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11月18日(金) 再開された憲法審査会で明らかになった改憲をめぐる意見分布の構図と問題点 [憲法]

 参院憲法審査会は16日、今年2月に中断され開店休業状態になって以来、9カ月ぶりに審議を再開しました。翌17日、衆院憲法審査会も1年5カ月ぶりに実質的議論を再開しています。
 いよいよ、「3分の2国会」において改憲に向けての具体的な動きが始まったことになります。ここで注目されるのは、改憲をめぐる意見分布の構図と問題点が明らかになり、改憲をめぐっては与野党間に大きな違いがあるだけでなく「改憲勢力」とされている政党などにも無視できない違いがあるということです。

 第1に、改憲については党内がまとまっていないとされる民進党です。参院で白真勲さんは「現行憲法を正しく評価し、守ることが今、求められている」と表明し、衆院で武正公一さんは、権力を制限し、個人の自由を守る「近代立憲主義」の認識を衆参憲法審で共有することが「3分の2以上の発議の大前提」として、自民党の改憲草案に関し「個人よりも国家が前面に出ている。近代立憲主義の共通の土俵に立てるのか」と懸念を示しました。
 当面、安倍政権による改憲に反対する立場であることは明らかです。共産党や社民党、自由党とも共通するもので、憲法問題でも野党4党が共通の立場で共闘できることがはっきりしました。
 これは今後の野党共闘にとって極めて重要な意味をもちます。衆院選に向けての共通政策を作成するうえで、共通の憲法観は前提条件になるものですから。

 第2に、「改憲勢力」とされている政党などの間でも違いが明らかになっています。とりわけ公明党は、参院で西田実仁さんは「決して一方的な押し付けではない」と述べ、衆院でも北側一雄さんは憲法を「国民に広く浸透し支持されてきた」と評価し、必要な条文を加える「加憲」がふさわしいとするなど、自民党との憲法観の違いを鮮明にしました。
 公明党は、以前から憲法の3大原理を守ることを主張しています。また、9条改憲についても反対するなど、自民党との違いを明らかにしていました。
 このような違いは、今後の憲法審議では大きな意味を持つ可能性があります。しかし、集団的自衛権の行使容認でも「認められない」としていた当初の立場を覆して「部分的容認」に道を開いた「前科」がありますので、途中で腰砕けになって裏切る可能性も皆無とは言えません。

 第3に、「押し付け憲法論」や「9条改憲論」などについても、違いが明らかになっています。「押し付け憲法論」については日本のこころを大切にする党以外は特に主張せず、「9条改憲論」についても自民党以外で明言した政党はありませんでした。
 自民党でも、中谷さんや船田さんなどはこのような主張を抑制していたように見えます。しかし、個々の自民党議員の発言となると事情は別で、東京新聞は「本紙の集計では、2日間で計6人(衆院2人、参院4人)の自民党議員が9条改憲を訴えた」と報じています(18日付)。
 このような違いが生じたのは、9条改憲についての意見の違いというより任務分担ではないかと思われます。幹部は野党との合意を優先して改憲論議の本格化を狙い、個々の議員は右派的な支持者の反発を招かないように「本音」を主張するという形で役割を分担したのでしょう。

 衆院の憲法審査会で自民党を代表して意見表明した中谷元さんは、制定後70年を経た憲法と社会の間に「ずれが生じている」と指摘し、国民主権などの基本原理を維持した上で改正する必要性を論じました。しかし、この「ずれ」を生じさせたのは、ほかでもない長年にわたる自民党政権による「反憲法政治」の結果ではありませんか。
 憲法9条の理念に反して自衛隊を創設して増強させ、憲法との「ずれ」を意識的に拡大しておきながら、その「現実」を振りかざして今度は憲法の方を変えようというわけですから「盗人猛々しいにもほどがある」と言うべきでしょう。変えるべきは憲法ではなく、すでに世界有数の軍事力を保持し安保法によっていつでも海外に派遣可能な「外征軍」となりつつある自衛隊の方ではないでしょうか。
 同時に、「国民主権などの基本原理を維持した上で改正する」と言明した点は重要です。憲法の3大原理を壊すような「壊憲」ではないと明言したわけですから、この3大原理の破壊を主張していた長瀬元法相を処分し、自民党改憲草案を撤回するべきでしょう。

 また、中谷さんが「改正ありきではなく、改正の必要性が指摘されている項目について、改正の要否という観点から議論を深めていくべきだ」と述べた点も重要です。こういわざるを得なくなったのは、「改憲が自己目的化しているのではないか」という批判を考慮したからでしょう。
 「改正ありきではなく」というのであれば、今なぜ改正が必要なのか、国民はそれを求めているのか、求めているのは安倍首相など一部の自民党議員などにすぎないのではないのか、などについても「審査」していただきたいものです。
 さらに、国民のどれだけ多くが現行憲法に不都合を感じているのか、安保法の制定は憲法に反し立憲主義を破壊するものではないのか、憲法の理念や条文がどれほど現実の政治に活かされ実現しているのか、アベノミクスが破たんして国民生活の危機が高まっている今日、改憲に多くの政治的エネルギーを費やす必要があるのか、このようなことを行っている場合なのか、政治にはもっと優先して取り組むべき課題があるのではないのか、などの点についてもきちんとした「審査」をお願いしたいものです

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10月7日(金) 珍しくまっとうなことを言っている「財界総理」の諫言に安倍首相はどう答えるのか [憲法]

 「オヤオヤ」と思いましたね。今日の『朝日新聞』に掲載されている榊原定征経団連会長の改憲についての発言です。
 珍しくまっとうなことを言っているじゃありませんか。改憲に無駄なエネルギーを注いでいる安倍首相への諫言にほかなりませんが、この発言を安倍首相はどう読んだでしょうか。

 本日付の『朝日新聞』のインタビュー「危機下の『財界総理』 経団連会長・榊原定征さん」での発言です。榊原さんは「安倍晋三首相の宿願は、私は憲法改正だと思います。実現には相当の政治的精力が必要な難題です。危機下にあって、政策実行の優先順位をどう考えますか」と問われて、次のように答えています。
 「戦後すぐにできた憲法を時代に即したものに変えていく必要性は、一般論としてはその通りです。とかく憲法9条が注目されがちですが、教育や防災などの分野は改正は必要と考えます。ただ、経済界からすると、優先順位は憲法ではなく、経済再生であり、社会保障改革であり、構造改革。首相にはいつも『経済最優先』と申し上げ、首相も繰り返し言及されてきた。脇目もふらずにやって欲しい、それが正直なところです」

 この発言に関する限り、きわめてまっとうなものだと思います。「憲法を時代に即したものに変えていく必要性は、一般論としてはその通り」という点や「とかく憲法9条が注目されがちですが、教育や防災などの分野は改正は必要と考えます」という指摘は、憲法の基本原理に反せず、この国の形を壊さないことを指しているとすれば、否定されるようなものではありません。
 しかし、だからと言って、そのような「改憲」に政治のエネルギーを費やしている場合なのか、そのような必要性が一体どこにあるのか、ということが次に問題になります。これについても榊原さんは、「首相と直接、この優先順位の話はしたのですか」という問いに対して、こう答えています。

 「さすがに『憲法改正の議論はやめてください』とは言っていません。でも、どこまで直接的な表現を使うかは別にして、必要なときは言います。憲法審査会で議論するのはいいと思いますが、大事な国会の審議がそちらに割かれ、経済や構造改革、社会保障制度改革の議論が遅れることはあってはならない。経済は国の礎。まず経済をよくしなければなりません」

 さらに、「経済が脇に置かれると、榊原さんの持論の『政治と経済の車の両輪』も狂ってしまう、と」という問いにも次のように答えています。
 「おっしゃる通り。『憲法は後にしたってよろしい』と言うくらいのつもりです。経済界としては、このような経済、社会保障、財政の状況にある時期ですから、まさに『経済最優先』の主張を強く発信するところだと思います」
 ――それが経団連の使命だと。
 「改革には政治の力が絶対に必要です。いくら新聞が書いても、世の中を変えられるのは政府、特に首相しかいない。だから私は政治と連携し、首相に直接、提言できる関係を構築したのです。業界に利益を誘導するとか、そんなけちなことは考えていません」

 このような発言の背後には、経済界としての強烈な危機感があります。それについても榊原さんは次のように指摘し、アベノミクスについても「アベノミクスで、国民所得、税収、雇用の指標も大きく改善しました。最初の3年間は大きな成果を上げたと評価しますが、その後は十分な形になっていないのは確かです」と、失速していることを認めています。

 「日本のGDP(国内総生産)は1993年からの20年間で、増えるどころか減りました。米国は2・4倍、中国は16倍にも増えたのに。世界シェアでは日本は90年の13・8%から2013年は6・6%に落ち、国際社会における経済的プレゼンスは半減しました」
 「人口も減り始めて、2060年には9千万人を割り、国を支える生産年齢人口はいまの6割から5割に減るでしょう。一方、年間の社会保障給付はすでに100兆円の大台を超え、国の予算を上回ります。放っておくと25年度には150兆円ほどにもなる。しかも高齢者向けは大幅に増え、子どもや働き世帯へはほとんど増えていない。医療費は40兆円を超え、国と地方合わせた長期債務残高は、GDPの2倍超です。これほど債務を抱えている先進国はありません。この流れを変えないと、日本はまさに消滅してしまいます」

 こう仰る榊原さんには、「このような危機を作り出してきたのは歴代の自民党政権ではありませんか。それを支持し背後から支えてきたのは、ほかならないあなたたち財界人ではありませんか」と言いたいところです。とはいえ、現在の日本がこのような危機に直面しており、「この流れを変えないと、日本はまさに消滅してしまいます」という状況に陥っていることは間違いありません。
 それは現行憲法のせいではなく、憲法を変えたからと言って「この流れ」が変わるわけでもありません。改憲は政治的なエネルギーの無駄遣いであり、優先順位が間違っているという認識は財界と共有できるということになります。
 榊原さんは現在の政治の優先順位が改憲にはないと明言しています。この論理を民進党はじめ野党は大いに主張するべきでしょう。

 「『憲法は後にしたってよろしい』と言うくらいのつもりです。経済界としては、このような経済、社会保障、財政の状況にある時期ですから、まさに『経済最優先』の主張を強く発信するところだと思います」という経団連会長の発言は、改憲最優先で暴走を加速しようとしている安倍首相に対する強力なブレーキになる可能性を秘めています。この点に限って言えば、立憲野党との共同も可能かもしれません。
 日本の経済と社会が深刻な危機状況に陥っているのに、相も変わらず「壊憲」に精力を費やそうとしている安倍首相の暴走振りが、経済界までも「『憲法は後にしたってよろしい』とも言うくらいのつもり」にしてしまったということでしょう。「財界総理」と目される経団連会長からこのように言われたとき、「政界総理」である安倍首相はどう答えるのでしょうか。


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8月31日(水) いま再び活憲のススメ [憲法]

 参院選の結果、再び憲法が政局の焦点に浮かび上がってきました。憲法をめぐる争点を、改憲すべてにではなく、その最悪の狙いである壊憲に絞り、護憲ではなく立憲を獲得目標にするべきだというのが、私の新しい提言です。
 加えて、もう一つの提言をさせていただきます。それはすでに以前に行ったものですが、このような情勢に際して再び強調したいと思います。

 それは「活憲」のススメということです。今から11年前、私は『活憲―「特上の国」づくりをめざして』(山吹書店、2005年)という本を出版させていただきました。
 その「はしがき」で、私は「憲法は護らなければならない。しかし、それだけでいいのか?」という問いを発しました。そして、「護るだけでなく、日々の暮らしに活かすことこそ必要だ」という回答を記しています。
 「改憲を阻むだけでは、現実がそのまま残るだけ」です。「その現実は、長年の『反憲法政治』によって、憲法の理念と大きく乖離してい」ますから、それを放置するのではなく、「現実も変えていくことが必要」だということです。

 これが「活憲」であり、「憲法の基本理念に基づいた政治を実現し、憲法を日々の暮らしに活かすこと」を意味しています。憲法を活かし憲法を再生させることが課題になります。
 そして、それによって、憲法が本来の可能性を全面的に開花させれば、どれほど風通しが良く、明るく素晴らしい未来が開けてくるのかというビジョンを打ち出す必要があります。憲法によって開かれる夢と希望が実現する新しい日本像を提起するのです。
 こうして、憲法を「護る」ことから「活かす」ことへと重点が移動することになります。守勢から攻勢へと憲法運動の発展を図ることも可能になるでしょう。

 そのために必要なことは、憲法についての学習を深めることです。小さなグループで自民党憲法草案と現行憲法との対照表を用いてじっくり比較するのが良いでしょう。
 憲法とはどうあってはならないかを実際に条文化した格好の教材が自民党の憲法草案です。それと対比しながら各条文の意味や意義を学べば、憲法に対する理解が一段と深まるにちがいありません。
 そのことによって、「壊憲」が生み出す社会の恐ろしさと現行憲法が目指している社会のすばらしさが認識されるでしょう。自民党による長年の「反憲法政治」によって憲法の理念と大きく乖離してしまっている現実をそのまま受け入れるのではなく、そのような歪んだ現実を理念に近づけていく努力こそが求められているということが良く理解されるのではないでしょうか。

 安保法の発動や米軍基地の強化、自衛隊の増強などに反対し、平和を求める9条理念の具体化を図ることが必要です。基本的人権の尊重などの憲法理念についても、その具体化を目指さなければなりません。
 ヘイトクライムや障害者、女性、少数者への差別などに反対して人権を守ること、マスメディアへの介入や規制を許さず報道の自由や知る権利を擁護すること、政治的中立を名目とした集会規制や教育への介入などを許さないこと、非正規労働者の処遇改善やブラックバイトの是正、職場での労働者の権利拡大など、社会生活と労働の各分野における民主主義の確立に努めることが大切です。
 憲法が保障する権利や自由、民主主義が行き渡っていけば、どれほど明るく希望にあふれた社会に変わるのか。そのような展望とビジョンを示さなければなりません。

 憲法が蹂躙されている「今」を告発し、さらなる改悪を阻止するだけでなく、それが活かされた場合の「明日」を豊かに描くことが必要です。それによってはじめて、憲法がめざしている社会に向けての夢と希望が湧いてくるにちがいないのですから……。

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8月26 日(金) 改憲への賛否や9条改憲への賛否を問う世論調査の「落とし穴」 [憲法]

 「あなたは改憲について賛成ですか、反対ですか」と問われたとします。新聞などによる世論調査では、このように問うのが一般的です。
 しかし、改憲への賛否や9条改憲への賛否を問うこのような世論調査には大きな「落とし穴」があります。何をどのように変えるのかが特定されずに問うのでは、全く正反対の意見が含まれてしまうからです。

 例えば、朝日新聞社(5月3日)の調査では、「いまの憲法を変える必要があると思いますか。変える必要はないと思いますか」との問いに「変える必要がある」43%、「変える必要はない」48%という回答があり、毎日新聞世論調査(5月4日)では、「憲法を改正すべきだと思いますか、思いませんか」との質問に「思う」43%、「思わない」43%と答え、NHK (5 月 1 日 )では、「今の憲法を改正する必要があると思うか」という問いへの回答は「改正する必要があると思う」28%、「改正する必要はないと思う」25% 、「どちらともいえない」43%でした。
 いまの憲法を「変える必要がある」かどうかを問われて、朝日の調査では「必要はない」が多数、読売の調査では同数、NHK調査では「必要がある」が多数となっています。世論はバラバラのように見えますが、それも当然でしょう。
 憲法のどこをどのように変えるのかが明示されずに聞かれているのですから。答える側が勝手に想像して判断しているわけですから、回答がバラバラになるのは当たり前です。

 しかも、「変える必要がある」という回答には、私が言う統治ルールの変更など憲法原理や国の形を変更しない「改憲」と、原理や理念に抵触し破壊してしまう「壊憲」とが混在しています。この両者は根本的に異なっており、厳密に区別されなければなりません。
 世論調査をする側は、この違いに気が付いているのでしょうか。同じ「変える」にしても、憲法原理と国の形を維持し改善するための「改憲」と、憲法原理と国の形を壊してしまう「壊憲」とでは、その方向性は全く逆になります。
 良くするために変えるのか、悪くするために変えるのか。この正反対の意見を一緒にして「変える必要があるか否か」を聞いても無意味だということが分からないのでしょうか。

 憲法9条についても同じような問題があります。朝日新聞社(5月3日)は「憲法第9条を変える方がよいと思いますか。変えない方がよいと思いますか」と聞き、「変える方がよい」29%、「変えない方がよい」63%となり、毎日新聞世論調査(5月4日) での「憲法9条を改正すべきだと思いますか、思いませんか」という問いには、「思う」27%、「思わない」55%と答えています。
 いずれも変えないという意見の方が多数になっていますが、ここで注意しなければならないのは、9条改憲論の中にも、自衛隊の現実にあわせて憲法を変えるという意見と自衛隊が海外に派遣されて米軍などの支援を行う「外征軍」化を防ぐために憲法を変えるという意見があるということです。ここでも「専守防衛」の壁を破るための9条改憲とその壁を強化するための9条改憲という正反対の意見が混在しているのです。
 これを一緒にして「憲法9条を改正すべきか否か」を聞いても意味がありません。もし聞くのであれば、朝日新聞社のように、「憲法第9条を変えて、自衛隊を正式な軍隊である国防軍にすることに賛成ですか。反対ですか」とするべきで、これには「賛成」23%、「反対」69%という回答が寄せられています。

 9条改憲論には、自衛隊の国防軍化や外征軍化をめざすものと、これ以上の増強を阻止することをめざすものという正反対の意見が混在しています。それでも9条改憲への反対論が多くなっているのは、安倍首相がめざしているのは「改憲」ではなく「壊憲」であること、9条改憲によって自衛隊の国防軍化や外征軍化を進めようとしていることが国民の中で理解されるようになってきたからです。
 このような世論の変化に直面して、安倍首相は一定の後退を余儀なくされました。「改憲勢力」や「改憲論」の中には、「壊憲」に反対する勢力や意見も含まれていることに、うすうす気が付いているからかもしれません。
 自衛隊についても同様です。自衛隊への支持や認知度が高まっていますが、それは必ずしも「軍隊」としてのものではありません。

 だから、7割近い人が「自衛隊を正式な軍隊である国防軍にすること」に「反対」しているのです。信頼を高めているのは「軍隊」としてではなく、災害救助のための専門家集団としてだということを忘れてはなりません。
 それを忘れて、安保法を発動させ外征軍としての訓練や装備、機能を強化すれば、国民の反発は免れません。世論による強力なしっぺ返しは避けられないのではないでしょうか。

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8月25日(木) 「壊憲」に反対していた後藤田正晴元官房長官の「情と理」 [憲法]

 『毎日新聞』8月23日付夕刊の「特集ワイド」に後藤田正晴元官房長官が取り上げられていました。「海外での武力行使認めず」「『待て』と言う勇気を持て」という見出しが付けられています。
 この後藤田さんの鎌倉霊園にあるお墓の墓碑には、「自身の戦争体験から来る平和への強い思いが一貫した政治信念であった」と書かれているそうです。長男の尚吾さんによるものだと言います。

 後藤田さんはイラン・イラク戦争のときペルシャ湾への掃海艇派遣に反対しました。アメリカからの要請を受けて、中曽根首相と外務省が海上保安庁の巡視艇か海上自衛隊の掃海艇の派遣に踏み切ろうとした際、「戦争になりますよ。国民にその覚悟ができていますか。閣議でサインしません」と首相に迫って、派遣を断念させたのは有名な話です。
 この後藤田さんを初当選以来支えてきた秘書の川人さんは「後藤田さんは、誰かが『ストップ』と言わないと日本人は流れてしまうと体感していて、その役目を果たし続けた」と語っています。この記事に付けられた「『待て』と言う勇気を持て」という見出しはここから取られたのでしょう。
 与党に後藤田なき今、「ストップ」と言うのは野党の役割です。「待て」という勇気を持つべきなのは、主権者たる私たち一人一人であると言うべきでしょう。

 ところで、この記事の中で、自民党が「自主憲法制定」という党是を棚上げした時期のことが紹介されています。それを主導したのも後藤田さんでした。
 95年の立党40周年の大会で採択された「理念」や「新綱領」では憲法に触れず、「新宣言」では「新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民とともに議論を深める」と書かれていただけです。その背後には、後藤田さんの憲法観がありました。
 それは著書『情と理』に書かれている言葉に象徴されています。この記事でも紹介されていますが、後藤田さんは次のように述べています。

 「僕の考え方では、マッカーサー憲法と言っても、それは平和主義なり、基本的人権なり国際協調なり、ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか、だから、マッカーサーが作ったんだから変えるという時代はもはや過ぎたのではないかと。こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか。例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい。しかし自主憲法を言う人たちの頭の中に持っているのは、再軍備ではないか、それには僕は反対だと言っているわけです。それは早すぎると。
 再軍備だってやりたければやって、もういっぺん焼け爛れる者が出ても構わんと言うのならやってもいいよ。しかしいま言うことではないな。この時期に9条を直すとなると、そう簡単にことは行かないよ。この流動化している世界の中では早すぎる。」(後藤田正晴『情と理[下]』講談社、998年、288頁)

 このブログの読者であれば、すでにお分かりだと思います。後藤田さんは、通常の「改憲」には賛成でも、憲法原理や理念を破壊する「壊憲」には反対しているのです。
 それは、「平和主義なり、基本的人権なり国際協調なり、ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか、だから、マッカーサーが作ったんだから変えるという時代はもはや過ぎたのではないかと。こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか。例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい」と述べている点に象徴されています。
 憲法の三大原理や自由で民主的な平和国家という国の形など「ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか」と言い、それを前提としてその枠内での「改憲」なら、「例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい」というわけです。逆に言えば、「9条を直す」ことによって平和主義を破壊するような「壊憲」は許されないと主張していることになります。

 私は8月20日付のブログ「『壊憲』阻止のための新たな戦略をどのように打ち立てるべきか」で、「『改憲』と『壊憲』を分ける境界は、憲法の三大原理にあります。自由で民主的な平和国家としての現在の日本の国の形を変えてしまうような憲法条文の書き換えであるかどうかという点が最大の判断基準になります」と書き、「このような基準からすれば、『改憲』勢力とされている与党の公明党や野党のおおさか維新の会は『壊憲』勢力にはなりません。民進党内の『改憲』勢力も保守リベラルを含む自民党内の『改憲』志向の議員たちも、必ずしも『壊憲』を志向しているわけではないでしょう」と指摘しました。
 ここに紹介した後藤田さんの主張はまさに「保守リベラル」のもので、これらの人は「必ずしも『壊憲』を志向しているわけではない」ことを示しています。このような意見の自民党内保守リベラルとも共闘可能な幅広い立憲共同の戦線を構築することが、今こそ求められているのではないでしょうか。

 「改憲」については、「憲法は時代に応じた改正が必要であり、いつまでも解釈論で済ませるべきではない」「憲法を吟味する機会を増やし、国民の声を反映していくことが憲法の価値を高める」「政権交代があった場合でもぶれることのない、一貫したルールを作っていくという視点が大事だ」などという意見が出されています。これらの意見はいちがいに否定できません。
 そうであっても、後藤田さんの言うように「平和主義なり、基本的人権なり国際協調なり、ある意味における普遍的な価値……こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか」が議論されるべきでしょう。その前提はあくまでも、憲法の三大原理や自由で民主的な平和国家としての国の形を変えないことです。
 「こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか。例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい」のです。このような時代の変化に応じた統治ルールの変更を目的とし、現行憲法の原理や理念、普遍的な価値を基本にした憲法条文の書き換えであれば、何も問題はないのですから……。

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8月21日(日) 「改憲」から「壊憲」を区別して批判を集中する新戦略の意義とメリット [憲法]

 安倍首相による改憲暴走が可能となった新たな情勢の下で、新しい戦略の提起が必要になりました。改憲に反対する野党が抵抗しても、それを無視して改憲に向けて突っ走ることができる議席を衆参両院で手に入れることに成功したからです。
 このような情勢の下で、いかにして安倍首相の暴走を阻むかが問われています。私の回答は、「改憲勢力」全体を敵とするのではなく「改憲」勢力を味方にして「壊憲」勢力に批判を集中するべきだというものです。

 この両者は憲法条文の書き換えである明文改憲を目指している点で共通しています。その意味では「改憲勢力」であることに間違いありません。
 しかし、この両者には根本的な差異があります。現行憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権という「三大原理」を前提するか否か、自由で民主的な平和国家という現在の国の形を破壊するか否かという点での違いです。
 現行憲法の原理や理念を前提に国の形を守るような憲法の書き換えには反対せず、それを破壊するような「壊憲」に対してだけ打撃を集中するというのが新しい「壊憲」阻止戦略の眼目です。具体的には日本会議を中心とした戦前(というより戦中)回帰の改憲構想を掲げている勢力です。

 これは一部の「改憲」を認めることになりますから、これまでの護憲運動からすれば一定の譲歩であり、後退を意味することになります。それが明文「壊憲」の呼び水になったり、そのために利用されたりする危険性も十分にあります。
 しかし、現行憲法の原理と理念を守り、国の形の破壊を許さないという原則については今まで以上に明確にされています。この点で柔軟で原則的な戦略になっていると、私は判断しています。
 確かに一定のリスクはありますが、それも覚悟のうえで「壊憲」反対勢力を拡大することが必要になっています。そうすることでしか、幅広い国民の合意と共感を得て安倍首相の改憲暴走を阻止することはできず、あるかもしれない国民投票で多数派を形成することはできないのではないでしょうか。

 「改憲」阻止から「壊憲」阻止への戦略的転換は、「護憲」勢力の結集から「立憲」勢力の結集へと憲法をめぐる共同の幅を拡大することになります。明文改憲を主張していても、それが憲法原理や国の形の破壊を目指すものでない限り、「立憲」勢力として手を結ぶことができるからです。
 また、憲法を「不磨の大典」とし金科玉条としてしまっているのではないか、憲法に指一本触れさせないということで良いのかという疑問や、96条という改憲条項があるのに全ての改憲を否定するのはおかしいではないか、「改憲」と聞くだけで条件反射的な反発をしているのではないかなどの批判が、これまで「護憲」勢力に対して寄せられていました。
 新たな戦略を掲げることによって、これらの疑問や批判に対しても簡単に応えることができるようになります。現行憲法の原理や理念、国の形を破壊するような「壊憲」でなければ、社会の変容に対応して憲法原理や理念を具体化したり、統治ルールを変更したりするような「改憲」であれば、憲法条文の書き換えには何の問題もないのだと。

 この戦略は、この間発展してきた市民と野党との共同を憲法の分野にも拡大しようとするものです。その対象には、これまでの民進、共産、社民、生活の野党4党に加え、公明や維新、さらには改憲派の無所属議員や自民党内の保守リベラル層をも巻き込んでいく幅広い「壊憲」反対勢力の結集を展望しています。そうしなければ、「壊憲」を目指す国民投票では勝てないでしょうから。
 これらの勢力を区分けする基準は「憲法の三大原理」と理念、国の形を破壊することには反対だということであり、安倍首相自身の言葉を借りれば「自由と民主主義、基本的人権、法の支配という共通の価値観」を擁護するということにあります。これに敵対し破壊しようとする条文の書き換えは「壊憲」であり、それは自民党の憲法草案が示しているような戦中の軍部独裁体制の再来やファシズム国家の誕生にほかならず、断固として阻止しなければなりません。
 そのためには、国民の理解と納得が得られ、幅広い支持を獲得できるような戦略を掲げ、味方を増やして敵を孤立させることが必要です。批判する相手を限定して分断し、「改憲勢力」を腑分けして最も危険な「壊憲」勢力を浮かび上がらせ、そこに打撃を集中することです。

 このような戦略は、当面の安倍改憲暴走への抵抗を意図しているだけでなく、あるかもしれない国民投票を考慮に入れつつ、解散・総選挙後に成立する可能性のある新しい連立政権をも展望しています。憲法についての最低限の共通認識を確立しなければ、連立を組むことは困難でしょうから。
 今回の私の提起は、そのための一つの「試論」にすぎません。これを材料に幅広い議論がなされ、新たな「壊憲」阻止戦略を掲げた「立憲」勢力の幅広い共同の輪が形作られることを望んでいます。

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8月20日(土) 「壊憲」阻止のための新たな戦略をどのように打ち立てるべきか [憲法]

 本日、帰京しました。ということで、ブログを再開します。
 故郷はありがたきかな、を実感した帰省でした。お陰様で、たっぷりと充電することができました。
 お世話になったすべての方にお礼申し上げます。ありがとうございました。

 今回の帰省でのメイン・イベントは分校の同級会です。卒業以来、初めて頸城村立大瀁小学校松橋分校の同級会が開かれ、懐かしい顔に会うことができました。
 男8人+女8人の「32の瞳」です。このうち男6人+女4人の10人が顔をそろえました。
 小学校4年の時以来ですから、55年ぶりの同級会です。大瀁中学校までは一緒でしたから、半世紀ぶりの再会という人もいました。

 この帰省期間中にも、ずっと考え続けていたテーマがありました。憲法をめぐる新たな状況にどう対応するべきかという問題です。
 今のところたどり着いた結論は、「壊憲」阻止のための新たな戦略を打ち立てなければならないというものです。以下、この点について述べることにしましょう。

 参院選の結果、衆参両院で「改憲勢力」が3分の2議席を超え、いつでも改憲発議できるような状況になり、憲法をめぐる状況が新たな極めて危険な段階に立ち至ったことは明らかです。私はそれを「危険水域」に入ったと表現しています。
 もちろん、このことは直ちに「難破」することを意味していません。上手に船を「操舵」することができれば、無事にこの「危険水域」を抜けだすことは可能です。
 そのために、どのような戦略を立てるべきか。これまでとは異なった新たな危険を避けるために、どのような「操舵術」が必要になっているかが、ここでの問題です。

 そこでキーワードになるのが、「改憲」とは区別される「壊憲」です。この両者はどう違うのでしょうか。

 「改憲」とは憲法の文章を書き変えることではありますが、憲法の原理や理念に抵触するものではなく、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重という「憲法の三大原理」を前提とした条文の変更のことです。
 それには限界があります。現行憲法の原理や理念を前提とし、自由で民主的な平和国家という国の形を保ったうえでの改定であって、それを踏み越えてはなりません。
 『毎日新聞』の古賀攻論説委員長は8月2日付の「社説を読み解く:参院選と改憲勢力3分の2」で、「一口に憲法改正と言っても、理念・基本原則を対象にする場合と、統治ルールの変更を検討する場合とでは、論点の階層が根本的に異なる」と指摘しています。この「統治ルールの変更」が「改憲」ということになります。

 これに対して、「壊憲」は憲法の文章を変えるだけでなく、原理や理念も変えてしまおうというもので、「憲法の三大原理」を前提としない条文の変更です。
 これには限界がありません。現行憲法の原理や理念を破壊し、自由で民主的な平和国家という国の形を変えてしまう憲法条文の書き換えを意味しています。
 毎日新聞の古賀論説委員長の言う「理念・基本原則を対象にする場合」がこれに当たります。9条改憲はその典型であり、安倍政権が目指しているのはこのような憲法の破壊、すなわち「壊憲」にほかなりません。

 「改憲」と「壊憲」を分ける境界は、憲法の三大原理にあります。自由で民主的な平和国家としての現在の日本の国の形を変えてしまうような憲法条文の書き換えであるかどうかという点が最大の判断基準になります。
 秋の臨時国会が始まれば憲法審査会が再開されるでしょう。この審査会が「審査」すべき焦点は、条文の書き換えが「改憲」か「壊憲」か、つまり憲法の三大原理を前提としたものであるか、現在の国の形を変えてしまわないかどうかという点にあります。
 このような判断基準からすれば、現在提案されている自民党の憲法草案は完全に失格であり、それは「改憲」のたたき台にはなりません。撤回するか破棄することを、審査会再開の前提とするべきでしょう。

 このような基準からすれば、「改憲」勢力とされている与党の公明党や野党のおおさか維新の会は「壊憲」勢力にはなりません。民進党内の「改憲」勢力も保守リベラルを含む自民党内の「改憲」志向の議員たちも、必ずしも「壊憲」を志向しているわけではないでしょう。
 真の「壊憲」勢力は「日本会議」と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」に絞られます。これと同調する「日本のこころを大切にする党」や「日本会議国会議員懇談会」「日本会議地方議員連盟」に属する議員たちこそが真の敵であり、与党と自民党内にクサビを打ち込むことによって、これらの勢力を孤立させることが新たな戦略の基本になります。
 憲法の三大原理を前提とし、自由で民主的な平和国家という国の形を変えないような「改憲」であれば、拒否する理由はありません。もちろん、その内容やタイミングについては十分な検討が必要であり、それが「壊憲」への「呼び水」や「お試し」にならないように警戒しながらではありますが。

 安倍首相は海外に出かけて援助資金をばらまいていますが、その時、必ず口にするのが「自由と民主主義、基本的人権、法の支配という共通の価値観」という基準です。これこそ、憲法の三大原理や国の形に通底する理念であり、今後の憲法論議においても前提にされるべき重要な基準になります。
 憲法審査会が再開される際には、ぜひこの「共通の価値観」に基づいて「審査」することを与野党間で申し合わせてもらいたいものです。安倍首相自身が再三再四、繰り返してきた重要な価値観ですから、よもや自民党によって拒まれるようなことはあり得ないと思いますよ、多分……。

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7月13日(水) 改憲の野望実現の可能性が高まったがゆえに当面慎重姿勢を示している安倍首相 [憲法]

 「このチャンスを逃したくない」と考えているのでしょう。衆参両院で改憲発議可能な議席を手に入れた安倍首相のことです。
 釣り竿から垂れていた浮きが水面下に引き込まれたのを確認した安倍首相は、ゆっくりと慎重に竿を引き上げようとしています。一旦ばらしてしまえば、二度と釣り上げるチャンスが巡ってこないことを良く知っているからです。

 かつて安倍首相は、ネット番組で憲法の前文について「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と発言していました。憲法を制定した先人に対する侮辱であり、まことに不遜な発言だと言わなければなりません。
 また、官房長官だった06年7月、自民党東京都連の会合で「経済成長は達成できたが、憲法改正などは後回しになった。父(安倍晋太郎元外相)も祖父(岸信介元首相)も達成できなかった課題を達成したい」 と述べています。改憲への野望を率直に吐露していたわけです。
 さらに、2000年5月の衆院憲法調査会では「米国の手でできた憲法を最高法として抱いていることが、日本人の精神に悪い影響を及ぼしている。まず前文から全面的に見直していく」と主張しています。安倍首相が改憲に向けてあくなき執念を抱き続けてきたことは疑いありません。

 そして、具体的な準備に着手したのが第1次安倍政権の時代です。このとき国民投票法を成立させ、改憲に道筋をつけました。
 その後、第2次安倍政権になった2014年6月に改正国民投票法が成立し、国民投票の投票権年齢が「18歳以上」に引き下げられました。このとき与党の自民・公明両党だけでなく、民主党も賛成していたことを忘れてはなりません。
 これ以降、改憲に向けての制度的前提が整ったことになります。そして、14年12月の総選挙で与党が3分の2以上の多数を占め、今回の参院選でも改憲勢力が発議可能な3分の2の壁を突破したため、政治的な前提も整ったわけです。

 こうして、安倍首相が悲願としてきた改憲の野望を実現する可能性が高まりました。改憲が現実味を帯び、安倍首相は「いよいよ着手できる」と胸を高鳴らせているにちがいありません。
 このような可能性が生まれたのは、今回の参院選における「改憲隠し選挙」が功を奏した結果でした。安倍首相の作戦勝ちだったわけですが、改憲の意図を隠して参院選を戦ったことには、改憲発議可能な議席を獲得したという点でのメリットがありましたが、実はデメリットもありました。
 それは、選挙中の野党による批判などを通じて「手のひら返し改憲」への警戒感が高まったことです。公明党も「改憲は争点ではない」として公約に載せず、「改憲勢力ではない」と弁明していました。

 その結果、手のひらを反すように直ちに改憲に着手することが難しくなったという面があります。改憲勢力が3分の2を占めたとは言っても憲法のどこをどう変えるかという点については様々で、選挙中の沈黙を破って改憲を無理強いすれば改憲勢力内の不協和音を生み、公明党の抵抗が強まり、野党の批判と国民世論の反発を高めるリスクがあるからです。
 何よりも、改憲勢力にとって頭の痛い問題は、最終的に国民投票での承認を得なければならないという関門が控えていることです。しかも、自民党内には「最初に失敗したら永久にできなくなる」という懸念もあります。
 安倍首相にすれば、念願の改憲を急ぎたいけれど、さりとて世論の反発を招いて国民投票で否決されるリスクを高めるような冒険は避けたいと考えていることでしょう。このジレンマのなかでどうするのが最善かを、いま見極めようとしているのではないでしょうか。

 改憲に向けての手続きそのものは、衆参両院での発議が可能であれば60日以上180日以内に国民投票が行われます。解散・総選挙との同時選挙になる可能性も一概には否定できません。
 しかし、そのためには憲法審査会での改憲案についての協議と合意が必要になります。安倍首相は当面、衆参両院の憲法審査会での与野党の議論に改憲項目の選定を委ねる構えを示しています。
 もし、審議を再開したいのであれば、その前提として自民党は改憲草案を撤回しなければなりません。この草案は近代憲法としての基本的要件を欠いており、そもそも協議のたたき台にはならないからです。

 いずれにしても、改憲をめぐる今後の動向を注視し、戦争法の発動による既成事実化を阻み、民進党内の改憲派の蠢動を抑えて立憲4党の共闘を維持することが必要です。同時に、憲法に対する国民の理解を深めて改憲勢力の狙いと危険性を周知していく活動が重要になっています。
 国民の世論をどちらが獲得するかが決定的です。緊急事態条項に限っての「お試し改憲」という奇策が打ち出されても、それに打ち勝つだけの世論状況を作りだすことができれば改憲に向けての策動そのものをストップさせることができるにちがいありません。



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2月15日(月) 「憲法守って国滅ぶ」なのか、「憲法変えて国滅ぶ」なのか [憲法]

 先日の講演で質問が出されました。「憲法守って国滅ぶ」という意見がありますが、どう思いますか、と。同じような質問には、これまでも多く接しています。
 その都度、答えてきましたが、同じような疑問を持っている人は多いのではないでしょうか。ということで、ここで私の意見を明らかにしておきたいと思います。

 「憲法守って国滅ぶ」という意見は、安保法制(戦争法)審議の過程でも多く言われました。たとえば、「まず国民の生活あってこその憲法であり、憲法を改正するのを待っていて他国に蹂躙されることなどあってはならないから、改憲以前に安保法制を整備するべきだ」などと。
 北朝鮮が核開発を進め、「事実上の弾道ミサイル」とされるロケットを発射している昨今、このような意見は説得力を持っているように見えます。だからこそ、講演会などでもこのような質問が出されるのでしょう。
 夏の参院選に向けて改憲を争点にしようとしている安倍首相は、内心ニンマリとしているにちがいありません。北朝鮮の蛮行によって国民の不安は高まり、緊急事態条項の新設など改憲に向けての理解が得やすくなっただけでなく、ミサイル防衛の予行演習や米軍との共同作戦の準備を進めることができたのですから。

 北朝鮮は、意図しているいないにかかわらず、日本国民に対する危機意識を植え付け、夏に向けて改憲機運を高めるための絶好の宣伝材料を、安倍首相に提供したことになります。こうして、またもや「憲法守って国滅ぶ」という声が高まりそうな状況が生まれました。
 しかし、日本は過去70年間、憲法を守り続けてきましたが、それによって国が亡ぶというような事態を引き起こしたでしょうか。戦後日本が示してきたのは、「憲法守って国栄える」という実例ではなかったでしょうか。
 「北朝鮮の脅威」が存在することは否定できませんが、軍事力の強化などの「力の政策」では、その脅威を減らすどころか、かえって増やすことになります。現に、安保法制の整備によって日米同盟の強化が図られましたが、それによる「抑止効果」などは皆無で、相変わらず核開発とロケット発射が実行されたのですから。

 「北朝鮮の脅威」を減らして問題を解決する最善の道は、米朝間の直接対話などの協議と対話を通じて北朝鮮を国際社会に復帰させることです。力によって屈服させようとすればするほど、かえって依怙地になって強硬手段に走るというのがこれまでの経過でした。
 安倍首相が行ってきた安保法制の整備と日米同盟の強化は、このような力による屈服路線の悪しき実例にほかなりません。これでは問題を解決できないばかりか、さらに軍事的対抗手段を引き出して軍拡競争の泥沼に陥るだけです。
 このようななかで、安倍首相は日本を「戦争する国」として完成させるために、憲法を変えようとしています。その最大の理由となっているのが、冒頭に示した「憲法守って国滅ぶ」という論理です。

 しかし、このようなアベ改憲路線は、戦前の日本を「取り戻す」ことを意味しています。その帰結は、侵略戦争によって破局を迎え、存亡の危機に追い込まれた戦前の日本の末路が示しています。
 また、それは戦後のアメリカが犯してきた過ちを後追いすることを意味しています。その帰結は、自国の若者を戦場に送り出して犠牲にし、イスラム社会からの恨みを買って国際紛争の種をまき散らすだけでなく、イスラム国(IS)を育成して国際テロを拡大させてきた、これまでの歴史が示しています。

 アメリカは謀略によって引き起こした不正義のベトナム戦争で5万8000人の若者の命を失い、韓国オーストラリア・タイ・フィリピン・ニュージーランドなどの同盟国軍約5000人、南北ベトナム軍110万人、民間人44万人を死に追いやりました。イラク戦争での米兵の死者は3000人を超え、アフガニスタンでの戦争では米軍が2365人、多国籍軍では3512人が死亡したとされ、この数は増え続けています。
 問題は、このような戦場での死者だけではありません。心理的外傷後ストレス障害(PTSD)による犠牲者は、ベトナム戦争後と同様、イラク戦争後でも深刻で、3万1000人が精神疾患や負傷のために障害者給付金を請求しています。
 これだけの犠牲を払ったにもかかわらず、アメリカは感謝されるどころか恨みを買い、2001年9月11日に同時多発テロに襲われ、3025人の犠牲者を出しています。日本政府が憲法理念に忠実であったなら、戦後繰り返されてきたアメリカによる軍事介入という過ちを制止させることができたかもしれませんが、歴代の自民党政府は憲法の理念を踏みにじって追随し、軍事介入を支持し手助けするという間違いを犯してきました。

 本来であれば、このような自民党政権の間違いを正し、アメリカに対して忠告できるような国のあり方を目指すべきでしょう。しかし、その間違いを反省するどころか、このような手助けを堂々と行えるようにするために憲法を変えようとしているのが、安倍首相にほかなりません。
 憲法を変えて「戦争する国」となれば、アジアで孤立し、戦前の日本と同様の間違いを犯して破局を迎えることになるでしょう。日本が70年前に経験したのは、このような「国滅ぶ」実例そのものではありませんか。
 またそれは、世界最大の「ならず者国家」として多大な人命を奪い続けてきたアメリカの過ちを後追いし、さらにそれを助長することになります。その結果、国際紛争を解決するどころかさらに拡大し、国際テロの標的として狙われるような危険な状況に日本国民を追い込むにちがいありません。

 それは結局、「憲法変えて国滅ぶ」道を選ぶことになるでしょう。それで良いのでしょうか。
 これまで「憲法守って国栄える」道を歩んできた戦後70年の日本の歩みを、今一度、再評価する必要があるのではないでしょうか。憲法9条を守ることによって得られた平和という果実を、じっくりと噛みしめなければなりません。
 これまでの歩みを変えることなく守り続けることによって、「憲法守って国栄える」道を次の世代に手渡そうではありませんか。それこそが、憲法が危機に晒されている今を生きる、私たちの務めではないでしょうか。

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1月8日(木) 本格的に始まった憲法をめぐる対決 [憲法]

 自民党はいよいよ安倍首相(党総裁)の悲願である「憲法改正」に向けた取り組みを本格化させようとしているようです。戦後70年の今年、憲法をめぐる対決が激しくなることでしょう。

 先の総選挙では、安倍首相の改憲戦略にとって3つの誤算が生じてしまいまいました。一つは、公明党が議席を増やして与党内での比重を高めたこと、二つ目は次世代の党がほぼ壊滅してしまったこと、三つ目は共産党が2倍以上に躍進したことです。
 いずれも、突然の解散などと血迷ったことをやらなければ生じなかった変化です。まさか、そうなるとは思っていなかったこのような変化によって、安倍首相の悲願であった改憲戦術にも手直しが必要になりました。
 最も大きな変化は、9条改憲に向けて直進するのが難しくなったという点です。改憲に向けては、どうやら迂回戦術を取ろうとしているように見られます。

 その手始めとして与野党共通の改憲試案策定を目指し、3月にも協議をスタートさせたい考えだといいます。改憲に一定の理解を示しながらも9条改正には慎重な公明党や、民主党、維新の党など野党勢力を取り込んで、改憲の実績を作るのが狙いです。
 「まずはできるところから改憲を実現させたい」ということで、「環境権」や緊急事態への対応、財政規律に関する規定の新設などについて16年の参院選前に第一弾の共通試案を取りまとめ、同年中にも国民投票に付すスケジュールを想定しているようです。
 国会内で一致しやすく、国民投票で支持されやすいテーマから突破口を開いていこうという作戦のようです。9条を変えるというより改憲それ自体を目標にし、「改憲アレルギー」を払しょくし「改憲グセ」をつけてから、「本丸」の9条改憲に迫ろうという作戦なのでしょう。

 安倍首相は国会内での改憲勢力を拡大するだけでなく、国民的な理解を得る作業も重視しているようです。憲法改正を発議できても国民投票で否決されれば改憲の機運は一気にしぼんでしまうためです。総選挙後の12月の記者会見でも「大切なことは国民投票で過半数の支持を得ることだ。ここがまさに正念場だ」と強調していました。
 このため、自民党は衆参両院の憲法審査会で地方公聴会を積極的に行っていこうとしています。このほか、改憲に向けて世論を醸成するための対話集会も各地で開くことを検討しているようです。
 こうして、国民世論の獲得をめぐっての本格的な「対決」が始まろうとしています。「草の根」レベルでの憲法をめぐる対決がこのような形で強まることは、かつてなかったことです。

 安倍首相がこのような戦術転換を行ったのは、憲法をめぐる国会内の勢力分野が大きく変わってしまったからです。総選挙では、次世代の党の壊滅、維新の党の不振、みんなの党の消滅という形で「第三極」は存在感を大きく低下させました。
 この結果、「いざという時の第三極頼み」という戦術が難しくなったわけです。改憲発議については衆参両院で3分の2を確保しなければなりませんが、参院での3分の2は再来年の参院選で躍進しても自民党だけでは無理で、公明党を揺さぶる場合や頼りにならなくなった場合、「第三極」を当てにせざるを得ません。
 特に、次世代の党が大きな援軍でしたが、それがほとんど姿を消してしまいました。安倍首相としては、これほど大きな計算違いはなかったでしょう。

 公明党が議席を増やしたことも好ましい結果ではありませんでした。今後の安保法制や日米ガイドラインの改定などでもできるだけ「限定」する方向で抵抗する可能性がありますから……。
 また、憲法についても公明党は9条を変える「改憲」ではなく、プライバシー権などの新たな条項を追加する「加憲」の立場です。安倍首相の改憲戦略にとっては「躓きの石」になるかもしれません。
 「改憲勢力をどう立て直すのか」ということで、安倍首相が頭を悩ませていたのも当然です。その結果、たどり着いた結論が、当面、9条以外の一致しやすいテーマで改憲の機運を高めるというものでした。

 総選挙直後の記者会見で「憲法改正は自民党の悲願であり、立党以来の目標だ」と言っていたように、安倍首相は明文改憲の狙いそのものをあきらめてはいません。それは、首班指名後の記者会見で語った「戦後以来の大改革」の中心に据えられた目標です。
 その実現に向けて、さし当り国会での発議要件の充足という上からの改憲準備と、国民投票での過半数の賛成の獲得という下からの改憲準備を並行させる形で取り組まれようとしています。衆参両院での3分の2を上回る改憲勢力の形成を図りつつ、同時に「草の根」での改憲世論を盛り上げていこうというわけです。
 こうして、改憲の危機はかつてなく大きく、現実的なものとなってきました。このような危機を打ち破るためには、国会内での野党や公明党の動揺を抑えつつ、「草の根」レベルでも改憲を提起できないような世論と力関係を生み出さなければなりません。

 憲法をめぐる対決の戦線は拡大し、私たちの身近にまで及んできていると言うべきでしょう。改憲を阻むためには、第一に、衆参両院での改憲勢力による3分の2突破を阻止すること、第二に、国会論戦や憲法審査会などで改憲に向けての意図や準備を打ち砕くこと、第三に、国民的な大運動によって改憲阻止の世論を高めていくことが必要です。
 改憲阻止に向けての取り組みは、選挙、国会、世論という三つの「戦線」で同時並行的に推進されなければなりません。そのためには、事実を知り、学び、伝えることが重要です。
 このブログの役割も、一段と大きなものになっているということでしょうか。「草の根」での世論形成のために、今年も微力を尽くしたいと思っています。

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