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8月21日(日) 「改憲」から「壊憲」を区別して批判を集中する新戦略の意義とメリット [憲法]

 安倍首相による改憲暴走が可能となった新たな情勢の下で、新しい戦略の提起が必要になりました。改憲に反対する野党が抵抗しても、それを無視して改憲に向けて突っ走ることができる議席を衆参両院で手に入れることに成功したからです。
 このような情勢の下で、いかにして安倍首相の暴走を阻むかが問われています。私の回答は、「改憲勢力」全体を敵とするのではなく「改憲」勢力を味方にして「壊憲」勢力に批判を集中するべきだというものです。

 この両者は憲法条文の書き換えである明文改憲を目指している点で共通しています。その意味では「改憲勢力」であることに間違いありません。
 しかし、この両者には根本的な差異があります。現行憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権という「三大原理」を前提するか否か、自由で民主的な平和国家という現在の国の形を破壊するか否かという点での違いです。
 現行憲法の原理や理念を前提に国の形を守るような憲法の書き換えには反対せず、それを破壊するような「壊憲」に対してだけ打撃を集中するというのが新しい「壊憲」阻止戦略の眼目です。具体的には日本会議を中心とした戦前(というより戦中)回帰の改憲構想を掲げている勢力です。

 これは一部の「改憲」を認めることになりますから、これまでの護憲運動からすれば一定の譲歩であり、後退を意味することになります。それが明文「壊憲」の呼び水になったり、そのために利用されたりする危険性も十分にあります。
 しかし、現行憲法の原理と理念を守り、国の形の破壊を許さないという原則については今まで以上に明確にされています。この点で柔軟で原則的な戦略になっていると、私は判断しています。
 確かに一定のリスクはありますが、それも覚悟のうえで「壊憲」反対勢力を拡大することが必要になっています。そうすることでしか、幅広い国民の合意と共感を得て安倍首相の改憲暴走を阻止することはできず、あるかもしれない国民投票で多数派を形成することはできないのではないでしょうか。

 「改憲」阻止から「壊憲」阻止への戦略的転換は、「護憲」勢力の結集から「立憲」勢力の結集へと憲法をめぐる共同の幅を拡大することになります。明文改憲を主張していても、それが憲法原理や国の形の破壊を目指すものでない限り、「立憲」勢力として手を結ぶことができるからです。
 また、憲法を「不磨の大典」とし金科玉条としてしまっているのではないか、憲法に指一本触れさせないということで良いのかという疑問や、96条という改憲条項があるのに全ての改憲を否定するのはおかしいではないか、「改憲」と聞くだけで条件反射的な反発をしているのではないかなどの批判が、これまで「護憲」勢力に対して寄せられていました。
 新たな戦略を掲げることによって、これらの疑問や批判に対しても簡単に応えることができるようになります。現行憲法の原理や理念、国の形を破壊するような「壊憲」でなければ、社会の変容に対応して憲法原理や理念を具体化したり、統治ルールを変更したりするような「改憲」であれば、憲法条文の書き換えには何の問題もないのだと。

 この戦略は、この間発展してきた市民と野党との共同を憲法の分野にも拡大しようとするものです。その対象には、これまでの民進、共産、社民、生活の野党4党に加え、公明や維新、さらには改憲派の無所属議員や自民党内の保守リベラル層をも巻き込んでいく幅広い「壊憲」反対勢力の結集を展望しています。そうしなければ、「壊憲」を目指す国民投票では勝てないでしょうから。
 これらの勢力を区分けする基準は「憲法の三大原理」と理念、国の形を破壊することには反対だということであり、安倍首相自身の言葉を借りれば「自由と民主主義、基本的人権、法の支配という共通の価値観」を擁護するということにあります。これに敵対し破壊しようとする条文の書き換えは「壊憲」であり、それは自民党の憲法草案が示しているような戦中の軍部独裁体制の再来やファシズム国家の誕生にほかならず、断固として阻止しなければなりません。
 そのためには、国民の理解と納得が得られ、幅広い支持を獲得できるような戦略を掲げ、味方を増やして敵を孤立させることが必要です。批判する相手を限定して分断し、「改憲勢力」を腑分けして最も危険な「壊憲」勢力を浮かび上がらせ、そこに打撃を集中することです。

 このような戦略は、当面の安倍改憲暴走への抵抗を意図しているだけでなく、あるかもしれない国民投票を考慮に入れつつ、解散・総選挙後に成立する可能性のある新しい連立政権をも展望しています。憲法についての最低限の共通認識を確立しなければ、連立を組むことは困難でしょうから。
 今回の私の提起は、そのための一つの「試論」にすぎません。これを材料に幅広い議論がなされ、新たな「壊憲」阻止戦略を掲げた「立憲」勢力の幅広い共同の輪が形作られることを望んでいます。

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8月20日(土) 「壊憲」阻止のための新たな戦略をどのように打ち立てるべきか [憲法]

 本日、帰京しました。ということで、ブログを再開します。
 故郷はありがたきかな、を実感した帰省でした。お陰様で、たっぷりと充電することができました。
 お世話になったすべての方にお礼申し上げます。ありがとうございました。

 今回の帰省でのメイン・イベントは分校の同級会です。卒業以来、初めて頸城村立大瀁小学校松橋分校の同級会が開かれ、懐かしい顔に会うことができました。
 男8人+女8人の「32の瞳」です。このうち男6人+女4人の10人が顔をそろえました。
 小学校4年の時以来ですから、55年ぶりの同級会です。大瀁中学校までは一緒でしたから、半世紀ぶりの再会という人もいました。

 この帰省期間中にも、ずっと考え続けていたテーマがありました。憲法をめぐる新たな状況にどう対応するべきかという問題です。
 今のところたどり着いた結論は、「壊憲」阻止のための新たな戦略を打ち立てなければならないというものです。以下、この点について述べることにしましょう。

 参院選の結果、衆参両院で「改憲勢力」が3分の2議席を超え、いつでも改憲発議できるような状況になり、憲法をめぐる状況が新たな極めて危険な段階に立ち至ったことは明らかです。私はそれを「危険水域」に入ったと表現しています。
 もちろん、このことは直ちに「難破」することを意味していません。上手に船を「操舵」することができれば、無事にこの「危険水域」を抜けだすことは可能です。
 そのために、どのような戦略を立てるべきか。これまでとは異なった新たな危険を避けるために、どのような「操舵術」が必要になっているかが、ここでの問題です。

 そこでキーワードになるのが、「改憲」とは区別される「壊憲」です。この両者はどう違うのでしょうか。

 「改憲」とは憲法の文章を書き変えることではありますが、憲法の原理や理念に抵触するものではなく、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重という「憲法の三大原理」を前提とした条文の変更のことです。
 それには限界があります。現行憲法の原理や理念を前提とし、自由で民主的な平和国家という国の形を保ったうえでの改定であって、それを踏み越えてはなりません。
 『毎日新聞』の古賀攻論説委員長は8月2日付の「社説を読み解く:参院選と改憲勢力3分の2」で、「一口に憲法改正と言っても、理念・基本原則を対象にする場合と、統治ルールの変更を検討する場合とでは、論点の階層が根本的に異なる」と指摘しています。この「統治ルールの変更」が「改憲」ということになります。

 これに対して、「壊憲」は憲法の文章を変えるだけでなく、原理や理念も変えてしまおうというもので、「憲法の三大原理」を前提としない条文の変更です。
 これには限界がありません。現行憲法の原理や理念を破壊し、自由で民主的な平和国家という国の形を変えてしまう憲法条文の書き換えを意味しています。
 毎日新聞の古賀論説委員長の言う「理念・基本原則を対象にする場合」がこれに当たります。9条改憲はその典型であり、安倍政権が目指しているのはこのような憲法の破壊、すなわち「壊憲」にほかなりません。

 「改憲」と「壊憲」を分ける境界は、憲法の三大原理にあります。自由で民主的な平和国家としての現在の日本の国の形を変えてしまうような憲法条文の書き換えであるかどうかという点が最大の判断基準になります。
 秋の臨時国会が始まれば憲法審査会が再開されるでしょう。この審査会が「審査」すべき焦点は、条文の書き換えが「改憲」か「壊憲」か、つまり憲法の三大原理を前提としたものであるか、現在の国の形を変えてしまわないかどうかという点にあります。
 このような判断基準からすれば、現在提案されている自民党の憲法草案は完全に失格であり、それは「改憲」のたたき台にはなりません。撤回するか破棄することを、審査会再開の前提とするべきでしょう。

 このような基準からすれば、「改憲」勢力とされている与党の公明党や野党のおおさか維新の会は「壊憲」勢力にはなりません。民進党内の「改憲」勢力も保守リベラルを含む自民党内の「改憲」志向の議員たちも、必ずしも「壊憲」を志向しているわけではないでしょう。
 真の「壊憲」勢力は「日本会議」と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」に絞られます。これと同調する「日本のこころを大切にする党」や「日本会議国会議員懇談会」「日本会議地方議員連盟」に属する議員たちこそが真の敵であり、与党と自民党内にクサビを打ち込むことによって、これらの勢力を孤立させることが新たな戦略の基本になります。
 憲法の三大原理を前提とし、自由で民主的な平和国家という国の形を変えないような「改憲」であれば、拒否する理由はありません。もちろん、その内容やタイミングについては十分な検討が必要であり、それが「壊憲」への「呼び水」や「お試し」にならないように警戒しながらではありますが。

 安倍首相は海外に出かけて援助資金をばらまいていますが、その時、必ず口にするのが「自由と民主主義、基本的人権、法の支配という共通の価値観」という基準です。これこそ、憲法の三大原理や国の形に通底する理念であり、今後の憲法論議においても前提にされるべき重要な基準になります。
 憲法審査会が再開される際には、ぜひこの「共通の価値観」に基づいて「審査」することを与野党間で申し合わせてもらいたいものです。安倍首相自身が再三再四、繰り返してきた重要な価値観ですから、よもや自民党によって拒まれるようなことはあり得ないと思いますよ、多分……。

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7月13日(水) 改憲の野望実現の可能性が高まったがゆえに当面慎重姿勢を示している安倍首相 [憲法]

 「このチャンスを逃したくない」と考えているのでしょう。衆参両院で改憲発議可能な議席を手に入れた安倍首相のことです。
 釣り竿から垂れていた浮きが水面下に引き込まれたのを確認した安倍首相は、ゆっくりと慎重に竿を引き上げようとしています。一旦ばらしてしまえば、二度と釣り上げるチャンスが巡ってこないことを良く知っているからです。

 かつて安倍首相は、ネット番組で憲法の前文について「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と発言していました。憲法を制定した先人に対する侮辱であり、まことに不遜な発言だと言わなければなりません。
 また、官房長官だった06年7月、自民党東京都連の会合で「経済成長は達成できたが、憲法改正などは後回しになった。父(安倍晋太郎元外相)も祖父(岸信介元首相)も達成できなかった課題を達成したい」 と述べています。改憲への野望を率直に吐露していたわけです。
 さらに、2000年5月の衆院憲法調査会では「米国の手でできた憲法を最高法として抱いていることが、日本人の精神に悪い影響を及ぼしている。まず前文から全面的に見直していく」と主張しています。安倍首相が改憲に向けてあくなき執念を抱き続けてきたことは疑いありません。

 そして、具体的な準備に着手したのが第1次安倍政権の時代です。このとき国民投票法を成立させ、改憲に道筋をつけました。
 その後、第2次安倍政権になった2014年6月に改正国民投票法が成立し、国民投票の投票権年齢が「18歳以上」に引き下げられました。このとき与党の自民・公明両党だけでなく、民主党も賛成していたことを忘れてはなりません。
 これ以降、改憲に向けての制度的前提が整ったことになります。そして、14年12月の総選挙で与党が3分の2以上の多数を占め、今回の参院選でも改憲勢力が発議可能な3分の2の壁を突破したため、政治的な前提も整ったわけです。

 こうして、安倍首相が悲願としてきた改憲の野望を実現する可能性が高まりました。改憲が現実味を帯び、安倍首相は「いよいよ着手できる」と胸を高鳴らせているにちがいありません。
 このような可能性が生まれたのは、今回の参院選における「改憲隠し選挙」が功を奏した結果でした。安倍首相の作戦勝ちだったわけですが、改憲の意図を隠して参院選を戦ったことには、改憲発議可能な議席を獲得したという点でのメリットがありましたが、実はデメリットもありました。
 それは、選挙中の野党による批判などを通じて「手のひら返し改憲」への警戒感が高まったことです。公明党も「改憲は争点ではない」として公約に載せず、「改憲勢力ではない」と弁明していました。

 その結果、手のひらを反すように直ちに改憲に着手することが難しくなったという面があります。改憲勢力が3分の2を占めたとは言っても憲法のどこをどう変えるかという点については様々で、選挙中の沈黙を破って改憲を無理強いすれば改憲勢力内の不協和音を生み、公明党の抵抗が強まり、野党の批判と国民世論の反発を高めるリスクがあるからです。
 何よりも、改憲勢力にとって頭の痛い問題は、最終的に国民投票での承認を得なければならないという関門が控えていることです。しかも、自民党内には「最初に失敗したら永久にできなくなる」という懸念もあります。
 安倍首相にすれば、念願の改憲を急ぎたいけれど、さりとて世論の反発を招いて国民投票で否決されるリスクを高めるような冒険は避けたいと考えていることでしょう。このジレンマのなかでどうするのが最善かを、いま見極めようとしているのではないでしょうか。

 改憲に向けての手続きそのものは、衆参両院での発議が可能であれば60日以上180日以内に国民投票が行われます。解散・総選挙との同時選挙になる可能性も一概には否定できません。
 しかし、そのためには憲法審査会での改憲案についての協議と合意が必要になります。安倍首相は当面、衆参両院の憲法審査会での与野党の議論に改憲項目の選定を委ねる構えを示しています。
 もし、審議を再開したいのであれば、その前提として自民党は改憲草案を撤回しなければなりません。この草案は近代憲法としての基本的要件を欠いており、そもそも協議のたたき台にはならないからです。

 いずれにしても、改憲をめぐる今後の動向を注視し、戦争法の発動による既成事実化を阻み、民進党内の改憲派の蠢動を抑えて立憲4党の共闘を維持することが必要です。同時に、憲法に対する国民の理解を深めて改憲勢力の狙いと危険性を周知していく活動が重要になっています。
 国民の世論をどちらが獲得するかが決定的です。緊急事態条項に限っての「お試し改憲」という奇策が打ち出されても、それに打ち勝つだけの世論状況を作りだすことができれば改憲に向けての策動そのものをストップさせることができるにちがいありません。



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2月15日(月) 「憲法守って国滅ぶ」なのか、「憲法変えて国滅ぶ」なのか [憲法]

 先日の講演で質問が出されました。「憲法守って国滅ぶ」という意見がありますが、どう思いますか、と。同じような質問には、これまでも多く接しています。
 その都度、答えてきましたが、同じような疑問を持っている人は多いのではないでしょうか。ということで、ここで私の意見を明らかにしておきたいと思います。

 「憲法守って国滅ぶ」という意見は、安保法制(戦争法)審議の過程でも多く言われました。たとえば、「まず国民の生活あってこその憲法であり、憲法を改正するのを待っていて他国に蹂躙されることなどあってはならないから、改憲以前に安保法制を整備するべきだ」などと。
 北朝鮮が核開発を進め、「事実上の弾道ミサイル」とされるロケットを発射している昨今、このような意見は説得力を持っているように見えます。だからこそ、講演会などでもこのような質問が出されるのでしょう。
 夏の参院選に向けて改憲を争点にしようとしている安倍首相は、内心ニンマリとしているにちがいありません。北朝鮮の蛮行によって国民の不安は高まり、緊急事態条項の新設など改憲に向けての理解が得やすくなっただけでなく、ミサイル防衛の予行演習や米軍との共同作戦の準備を進めることができたのですから。

 北朝鮮は、意図しているいないにかかわらず、日本国民に対する危機意識を植え付け、夏に向けて改憲機運を高めるための絶好の宣伝材料を、安倍首相に提供したことになります。こうして、またもや「憲法守って国滅ぶ」という声が高まりそうな状況が生まれました。
 しかし、日本は過去70年間、憲法を守り続けてきましたが、それによって国が亡ぶというような事態を引き起こしたでしょうか。戦後日本が示してきたのは、「憲法守って国栄える」という実例ではなかったでしょうか。
 「北朝鮮の脅威」が存在することは否定できませんが、軍事力の強化などの「力の政策」では、その脅威を減らすどころか、かえって増やすことになります。現に、安保法制の整備によって日米同盟の強化が図られましたが、それによる「抑止効果」などは皆無で、相変わらず核開発とロケット発射が実行されたのですから。

 「北朝鮮の脅威」を減らして問題を解決する最善の道は、米朝間の直接対話などの協議と対話を通じて北朝鮮を国際社会に復帰させることです。力によって屈服させようとすればするほど、かえって依怙地になって強硬手段に走るというのがこれまでの経過でした。
 安倍首相が行ってきた安保法制の整備と日米同盟の強化は、このような力による屈服路線の悪しき実例にほかなりません。これでは問題を解決できないばかりか、さらに軍事的対抗手段を引き出して軍拡競争の泥沼に陥るだけです。
 このようななかで、安倍首相は日本を「戦争する国」として完成させるために、憲法を変えようとしています。その最大の理由となっているのが、冒頭に示した「憲法守って国滅ぶ」という論理です。

 しかし、このようなアベ改憲路線は、戦前の日本を「取り戻す」ことを意味しています。その帰結は、侵略戦争によって破局を迎え、存亡の危機に追い込まれた戦前の日本の末路が示しています。
 また、それは戦後のアメリカが犯してきた過ちを後追いすることを意味しています。その帰結は、自国の若者を戦場に送り出して犠牲にし、イスラム社会からの恨みを買って国際紛争の種をまき散らすだけでなく、イスラム国(IS)を育成して国際テロを拡大させてきた、これまでの歴史が示しています。

 アメリカは謀略によって引き起こした不正義のベトナム戦争で5万8000人の若者の命を失い、韓国・オーストラリア・タイ・フィリピン・ニュージーランドなどの同盟国軍約5000人、南北ベトナム軍110万人、民間人44万人を死に追いやりました。イラク戦争での米兵の死者は3000人を超え、アフガニスタンでの戦争では米軍が2365人、多国籍軍では3512人が死亡したとされ、この数は増え続けています。
 問題は、このような戦場での死者だけではありません。心理的外傷後ストレス障害(PTSD)による犠牲者は、ベトナム戦争後と同様、イラク戦争後でも深刻で、3万1000人が精神疾患や負傷のために障害者給付金を請求しています。
 これだけの犠牲を払ったにもかかわらず、アメリカは感謝されるどころか恨みを買い、2001年9月11日に同時多発テロに襲われ、3025人の犠牲者を出しています。日本政府が憲法理念に忠実であったなら、戦後繰り返されてきたアメリカによる軍事介入という過ちを制止させることができたかもしれませんが、歴代の自民党政府は憲法の理念を踏みにじって追随し、軍事介入を支持し手助けするという間違いを犯してきました。

 本来であれば、このような自民党政権の間違いを正し、アメリカに対して忠告できるような国のあり方を目指すべきでしょう。しかし、その間違いを反省するどころか、このような手助けを堂々と行えるようにするために憲法を変えようとしているのが、安倍首相にほかなりません。
 憲法を変えて「戦争する国」となれば、アジアで孤立し、戦前の日本と同様の間違いを犯して破局を迎えることになるでしょう。日本が70年前に経験したのは、このような「国滅ぶ」実例そのものではありませんか。
 またそれは、世界最大の「ならず者国家」として多大な人命を奪い続けてきたアメリカの過ちを後追いし、さらにそれを助長することになります。その結果、国際紛争を解決するどころかさらに拡大し、国際テロの標的として狙われるような危険な状況に日本国民を追い込むにちがいありません。

 それは結局、「憲法変えて国滅ぶ」道を選ぶことになるでしょう。それで良いのでしょうか。
 これまで「憲法守って国栄える」道を歩んできた戦後70年の日本の歩みを、今一度、再評価する必要があるのではないでしょうか。憲法9条を守ることによって得られた平和という果実を、じっくりと噛みしめなければなりません。
 これまでの歩みを変えることなく守り続けることによって、「憲法守って国栄える」道を次の世代に手渡そうではありませんか。それこそが、憲法が危機に晒されている今を生きる、私たちの務めではないでしょうか。

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1月8日(木) 本格的に始まった憲法をめぐる対決 [憲法]

 自民党はいよいよ安倍首相(党総裁)の悲願である「憲法改正」に向けた取り組みを本格化させようとしているようです。戦後70年の今年、憲法をめぐる対決が激しくなることでしょう。

 先の総選挙では、安倍首相の改憲戦略にとって3つの誤算が生じてしまいまいました。一つは、公明党が議席を増やして与党内での比重を高めたこと、二つ目は次世代の党がほぼ壊滅してしまったこと、三つ目は共産党が2倍以上に躍進したことです。
 いずれも、突然の解散などと血迷ったことをやらなければ生じなかった変化です。まさか、そうなるとは思っていなかったこのような変化によって、安倍首相の悲願であった改憲戦術にも手直しが必要になりました。
 最も大きな変化は、9条改憲に向けて直進するのが難しくなったという点です。改憲に向けては、どうやら迂回戦術を取ろうとしているように見られます。

 その手始めとして与野党共通の改憲試案策定を目指し、3月にも協議をスタートさせたい考えだといいます。改憲に一定の理解を示しながらも9条改正には慎重な公明党や、民主党、維新の党など野党勢力を取り込んで、改憲の実績を作るのが狙いです。
 「まずはできるところから改憲を実現させたい」ということで、「環境権」や緊急事態への対応、財政規律に関する規定の新設などについて16年の参院選前に第一弾の共通試案を取りまとめ、同年中にも国民投票に付すスケジュールを想定しているようです。
 国会内で一致しやすく、国民投票で支持されやすいテーマから突破口を開いていこうという作戦のようです。9条を変えるというより改憲それ自体を目標にし、「改憲アレルギー」を払しょくし「改憲グセ」をつけてから、「本丸」の9条改憲に迫ろうという作戦なのでしょう。

 安倍首相は国会内での改憲勢力を拡大するだけでなく、国民的な理解を得る作業も重視しているようです。憲法改正を発議できても国民投票で否決されれば改憲の機運は一気にしぼんでしまうためです。総選挙後の12月の記者会見でも「大切なことは国民投票で過半数の支持を得ることだ。ここがまさに正念場だ」と強調していました。
 このため、自民党は衆参両院の憲法審査会で地方公聴会を積極的に行っていこうとしています。このほか、改憲に向けて世論を醸成するための対話集会も各地で開くことを検討しているようです。
 こうして、国民世論の獲得をめぐっての本格的な「対決」が始まろうとしています。「草の根」レベルでの憲法をめぐる対決がこのような形で強まることは、かつてなかったことです。

 安倍首相がこのような戦術転換を行ったのは、憲法をめぐる国会内の勢力分野が大きく変わってしまったからです。総選挙では、次世代の党の壊滅、維新の党の不振、みんなの党の消滅という形で「第三極」は存在感を大きく低下させました。
 この結果、「いざという時の第三極頼み」という戦術が難しくなったわけです。改憲発議については衆参両院で3分の2を確保しなければなりませんが、参院での3分の2は再来年の参院選で躍進しても自民党だけでは無理で、公明党を揺さぶる場合や頼りにならなくなった場合、「第三極」を当てにせざるを得ません。
 特に、次世代の党が大きな援軍でしたが、それがほとんど姿を消してしまいました。安倍首相としては、これほど大きな計算違いはなかったでしょう。

 公明党が議席を増やしたことも好ましい結果ではありませんでした。今後の安保法制や日米ガイドラインの改定などでもできるだけ「限定」する方向で抵抗する可能性がありますから……。
 また、憲法についても公明党は9条を変える「改憲」ではなく、プライバシー権などの新たな条項を追加する「加憲」の立場です。安倍首相の改憲戦略にとっては「躓きの石」になるかもしれません。
 「改憲勢力をどう立て直すのか」ということで、安倍首相が頭を悩ませていたのも当然です。その結果、たどり着いた結論が、当面、9条以外の一致しやすいテーマで改憲の機運を高めるというものでした。

 総選挙直後の記者会見で「憲法改正は自民党の悲願であり、立党以来の目標だ」と言っていたように、安倍首相は明文改憲の狙いそのものをあきらめてはいません。それは、首班指名後の記者会見で語った「戦後以来の大改革」の中心に据えられた目標です。
 その実現に向けて、さし当り国会での発議要件の充足という上からの改憲準備と、国民投票での過半数の賛成の獲得という下からの改憲準備を並行させる形で取り組まれようとしています。衆参両院での3分の2を上回る改憲勢力の形成を図りつつ、同時に「草の根」での改憲世論を盛り上げていこうというわけです。
 こうして、改憲の危機はかつてなく大きく、現実的なものとなってきました。このような危機を打ち破るためには、国会内での野党や公明党の動揺を抑えつつ、「草の根」レベルでも改憲を提起できないような世論と力関係を生み出さなければなりません。

 憲法をめぐる対決の戦線は拡大し、私たちの身近にまで及んできていると言うべきでしょう。改憲を阻むためには、第一に、衆参両院での改憲勢力による3分の2突破を阻止すること、第二に、国会論戦や憲法審査会などで改憲に向けての意図や準備を打ち砕くこと、第三に、国民的な大運動によって改憲阻止の世論を高めていくことが必要です。
 改憲阻止に向けての取り組みは、選挙、国会、世論という三つの「戦線」で同時並行的に推進されなければなりません。そのためには、事実を知り、学び、伝えることが重要です。
 このブログの役割も、一段と大きなものになっているということでしょうか。「草の根」での世論形成のために、今年も微力を尽くしたいと思っています。

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10月5日(日) 自治体による護憲イベントの後援拒否は99条の憲法尊重擁護義務違反だ [憲法]

 憲法第99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と書かれています。自治体や公民館の職員、教育委員会の委員は公務員ですから、このような憲法尊重擁護義務を負っているはずです。

 ところが、最近、地方自治体などによって9条を守れとの趣旨のイベントや俳句を拒否する事例が目立ってきています。安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことに深くかかわっているように見えます。
 このような憲法の解釈変更も、明確に第99条に規定されている憲法尊重擁護義務違反であると思います。しかし、その先頭に立っている安倍首相は、このような解釈の変更による集団的自衛権の行使容認は憲法9条に反するものではなく、憲法が定めている平和国家としての在り方も変わらないと説明しています。
 つまり、集団的自衛権の行使容認をめぐって、第9条を守らないと言っているわけではありません。9条を守るという点に関する限り、政府も9条の会も異なった主張を行っているわけではないのです。

 昨日の『東京新聞』の一面に、調布九条の会の「憲法ひろば」が来年1月に開く創立十周年記念イベントについて、調布市が後援しないことを決めたという記事が出ていました。憲法ひろばの会則が、「『改憲』のくわだてを阻むため…」などと宣言した文化人らの平和団体「九条の会」のアピール文に連帯の姿勢を示している点を問題視したのだそうです。
 市文化振興課の仁藤美保課長は、「『改憲のくわだてを阻むため』との文言が、(後援などの取り扱いに関する)要綱で定める審査基準の『特定の政党を支持し、もしくはこれに反するための政治活動』に当たるので、不承認とした」と説明し、「議論のあることについて、後援すると市の中立の立場が損なわれる場合、承認しないことはある」と話したそうです。
 しかし、「改憲の企てを阻む」ということは憲法を尊重し擁護することであり、それは公務員にとって憲法上の義務にほかなりません。本来、公務員が職責上行うべきことを、9条の会が率先して行っているにすぎないのではありませんか。

 また、9条を守るということが、どうして「『特定の政党を支持し、もしくはこれに反するための政治活動』に当たる」のでしょうか。9条を守るなと言っている政党があり、それに対して「特定の政党」が守れと言っているというのでしょうか。
 自民党や安倍首相も、正面から9条を守るなとは言っていないではありませんか。それがどうして、特定の政党を支持したり、反したりするための政治活動に当たるのでしょう。
 そもそも、9条を守るということに対して「議論がある」という認識も、それに対して市が「中立の立場」にあるというのも間違いです。9条改憲が提起されているわけではなく、守らなくても良いという強い主張があるわけでもなく、公務員は憲法に対して「中立」であってはならず、それを尊重し擁護すべき憲法上の義務を負っているからです。

 以前、さいたま市大宮区の三橋公民館が「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の俳句の月報への掲載を拒否し、大きな問題になりました。その時、引間正己館長は「公民館が選んだと誤解を受ける」と説明し、批判された後も公民館を管轄する市生涯学習総合センターの小川栄一副館長は「集団的自衛権について色々な意見がある中で掲載するのは、偏った表現と受け取られかねない。妥当な判断だった」として「世論を二分するようなものは載せるべきではない」という考えは崩していません。
 これも、憲法99条に照らして大間違いです。「9条守れ」という句を公民館が選んだとしても、憲法尊重擁護義務を果たしたにすぎず、「誤解」するのはこの条文を知らない人だけです。
 「集団的自衛権について色々な意見がある」のは事実ですが、それは9条について「世論を二分」しているわけでもなく、したがって「偏った表現」でもありません。安倍首相自身、集団的自衛権の行使容認は9条の範囲内で、それに反するものではないと言っているのですから……。

 憲法や9条だけでなく消費税や原発、年金や社会保障などの国政上の問題、市政など自治体行政についても様々な議論があることは避けられません。どのような問題であっても賛否両論は存在し、意見の対立はあります。
 これらの問題に対して、「中立」を掲げて関与を避ければ、自治体は非政治化し、ゴタゴタを避けることができるかもしれません。しかし、このような「事なかれ主義」によって政治や行政から住民を遠ざけ、「隔離」して「無菌室」に入れるような態度こそが、地方自治の力を弱めてきたのではありませんか。
 社会教育や政治的なイベントを後援することなどを通じて住民を教育したり啓発したりすることも自治体の重要な役割であり、9条の会の活動などは本来自治体が行うべきことをやっているようなものです。後援するのは当然であり、可能であれば積極的に協力し助成すべき取り組みでしょう。

 選挙の時だけ、政治や行政への関心が低い、議員のなり手がいない、投票に行く人が少ないと嘆く。普段から、「事なかれ主義」によって政治から住民を遠ざけ、「隔離」するようなことをやっていれば、そうなるのは当然の帰結です。
 憲法や9条の会をめぐる一連の後援拒否、掲載拒否の背景には、自治体の政治力を低下させ、自治と民主主義の基盤を掘り崩す悪しきモメントが働いていることを自覚していただきたいものです。同時に、それは憲法尊重擁護義務に反し、憲法99条違反で訴えられる可能性のある犯罪的な行為であるということについても気付いてもらいたいものです。

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5月12日(月) 「暴走」が始まって気が付いた「ブレーキ」の重要性 [憲法]

 車が通常のスピードで普通に走っているとき、運転している人はブレーキのことを気にしたりはしないでしょう。しかし、その車が暴走を始めたとき、始めてブレーキがあって良かったと思うのではないでしょうか。
 もし、ブレーキがなかったり、その効き具合が悪かったりすれば、衝突して大事故を起こしたかもしれません。慌ててブレーキを踏んで、ホット胸をなでおろすことでしょう。

 今、安倍首相の「暴走」が始まっているこの日本で、同じようなことが起きているのではないでしょうか。このまま行ったら、衝突してしまうかもしれません。
 大きな事故が起きるかもしれないという危機が実感されるようになって始めて、ブレーキの存在とその役割について意識が及んできたということでしょう。それが、平和憲法と9条の存在についての再認識をもたらしつつある最大の要因であるように思われます。
 戦後、69年の長きにわたって日本は、戦争という大事故を起こすことなく、安全運転に徹してきました。戦争で殺し殺されることなく、かくも長期間、平和が保たれてきたのは明治維新以来、日本の近現代史において初めてのことですが、それは平和憲法と9条のおかげであったことを、国民の多くが再認識し始めたように思います。

 本日の『しんぶん赤旗』には、「9条改憲反対 急増」「世論激変」という記事が、一面のトップに出ています。そこで紹介されているように、一年前に比べてNHK調査では改憲の「必要がない」は10ポイント増、「必要がある」は13ポイント減、産経の調査でも、改憲「反対」は20.6ポイント増、「賛成」は22.5ポイント減となっています。
 3面には、これに関連する「特報」欄があり、ここでも集団的自衛権の行使について、NHKでは「認めるべきだ」が13.8ポイント減、「認めるべきではない」が15.6ポイント増となっています。まさに、「世論激変」と言って良いような急激な変化です。
 「『戦争への道』に危機感」という見出しが出ているこの記事では、私のコメントも引用されています。それは、次の2か所です。

 元法政大学教授の五十嵐仁さんは「集団的自衛権行使容認に向け世論を説得するため安倍首相は〝安全保障環境の激変〟などいってきた。しかしその中身は軍事力強化路線だということがくっきり見え、そこに日本が巻き込まれてしまう不安感、危機感がリアリティー(現実性)をもって多くの国民に実感されてきているのだと思う。それを背景に、憲法の持っている意味を再確認してきている」とみます。

 改憲賛成・支持の急減にも質的な変化があると前出の五十嵐さん。「これまでは憲法と現実との矛盾があり、軽い気持ちで『憲法を直したらどうか』という賛成が多かったが、今はどういう事態に引き込まれていくのかを真剣に考えてきている」と語ります。

 このような「軽い気持ち」での賛成が多かったのは、憲法を変えても自分の生活に具体的な影響があるとは考えていなかったからだと思います。しかし、今は違います。
 集団的自衛権の行使容認は戦後の憲法体制の大転換であり、9条を空文化して平和憲法の実質を掘り崩し、戦争によって殺し殺されることも辞さずという覚悟が国民の一人一人に求められるようになるでしょう。すでに、そのための準備は始まっています。
 安倍首相の掲げる「積極的平和主義」とは「平和」のためには「戦争」も必要だという立場であり、すべての国民にそのための覚悟と犠牲を強いるものです。それは、集団的自衛権の行使容認だけでなく、国家安全保障会議の設置、特定秘密保護法の制定、国家安全保障戦略の策定、新防衛大綱と新中期防衛力整備計画による軍事力の増強、オスプレイや水陸両用車の導入、普天基地の辺野古移設による米軍基地の再編・強化の強行、教育への政治介入による国家のために命をささげる愛国心教育の徹底など、この間に実施されてきたきな臭い政策の方向性を見れば容易に理解できます。

 このような形で、戦争へのブレーキを外しても良いのでしょうか。戦後70年近くにわたって平和を保ち、戦争で殺し殺されることのなかった歴史を、今、この私たちの世代で断ち切ることになっても良いのでしょうか。
 最近の世論の激変は、このような問いに対して、国民の多くが「ノー」を言い始めたことを意味しています。その世論をさらに高めて「戦争への道」を阻み、平和で民主的な、まともな社会を孫子の代に手渡すことこそが、今の時代に生きる私たちに課せられた歴史的な使命なのではないでしょうか。

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2月28日(金) 「裏口」さえぶっ壊す「憲法クーデター」を許してはならない [憲法]

 昨日の『しんぶん赤旗』の一面に、私のコメントが出ました。以下のようなものです。

 保守政治家や改憲論者からも安倍首相の解釈改憲強行発言に批判の声が上がる背景に何があるのか。法政大学大原社会問題研究所の五十嵐仁教授はこう指摘します―。
 「保守や改憲論者でも、民主主義や憲法がどうあるべきかという常識くらいは持っています。それをまったく理解していない安倍首相の異常さが際だっており、それへの驚きもあるのでしょう」とみます。
 同時に五十嵐教授は、憲法改定手続きを緩和する96条改定論をめぐってこの間「立憲主義とは何か」について一定の議論の積み重ねができていたことをあげ、「96条改憲論は手続きを踏んで明文改憲をやろうというものでしたが、今回の場合は〝オレは選挙で選ばれたんだから、思うとおりやらせてもらう。イヤなら次の選挙で落とせばいい〟という独裁的なやり方で、裏口入学どころか裏口すらぶっ壊すようなものです。多くの人が 批判するのは当然のこと」と述べます。

 安倍首相はもともと改憲論者で、当初は9条の明文改憲を狙っていました。しかし、それが難しいとなると、改憲の手続き条項である96条を先ず変えて改憲発議の「ハードル」を下げようとしました。
 しかし、このような姑息なやり方は改憲論者である人々からも「裏口入学ではないか」と批判を受け、どの世論調査でも反対の方が多くなりました。国会での発議のために必要な賛成を三分の二から半分に引き下げようというのですから、それも当然です。
 正門からも「裏口」からも入るのは難しいと知った安倍首相は、いっそのこと門をぶっ壊して中に押し入ろうとしているようです。これが、今回の国会での「オレは選挙で選ばれたんだから、思うとおりやらせてもらう。イヤなら次の選挙で落とせばいい」と言わんばかりの答弁でした。

 これは正規の手続きを踏まない実質的な改憲を意味しています。「解釈だけなら誰でも変えられる」と思っているのかもしれませんが、このようなことを許したら憲法の規範性がなくなってしまいます。
 ときの政権や首相の一存で解釈が変えられ、その意味合いが変更されることになれば、一体、何のために憲法が存在するのでしょうか。常に変わらぬ規範を示すものであるからこそ、憲法は国の「基本法」であり、最高法規としての位置を占めることができるはずです。
 これのような「憲法のイロハ」も分からず「民主主義や憲法がどうあるべきかという常識」がない点で「安倍首相の異常さが際だって」いるからこそ、保守政治家や改憲論者とされる人々からも、その発言に対する驚きや批判、異論が出されているわけです。

 前回のブログで、日本と日本人(もちろん、ほんの一部にすぎないと思いますが)は「ネオ・ナチ化」しつつあるのではないかと指摘しました。その先頭を走っているのが、この国のトップリーダーである安倍首相だと言うべきでしょう。
 この人の言動に励まされるような形で極右勢力が台頭し、周辺諸国の人々を貶み排除するヘイト・スピーチやヘイト・デモが行われ、NHK会長や一部の経営委員の誤った歴史認識に基づく「トンデモ発言」がなされ、果ては『アンネの日記』関連の書籍に対する「焚書」事件が勃発したのではないでしょうか。
 社会の空気がドンドン変わっていき、「本当に戦争が起きるのではないか」と心配しなければならないような状況が生まれています。安倍首相がめざす集団的自衛権行使容認のための憲法解釈の変更によって、このような空気は薄まるのでしょうか、それともますます濃くなっていくのでしょうか。

 同時に、このようなやり方の異常さに多くの国民が気づき、批判が強まっているという、もう一つの翼面も忘れてはなりません。それは「憲法改定手続きを緩和する96条改定論をめぐってこの間『立憲主義とは何か』について一定の議論の積み重ねができていた」からです。
 これは、安倍首相が「裏口入学」を試みて「96条先行改憲論」を打ち出したことによる「成果」であったと思われます。その意味を学ぶうちに、憲法とは国民ではなく時の為政者を縛るものであるという立憲主義に対する理解が深まりました。
 だからこそ、安倍首相のやろうとしていることが「憲法クーデター」にほかならないという本質を見破る力を身につけ、今回の言動の「異常さ」が際立って見えたのではないでしょうか。私もこの間、「9条の会」や革新懇などによる講演会や学習会に呼ばれて沢山話をしてきましたが、それは決して無駄ではなかったということになります。

 ボールは強い力で打ち付ければ、それだけ高く跳ね返ってきます。太鼓は強く叩けば叩くほど、大きな音が出ます。
 改憲をめざして、安倍首相ほど強く打ち付け強く叩く首相は、これまでいませんでした。だからこそ、それだけ強く跳ね返り、大きな音が出ているのではないでしょうか。
 これらの跳ね返りや音をさらに大きなものとし、できるだけ早期に安倍内閣を倒して解散・総選挙を実現したいものです。そして、「イヤなら次の選挙で落とせばいい」という首相の言葉に従って、次の選挙で政権からたたき落とすことが必要でしょう。

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11月13日(水) 「五日市憲法」を「しきりに思い出」すと振り返った美智子皇后の述懐 [憲法]

 少し前になりますが、安倍首相のめざす改憲をめぐる論議との関連で、注目すべき発言がありました。「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました」という美智子皇后の述懐です。

 これは、10月に79歳の誕生日を迎えた美智子皇后が、宮内庁記者会の質問に寄せた回答文書の一節です。先の文章には、次のような言葉が続いています。

 明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

 この「五日市憲法草案」には、「基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など」が謳われており、民権運動期に作成された憲法草案の中でも、とりわけ民主的で先進的な内容を持つものでした。これは、植木枝盛の「東洋大日本国国憲按(案)」とともに日本国憲法の源流として位置づけられるものです。
 これらの民権運動期の憲法を研究していたのが、憲法学者の鈴木安蔵でした。その鈴木を誘って日本国憲法の草案を作成させたのが高野岩三郎です。
 高野は戦後すぐに憲法研究会を組織して憲法草案の作成に取りかかりますが、その中心になったのが鈴木安蔵でした。五日市憲法草案や植木枝盛の憲法私案などに盛り込まれていた民主的で先進的な内容は、鈴木を介して憲法研究会案に反映されます(この間の経緯は、映画「日本の青空」で詳しく描かれています)。

 この憲法研究会案はGHQによる憲法原案の作成に際しても参考にされました。その内容の多くが、現行憲法に生かされていることは言うまでもありません。
 つまり、五日市憲法草案や植木枝盛私案などとなって民権運動期に流れ出した民主憲法の思想は戦前期に伏流水となって流れ続け、戦後になって鈴木安蔵や憲法研究会などを介して地表に現れたのです。それは、現行憲法を形作る参考資料の一つとなり、そこに盛られていた民主的な条項は現行憲法のものとなりました。
 その源流となった「五日市憲法草案」について、美智子皇后は「しきりに思い出しておりました」と述懐したのです。そして、「市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と評価しています。

 美智子皇后は「五日市憲法草案」に言及することによって、現行憲法に対する評価を示したかったのではないでしょうか。この述懐と評価から、改憲への危惧と現行憲法の民主的条項を変えてはならないとのメッセージが読み取れるのではないかと思われるのですが、それは私の深読みに過ぎるでしょうか。

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8月14日(水) 改憲・戦争準備内閣としての本質を露わにした安倍首相の決意 [憲法]

 日本に生まれた子どもたちが、この日本に誇りを持てる国をつくっていくのが、私の大きな目標だ。このための教育の再生、さらには将来の憲法改正に向けて頑張っていく、これが私の歴史的な使命であると思っている。

 安倍首相は、12日夜、山口県長門市で開かれたみずからの後援会の会合で、こう発言して「憲法改正」に向けての決意を示したそうです。「誇りを持てる国」をつくるための「教育の再生」と「憲法改正」が「大きな目標」だというわけです。
 そのために、戦争をしない国、できない国から、戦争をする国、できる国へと変えてしまおうとしているのが、安倍首相です。しかし、平和主義を転換し「平和国家」としての国際ブランドを捨ててしまうことが、「誇りを持てる国」をつくることになるのでしょうか。
 伊藤塾塾長の伊藤真さんは、「現行憲法は『戦争放棄』の章題で9条を定め、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義の三原則を明示」することで、「積極的非暴力平和主義の立場をとって」いることを指摘しています(伊藤真『憲法は誰のもの?』)。これは「非暴力の手段によって積極的な活動をすることを通じて他国から信頼され、攻められない国をつくる思想」(同前)であり、このような「平和国家」としてのあり方こそ、戦後の国際社会において誇るべき日本の姿だったのではないでしょうか。

 また、元内閣官房副長官補の柳沢協二さんは、安倍首相について「おそらくこの人物は、人の痛みとか過去の侵略による犠牲者の苦しみに寄り添うことができないという、人格的危うさを抱えているのではないか」と指摘しつつ、次のように述べています(『週刊金曜日』2013年8月2日付)。

 逆に改憲などして戦争放棄の理念を捨てたら、何ごとも平和的姿勢で臨むという自らの優位性を捨て去る結果になり、安全保障の観点から見て好ましくない結果を生むでしょう。今求められているのはこの憲法を持つことを誇りとし、そこに立ち返ることではないでしょうか。

 安倍首相は、この「誇るべき憲法」の内実を大きく変え、「自らの優位性」を捨て去ろうとしています。そのために、解釈改憲、実質改憲(立法改憲)、明文改憲という手法を組み合わせ、戦争準備を着々と進行させています。
 しかし、その最終的な目標=「歴史的使命」は、あくまでも「憲法改正」、すなわち明文改憲にあるということを、12日夜の山口県長門市での発言は示しています。憲法の解釈を変えることによってアメリカと共に戦争ができるようにしたり、実質的に憲法の内実を変えるというようなレベルでは満足できないということなのでしょう。
 この点にも、柳沢さんの指摘する「人格的危うさ」が示されているのではないでしょうか。「人の痛みとか過去の侵略による犠牲者の苦しみに寄り添うことができない」このような人物がトップリーダーであるこの国の不幸を、改めて痛感させられます。

 なお、明日から20日(火)まで、ふる里の新潟に帰省します。この間、ブログはお休みさせていただきます。
 連日の猛暑が続いています。これを何とか乗り切って、無事に涼しい秋を迎えたいものです。

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