければ学生に危害を加えるという趣旨の脅迫文が届いた。警察が威力業務妨害の疑いで調べている」といいます。
 脅迫文には、「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」「元記者を辞めさせなければ天誅(てんちゅう)として学生を痛めつける」などと書かれていたそうです。北星学園大には「爆弾を仕掛ける」という内容の電話もあったといいますから、このような脅迫を行ったのは1人や2人ではないでしょう。
 そればかりではなく、家族までもがネット上に顔写真や実名をさらされ、「自殺するまで追い込むしかない」「日本から出て行け」などと書き込まれているといいます。断じて許すことのできない蛮行だと言わなければなりません。

 これに対して「社説」は、「朝日新聞は8月、過去の慰安婦報道について、女性を強制連行したと証言した吉田清治氏(故人)に関する記事を取り消した。間違った記事を掲載してしまったことに対して多くの批判が寄せられており、真摯(しんし)に受け止めている。しかし、だからといって学生を『人質』に、気に入らない相手や、自分と異なる考えを持つ者を力ずくで排除しようとする、そんな卑劣な行いを座視するわけにはいかない。このようなことを放任していては、民主主義社会の土台が掘り崩されてしまうだろう」と指摘しています。
 その通りだと思います。このような卑劣な行為が放任されてはなりません。
 警察は刑事事件としてきちんと捜査し、犯人を捕まえて処罰していただきたいものです。あわせて、このような社会的な風潮を生み出し、言論による「脅迫」や「恫喝」を行っているに等しい右派論壇とそれに同調している新聞、雑誌、週刊誌の責任をも問いたいと思います。

 昨日の『毎日新聞』は「大学への脅迫 看過できない卑劣さ」という「社説」を掲げ、「今回の事件の背景には、一部の雑誌やネット上に広がる異論を認めない不寛容な空気がある。各地で深刻さを増すヘイトスピーチ(憎悪表現)にも相通じる現象だ」と指摘していました。大学への脅迫やヘイトスピーチの「背景には、一部の雑誌やネット上に広がる異論を認めない不寛容な空気がある」というのです。
 昨日の『東京新聞』は「こちら特報部」で特集を組み、さらに詳しく「朝日バッシング」の「深層」を明らかにしています。そこには、「国動く時、排除の論理」「新たな『戦前』の序章?」という見出しが出ていました。
 出版物に「売国」「国賊」「反日」などの見出しを付ければ売れるというのです。商売での「小銭稼ぎ」に目がくらんで、出版人やジャーナリストとしての良心や誇り、矜持を捨て去って良いのでしょうか。

 学生を「人質」に取り、暴力をちらつかせて大学を脅迫し、気に入らない教員を追い出そうとするようなことが許されれば、大学の自治も学問の自由も失われてしまいます。新聞記者時代の報道を理由に、このような理不尽な攻撃がなされれば報道の自由に対する脅威となり、ジャーナリストの自己規制や委縮を引き起こすことになるでしょう。
 日本における自由と民主主義は重大な脅威にさらされていると言わなければなりません。右翼的風潮に迎合して売れ行きを伸ばすために、一部の学者、評論家、出版人、ジャーナリストなどがそれに加担してしまったのは何とも残念です。

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10月3日(金) 気に入らないものを憎悪し排除する世の中であって良いのか [社会]

 先日、『産経新聞』からの取材を受けました。ヘイトスピーチ(憎悪表現)に対する法的規制は必要か否かというテーマで、私は必要だという立場から意見を述べました。
 この取材は「金曜討論」という形で掲載されるといいます。掲載予定は『産経新聞』10月10日付だそうですから、ご覧になっていただきたいと思います。

 昨日の『朝日新聞』にも、ヘイトスピーチ規制に関連する特集「耕論 ヘイトスピーチへの処方箋」が掲載されていました。そこでの議論は大変興味深いものです。
 「在特会を調査した社会学者」である樋口直人徳島大学准教授は、「発端は00年代前半、韓国中国、北朝鮮への憎悪に火が付きました。日韓W杯や反日デモ、拉致問題がきっかけです。その矛先が、国内の在日に向けられた。歴史修正主義に出会ってゆがんだ眼には、在日という存在は『負の遺産』で敵だと映った。東アジアの近隣諸国との関係悪化が端緒だったのです」と指摘しています。
 端緒となったのは周辺諸国との関係悪化でしたが、憎悪に火が付いた背景として「歴史修正主義に出会ってゆがんだ眼」が挙げられている点が重要です。そのような背景がなければ、関係悪化が憎悪にまでエスカレートせず、ヘイトスピーチを生み出さなかったかもしれないからです。

 また、「憎悪をあおる舞台装置がインターネットでした」とし、「反差別法がある欧州ならすぐに監視団体が削除させるような妄想が、何の規制もないまま拡散していった」とも指摘しています。もし、反差別法などの規制があれば、今日のような姿にまで拡散することはなかっただろうというわけです。
 これに続いて、樋口さんは次のように述べています。

「その情報源になったのが右派論壇です。『嫌中憎韓』は右派月刊誌レベルでは00年代前半に始まっていた。つまり右派論壇が垂れ流した排外主義的な言説を、ネットが借りてきてデフォルメし広げた。さらに00年代後半に登場したネット動画が、憎悪を行動に転換させた。憎しみはヘイトスピーチという形で街頭に飛び出していったのです。」

 このような一連の経過を見れば、ヘイトスピーチへと至る憎悪の拡散と街頭化に対して責任を問われるべきは、在日に対する歪んだ目を生み出した歴史修正主義、何の規制もないまま拡散の舞台装置となったインターネット、その情報源となった右派論壇、行動に転換させたネット動画などだということになります。とりわけ、歴史修正主義的な主張を行った学者、評論家、作家などと、それに発表の場を提供した右派的月刊誌や週刊誌、出版社、インターネットなどの罪は重いと言うべきでしょう。

 このようなヘイトスピーチは「病的な人々の病的な運動」ではなく、「意外に普通の市民が、意外に普通の回路を経て全国各地で大勢集まった。それなりに筋道のある合理的な行動」だとして、樋口さんは「ここに、この極右市民運動の新しさと怖さがあります」と、重要な指摘を行っています。一部の変わった人々の異常な運動ではなく、普通の市民の「合理的な行動」だということになれば、もっと社会に広まっていく可能性や危険性があるということになるからです。
 そのような社会になって良いのでしょうか。この日本が、気に入らないものを憎悪し排除するような世の中に変わってしまって良いのでしょうか。
 ヘイトスピーチは自由で民主的な社会にあってはならない暴力的な犯罪であり、その存在は許されないものです。その存在を許容し活動を黙認したり助長したりすることは、自由で民主的な社会の基盤を掘り崩す犯罪的な行為であるということを、はっきりさせなければなりません。

 ここから、それにどう対処するのか、という次の問題が生じます。「どんな処方箋が必要なのか」ということであり、具体的には新たな法的規制が必要なのか否かという問題です。
 私の意見は明確です。現行の法や制度で対応できるのならそうすべきであり、できなければそれを可能にするような新法が必要だ。その拡大や乱用の懸念があるなら、それを防止するような仕組みを工夫するべきだというものです。

 「言論の自由」を名目に「言論の暴力」を放置することは許されません。ヘイトスピーチは「言論」ではなく「暴力」であり「犯罪」です。だから、「欧州では、刑事規制があるドイツをはじめ法規制が主流」(阪口正二郎一橋大学教授)なのです。
 これに対して、阪口教授は「法規制が一度導入されると、対象が次々に拡大される可能性がある」として、自民党のように「デモ規制に飛躍させようとする姿勢では信頼を置くことはできません」と発言しています。対象を拡大する姿勢を示すことで新たな法規制をサボタージュしようとしている自民党の策略にのせられてしまっているのではないでしょうか。

 今のままでも規制できると言うのであれば、きちんと規制して見せて下さい。それができないから、問題になっているのではありませんか。
 「取り締まるにしても対象を明確にし、なるべく限定的な内容にすべき」だというのは、阪口教授の言う通りです。法規制を支持する師岡康子弁護士も、「まず差別を違法とする差別禁止法をつくり、その中にヘイトスピーチ規制を位置付ける。規制の対象は明確に限定する。権力が乱用できない仕組みを工夫すればいいのです」と主張しています。
 新たな法律を作る場合でも、通常のデモなどにも拡大適用できるようにしようなどというよこしまな目論見を許さないように、対象を明確に限定して乱用できない仕組みを工夫することは不可欠です。この点では、すでに法による規制を実施している欧州の例が参考になるでしょう。

 問題は、ヘイトスピーチをなくすことです。そのために必要であれば新たな法を制定し、必要でないというのであれば現行の法や制度を適用して、きちんと取り締まれば良いのです。
 すでに国連の人権委員会と人種差別撤廃委員会が日本政府に対処を求め、法的規制を勧告しています。そのようななかで、きちんとした取り締まりもせず新法の制定もせず、ヘイトスピーチを放置した形になるのが最悪です。
 樋口教授も指摘しているように、太陽の党や次世代の党など「欧州なら極右政党と呼ばれるべき政党も、すでに次々と日本で誕生して」おり、そのうえヘイトスピーチに対するまともな規制もできないということになれば、日本は自由・民主主義とは異質な社会だとみなされ、国際社会の評判はがた落ちとなるでしょう。これ以上、国連から後ろ指をさされることのないよう、きちんとした対応を行っていただきたいものです。

 なお、阪口教授は「根本的な問題解決のカギは教育です」として、「朝鮮半島の歴史や日本との関係がきちんと教えられていません」と指摘しています。差別をなくすための教育の重要性は指摘されている通りですが、そのためにもヘイトスピーチが厳しく批判され、それを助長するような排外的な言説や間違った歴史教育は是正されなければなりません。
 その点で、現在の教育再生実行会議や教育改革が目指す方向は完全に逆行しています。「ヘイトスピーチの法規制という外科的処置」だけでなく、正しい歴史教育や排外主義的な右派論壇に対する批判などを通じて「問題の本質を知り」、差別を許さない方向へと「人々の意識を変え」、気に入らないものであっても憎悪し排除することのないような世の中にしたいものです。

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6月20日(金) 「ワールドカップ狂想曲」の陰で進行している憂慮すべき事態 [社会]

 予想通り、「ワールドカップ狂想曲」が続いています。NHKニュースをはじめとしたマスコミは、サッカーによってハイジャックされてしまったようなものです。
 その陰で、憂慮すべき事態が進行しています。こちらの方は予想通りというより、予想を上回るようなひどさです。

 明治大学では、日本ジャーナリスト会議(JCJ)とマスコミ9条の会が開く予定だった集会が開催1週間前になって利用を断られました。大学側は「学生の安全を第一に考えた」と言っていますが、反対する側が脅せば集会の開催を妨害できるという前例を示したようなものですから、明治大学の評判は地に墜ちてしまいました。
 このところ目立っていた地方自治体による憲法集会への後援拒否と似たような「事なかれ主義」の誤りだと言うべきでしょう。「安全を守る」「面倒を避ける」ということで集会の後援や会場提供を拒否すれば、それを狙って騒ぎを起こし妨害する勢力を励ますことになるでしょう。
 これで民主主義が守れるのでしょうか。集会・結社の自由、表現の自由を擁護すべき自治体や大学の責務を果たしていると言えるのでしょうか。

 東京都議会では、議員に対する許されざる野次が投げかけられ、大きな波紋を呼んでいます。昨日の都議会で、晩婚化や晩産化の対策について質問した女性都議に対して、「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」などというセクハラ野次が男性都議から飛ばされました。
 その時は笑い声が出て誰も問題にする人はいず、議会が平穏に閉会されたといいます。その後、ウェブ上で「セクハラだ」との議論が高まり、都議会には1千件を超す批判が寄せられました。
 野次は自民党会派の方から聞こえたそうですが、自民党は発言者を特定せず幕引きを図ろうとしています。周りにいた人は誰が野次ったのか分かるはずですし、録画映像の音声の声紋を分析すれば個人が特定されます。きちんと調査して責任を取らせるべきでしょう。

 集団的自衛権の行使容認をめぐっては、昨日、安倍首相と公明党の山口代表との党首会談が開かれ、今国会中の閣議決定が断念されました。しかし、首相の外遊出発前の7月4日に間に合うよう、与党合意を月内に実現したいとしています。
 他方で、政府・自民党は、国連安全保障理事会決議に基づいて侵略行為などを行った国を制裁する集団安全保障について、日本が武力行使できるようにする方向で調整に入りました。歴代内閣が集団的自衛権の行使とともに認めてこなかった集団安全保障での武力行使を認めれば、日本の安全保障政策の根本的な転換になります。
 ついに出てきた、ということでしょう。安倍首相はもともとこのような形での武力行使を可能にし、国連安保理事会の常任理事国になることを狙っているのですから……。

 このようななかで、イラクでは戦闘が激化し内戦状態に陥っています。大量破壊兵器の開発・保有という濡れ衣を着せてフセイン政権を無理やり倒してしまったことのツケが、このような形で回ってきたわけです。
 紛争は力では解決できないこと、そのようなことをすれば社会の分断と敵意を高め、かえって問題を紛糾させ解決を遠のかせることが、またも実証されようとしています。そのようなときに、安倍首相は紛争を力で解決するために武力介入するための準備を進めているわけです。
 なんという勘違い。なんという時代錯誤でしょうか。

 国際紛争を武力ではなく対話と交渉で解決するという理念を掲げ、国際政治の先頭を走ってきたのが戦後の日本です。それは、経済大国でありながら軍事大国にはならないという世界史的な実験に踏み出すことを意味していました。
 憲法9条に基づく「専守防衛」という国是こそが、そのような理念や国の在り方を象徴するものだったはずです。それをぶち壊して力の政治(パワーポリティクス)へと逆戻りさせようとしている安倍首相こそ、戦後日本の在り方を否定し、世界史的実験を妨げる「平和の敵」にほかなりません。

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4月16日(水) このような自主規制は民主主義を掘り崩すことになる [社会]

 今日の『東京新聞』の一面を見て、驚きました。「千葉県白井(しろい)市が、市民団体などが開く集会やイベントの共催・後援要件を厳しくする規約改定を行い、本年度から憲法や原発など世論を二分するテーマの行事は事実上、後援しない方針を決めた」という記事が出ていたからです。
 これは、「市が後援した護憲団体主催の講演会に対する保守系市議の批判に配慮した」ものだと言います。このように、「自治体が『政治的中立』を理由に市民団体が主催する憲法の集会などの後援申請を拒否するケースは長野県千曲(ちくま)市や神戸市などで相次いでいるが、他の自治体にも自主規制が波及している実態が明らかになった」と、この記事は指摘しています。

 しかし、私が驚いたのは、このような自主規制が行われたということではありません。そのきっかけになったのが「『しろい・九条の会』による『平和憲法と日本の将来』と題した講演会を市が後援したこと」だったからです。
 この記事によれば、このことが2月下旬の市議会一般質問で保守系市議によって取り上げられたそうです。市の総務課長は「この質問が規程改正につながった」と認めているといいます。
 私の2月17日付のブログ「大雪の中での最後の入試監督」を覚えておられる方なら、もうお分かりでしょう。この「『しろい・九条の会』による『平和憲法と日本の将来』と題した講演会」で講演したのが、ほかでもないこの私でした。

 先のブログでは、「先週の大雪の日、2月8日(土)は千葉県の『しろい9条の会』の講演会でした。吹雪に見舞われ風と雪の吹き付けるなか、40人ほどの方が集まって熱心に話を聞いてくださいました」と書きました。この大雪の中で開かれた講演会が保守系市議によってやり玉に挙げられ、それに屈して市が自主規制を強めたということになります。
 今後、①政治的に賛否など議論が分かれている特定の政策、②特定の政治上の主義、③特定の候補者、政党などを支持、または反対する主張を行うおそれがあることのなどの一つでも当てはまる場合は、共催・後援を見送る方針だと言います。これでは「護憲や脱原発を訴える集会は後援申請が拒否される可能性が高い」と『東京新聞』の記事は指摘していますが、その通りでしょう。
 さらには、政治にかかわる問題はすべて後援しないということになりかねません。「護憲や脱原発」だけでなく、消費増税や社会保障改革、TPP、教育問題など、ありとあらゆる問題は「政治的に賛否など議論が分かれている特定の政策」に該当することになるでしょうから……。

 政治について市民が考えること、そのための情報を提供することは社会教育の重要な一環であり、民主主義を育てる貴重な機会でもあります。それを市が後援することには何の問題もありません。
 しかも、憲法第99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と書かれています。市が護憲の講演会を後援するのは、この規定からして当然ことではないでしょうか。
 だからこれまで、このような講演会を市は後援してきたのでしょう。それを問題だとする議員が現れ、市はその批判を安易に受け入れたわけで、このような経緯にも日本社会の右傾化が示されています。

 このようにして民主主義は掘り崩され、社会は少しずつ変わっていくにちがいありません。政治的な色彩を帯びた自主的で民主的な市民活動を敵視する政治家が現れ、行政はそれに迎合し、多くの市民もそのことを当然だと考えてしまう。
 戦前も、そうだったのではないでしょうか。そうやって、戦争への道が掃き清められたのではないでしょうか。
 しかも、今の日本の首相は「戦争できる国」作りを目指す安倍さんです。そのようなトップリーダーの下で、今また同じようなことが繰り返されようとしているのです。

 そのような道を歩んではならない、歩まないという決意こそ、戦後の出発点であったはずです。白井市の自主規制強化をめぐる問題は、そのことをもう一度思い返す必要性を示しているのではないでしょうか。

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2月26日(水) ネオ・ナチ化する醜い日本と日本人 [社会]

 『アンネの日記』関連の書籍だけではありませんでした。被害を受けた本はアウシュビッツ強制収容所に収容された女の子について書かれた『ハンナのかばん』や、第2次世界大戦中、多くのユダヤ人にビザを発行して命を救った日本の外交官、杉原千畝の伝記など、少なくとも80種類に上るといいます。
 このような破損行為は、ユダヤ人を敵視し、彼らに対する迫害を肯定しているように見えます。日本社会にネオ・ナチのような価値観が浸透し、ユダヤ人に対する迫害を支持する日本人が行動を起こしたということなのでしょうか。

 もしそうだとすれば、何という醜い国になってしまったのでしょうか。この日本は……。
 気にくわないからといって、片っ端から本を引き裂いて破損するような行為は、ナチスによる焚書の現代版にほかなりません。麻生副総理が勧めたように、「ナチスの手口を学んだ」やり方だと言うべきでしょうか。
 朝鮮の人々に向けられていたヘイト・スピーチやヘイト・デモの鉾先が、ユダヤの人々に向けられたということなのかもしれません。特定の民族に対する憎しみと排除という点で、両者には大きな共通点があるように思われます。

 私はかつて地球を一周する旅の途中、オランダアムステルダムで「アンネの家」に立ち寄りました。その隠れ家の秘密の部屋も見たことがあります。
 そのとき、「このような所で、人目を盗んで生活することを強いられるなんて」と、強い憤りを覚えたものです。そのアンネの苦労や哀しみへの想像力を持たず、迫害されたユダヤの人々の苦難や怒りをあざ笑うような蛮行が繰り返されていたことになります。
 とても1人の気まぐれによる所業とは思えません。「はだしのゲン」に対する攻撃や排斥と同様の組織的な悪意を感じてしまいます。

 誰が、どのような意図で行ったのかは不明ですが、このような愚行は二度と繰り返されてはなりません。それが今日、このような形で生じ、その背景となる社会的雰囲気が生み出されたのも、安倍首相の右翼的で拝外主義的な言説の影響であると考えるのは私だけでしょうか。

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10月28日(月) 苛酷なスクラップ・アンド・ビルドが始まろうとしている [社会]

 日本社会の様々な分野で、苛酷なスクラップ・アンド・ビルドが始まろうとしています。それによって生ずる変貌は、新たな成長の道となるでしょうか。それとも、日本社会の衰退を加速させることになるのでしょうか。

 第1の分野は農業です。環太平洋経済連携協定(TPP)の締結に向けて、政府は「聖域」5項目の見直しだけでなく、その後の農業の競争力強化のために、農地の集積化を促して中核農家を育成するための新たな方針の検討を始めました。コメの生産を抑えて価格を維持する現行の生産調整(減反)制度を見直し、減反に応じることを条件に支給されてきた各種の補助金を廃止するというのです。
 民主党政権が導入した戸別所得補償制度も経営所得安定対策と名前を変えて基本的に続けられてきましたが、これも減額するか廃止する方向だといいます。こうして、農家の淘汰を図るというのが新しい方針の目的です。
 そうなったら、都市近郊の兼業農家は全滅するでしょう。TPPで外国産の安い農産品がなだれ込む中で米価は下がりますから、これら小規模農家の経営は成り立たなくなり、父祖伝来の農地を売り払って離農せざるを得なくなるからです。

 その結果、農地は集約されて大規模化し、大量生産によって価格は下がります。そうなれば、外国農産品との競争に勝てるかもしれません。
 しかし、泣く泣く農地を手放して離農した兼業農家はどうなるのでしょうか。手放された農地の買い手や借り手が現れなかったらどうするのでしょうか。
 これまでも、都市近郊の農家は後継者不足から離農する場合がありましたが、その多くは耕作放棄地となって荒廃してきました。小規模農家の経営破綻と農地の荒廃によって、地方社会はさらに疲弊し、衰退していくのではないでしょうか。

 第2の分野は中小企業の淘汰です。消費税の8%への引き上げによって、大きな困難に直面するからです。
 事業年度の売上高が1000万円に満たない零細業者は、消費税の課税を免除されています。それ以上の売上高がある中小の業者は消費税を納付しなければなりませんが、その分を価格に上乗せできるのでしょうか。
 もし、売れ行きが下がることを恐れて価格に上乗せできなければ、消費税分は自分で負担しなければなりません。これはいわば「損税」であり、これを負担できなければ消費税の滞納という問題が生じます。

 消費税の滞納率は今でも高く、国税の滞納額全体の約半分は消費税です。5%から8%に税率が上がれば、中小業者が負担しなければならない税額も大きく膨らむでしょう。
 これまでなら「何とか自腹を切る」ことでやりくりしてきた業者でも、8%や10%ということになればそうはいきません。しかも、政府は2%のインフレターゲットを示して物価を引き上げようとしており、すでに円安の影響で物価が上がり始めています。
 そのような中で消費税を上乗せすれば、さらに価格は高くなります。政府は、このような消費税分の上乗せをやりやすくしようと躍起になっていますが、価格の高騰による売れ行き不振の面倒までは見てくれません。

 そして、第3の分野は正規労働者です。労働の規制緩和によって、非正規労働者だけでなく、正規労働者の雇用と労働条件も急速に悪化するからです。
 雇用の維持ではなく移動の支援が主眼とされ、派遣労働は「臨時的、一時的な場合に限」り、正社員を派遣に置き換えてはならないという「常用雇用の代替禁止」原則が緩和されれば、これまでの正規労働者は派遣などの非正規労働者に置き換えられるでしょう。解雇をしやすくすることも狙われていますから、正規労働者の地位は脅かされ、賃金が低く労働条件が劣悪な非正規労働者がますます増えることになります。
 今回の雇用改革では、労働時間の弾力化を進めることも課題の一つになっています。裁量労働が拡大され、残業代が支払われないようになれば、労働時間はさらに長くなり、過労死やうつ病などのメンタルヘルス不全が増大するでしょう。

 注目されている限定正社員にしても、勤務地や職務が限定されることによって賃金が低くなったり、雇い止めが容易になったりするだけです。というより、正規労働者の賃金を切り下げ、人員整理をやりやすくするための手段として、限定正社員という雇用形態が利用されようとしているのではないでしょうか。
 労働時間を「限定」することによって、ワーク・ライフ・バランスを実現できるという擁護論もあります。しかし、正規労働者なら際限ない労働時間でも良い、正規なんだから家庭生活との両立などを考えずに死ぬまで働けとでも言うのでしょうか。
 不安定な雇用、長時間労働、低賃金では、結婚して家庭を持ち、子どもを産んで育てることはできません。少子化はさらに深刻化し、日本社会の量的な存続可能性すら失われていくことになるでしょう。

 このような苛酷なスクラップ・アンド・ビルドの結果、都市近郊の農村部における兼業農家は淘汰され、中小企業は消費税を負担できずに倒産し、正規労働者として働く人々は量的に減少するだけでなく慢性的な雇用喪失の危機や過重で長時間の労働にさらされることになるでしょう。日本社会における安定帯を形成していた中間層は、農村でも都市でも急速に減少し、地方の衰退は加速されるにちがいありません。
 こうして、日本社会は大きく変貌することになります。貧困と格差の拡大は容赦なく私たちの生活を脅かし、未来を破壊していくことになるでしょう。

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3月17日(土) なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのか [社会]

 吉本隆明が死んだそうです。最大級の評価と追悼の言葉が、テレビ新聞で報じられています。

 昨日の朝7時のNHKニュースのトップが、吉本の訃報でした。夕刊各紙も、多くの紙面を割いて業績を紹介したり、その死を惜しむ言葉を掲載しています。
 「戦後思想の巨人」とか、「戦後の思想界を代表する評論家・詩人」だなどという賛辞が溢れていました。あの石原慎太郎知事までが、「権威に反抗するオピニオンリーダー。1つの世代の象徴的な存在だった。残念です」と悼んだというのですから、呆れてしまいます。
 慎太郎に評価されるようになったらお終いです。吉本もその程度の「思想家」だったということでしょうか。

しかし、忘れてならないのは、吉本の思想と言説が全共闘運動や新左翼の学生達に多くの影響を与えたということです。既成の左翼運動を徹底批判し「新左翼」の教祖的存在となったこと、全共闘世代の若者の熱狂的支持を受けたことは、当時、若者であった私も良く知っています。
 そして、その言葉に影響され、これらの誤った運動へと足を踏み入れて暴力をふるったり、暴力によって負傷したり、命を失ったり、人生を狂わされた学生や青年達が多くいたことも。そのような学生の一人によって、私は旗竿で右目を突かれ、失明させられました。
 その思想的淵源の一つが吉本隆明であったかもしれません。内ゲバにまで至り、惨憺たる結末を迎えた全共闘運動や新左翼運動に対して、「教祖」として思想的な影響を与えた吉本隆明には大きな責任があります。

 それなのに、なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのでしょうか。人々の行動を左右し、生き方にまで深く影響を与えた思想の「結果責任」を、どうして誰も吉本隆明に問わないのでしょうか。

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3月15日(木) 日本社会でいかにルールが無視され、歪んでいるかを象徴するような事例の数々 [社会]

 「やっぱりそうなのか」と思うようなことが、連続して報じられました。普通であれば、「まさか、そんなことはないだろう」と思われるような非常識が、実際にまかり通っているわけですから、呆れてしまいます。

 その一つは、大阪での君が代「口元点検事件」です。大阪府立和泉高校の卒業式で、教職員が君が代を歌っていたかどうかを、校長の指示で学校側が口の動きでチェックしていたという呆れた事件です。
 とうとう、こんなところまでエスカレートしてしまいました。卒業生の想い出に残るべき大切な教育の場が、教職員の思想や信条をチェックして「隠れキリシタン」を摘発するかのような「踏み絵」の場に変貌してしまいました。
 国旗・国歌法が制定されたとき、それは強制力をともなうものではないとされました。ところが、今日、条例や職務命令による強制が当然のこととされ、君が代を歌っているかどうかを口の動きでチェックするという「教育者」が現れたのです。
 憲法はもとより、国旗・国歌法の趣旨にさえ違反する暴走だと言わなければなりません。このような校長は「教育者」としても失格であり、罷免されるべきでしょう。

 二つ目は、原子力安全・保安院の原発事故に対応する防災指針改訂への抵抗です。6年前に、原子力安全委員会が国際基準の見直しに合わせて改訂しようとしたとき、原子力・安全保安院が強く反対して、見送られてしまったというのです。
 改訂されていれば、今回の事故で住民への影響を軽減できた可能性があり、それがなされなかったために、放射能に被ばくしてしまった人がいたかもしれません。将来、病気になったり、命を失ったりする人々が出てくる可能性があります。
 改訂に抵抗した原子力安全・保安院の委員名を特定し、その責任を追及するべきです。きちんと対応していれば避けられたかもしれない障害や死亡が明らかになった場合、未必の故意による傷害罪か傷害致死罪、あるいは殺人罪で、これらの委員を告発するべきでしょう。

 三つ目は、読売巨人軍による巨額の契約金問題です。球界で申し合わせた新人契約金の最高標準額(1億円プラス出来高払い5千万円)を超える契約を選手と結んでいたといいます。
 「最高標準額は上限ではなく、緩やかな目安とプロ野球界で認識されてきた」と、巨人軍は言い訳していますが、とんでもありません。そう認識していたのは巨人軍だけで、他の球団はちゃんと守っています。守らなくても良いルールなら、どうして申し合わせなどしたのでしょうか。
 2000年にドラフトで入団した阿部慎之助選手は10億円も受け取ったとされています。1億円が「緩やかな目安」だとしても、10億円との開きは大きすぎます。「目安」などという言い逃れができるような金額ではありません。
 スポーツマンシップに欠け、ルールを守らない巨人軍は、球界から追放されるべきです。少なくとも、やくみつるさんが言うように「巨人だけは次のドラフト会議に出席させない」というくらいのペナルテイィが必要であり、親会社である読売新聞に対する不買運動を行うくらいのことが必要でしょう。

 これらの事例はいずれも、いかにルールが無視され、日本の社会が歪んでいるかを象徴的に示すような出来事です。ルールが尊重され、民主的で自由な社会を維持していくためには、このような芽を一つ一つ批判し、問題点を明らかにし、その芽を摘んでいくことが不可欠です。
今、日本社会は試されているのではないでしょうか。ルールが通用し、人権が尊重される当たり前の社会としての姿を維持できるかどうかという点で……。


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