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11月25日(日) 「『謀略』『三鷹事件の真実にせまる』合同出版記念のつどい」でのあいさつ [挨拶]

 昨日、松本善明著『謀略』(新日本出版社、1500円)、梁田政方著『三鷹事件の真実にせまる』(光陽出版社、1714円)合同出版記念のつどいが武蔵野スイングホールで開催され、全国から172人もの方が集まりました。私もこのつどいの呼びかけ人の一人として出席するつもりでしたが、その前日に思いがけない電話がかかってきました。
 このつどいで呼びかけ人代表あいさつを予定していた金子満広元日本共産党衆院議員が、事情により出席できなくなったというのです。ついては、そのピンチヒッターをお願いできないかというお話しでした。
 私が呼びかけ人の皆さんを代表できる立場にないことは明瞭ですが、主催者としては困ってしまった結果、私に助けを求めてきたにちがいありません。ここは一肌脱ぐべきだと思い、これをお引き受けすることにしました。

 ということで、この「合同出版記念のつどい」での呼びかけ人代表あいさつを、以下に掲載させていただきます。

 今、ご紹介されたような事情で、あいさつをさせていただくことになりました、法政大学大原社会問題研究所の五十嵐でございます。
 「ピンチヒッターとして使い勝手がよい」ということだったのかもしれませんが、昨日、電話をいただいて、急遽、呼びかけ人を代表して、ということになりました。お二人の著書への感想とあわせて、あいさつさせていただきます。
 とは言いましても、三鷹事件にしても松川事件にしましても、私が生まれる前の事件でして、全く印象はございません。これまでも本などで知るだけでしたが、お二人の著書にも、大いに学ばせていただきました。

 お二人の著書は、「日本の黒い霧」と言われた占領時代の謀略事件に歴史の光を当て、再検証を試みたものです。
 一方の、松本善明さんの著書『謀略』は主として松川事件を取り上げ、犯人と思われる一人からの手紙を紹介したり、CIA文書を通じて謀略部隊の存在を明らかにしたりした点に大きな意義があると思います。他方の、三鷹事件に焦点を当てた梁田政方さんの著書『三鷹事件の真実に迫る』は竹内景助さんの「死後再審」を勝ち取って無念を晴らすための強力な武器になるものでして、弁護団の対応や裁判のあり方を厳しく批判されていますが、かといって、一方的な糾弾の書になっていない点を高く評価したいと思います。

 お二人の著書は、いずれも権力犯罪を告発し、被害者の救済と真犯人逮捕の必要性を改めて提起したものとなっています。読んでみて気がついたいくつかの論点にしぼって、感想を述べさせていただこうと思います。

 第1に、被害者概念の拡大です。えん罪で逮捕・収監された人々はまさに被害者そのものですが、その家族や事件の犠牲者・殉職者、受難者遺族と周囲の人々もまた事件の被害者であるという指摘は重要だと思いました。事件が及ぼす被害の範囲を拡大して捉えることは、その事件の重大性と犯人の罪の重さを改めて確認することになるからです。

 第2に、えん罪の捉え直しです。松本さんは著書の中で、①無実の人の長期拘束、②真犯人の捜査放棄、③被害者に対する国家責任の放棄という3点にわたってその問題点を指摘されています。このようなえん罪には、意図せざるえん罪と意図したえん罪があるように思われます。後者のえん罪は、特定の政治目的のために犯人をでっち上げるもので特に問題です。でっち上げる側にとっては、その時点での「社会的雰囲気」を醸し出すことが目的で、必ずしも有罪にならなくてもそれは達成されます。このために、とりわけえん罪が起きやすい構造になっているという点を指摘しておきたいと思います。

 第3に、大衆的な救援活動の意義と重要性です。今、述べたような意図したえん罪を晴らすためには、このような救援活動が不可欠です。それは、被告を救済する(名誉回復を含む)、裁判の歪みを正す、真相を明らかにする、真犯人逮捕への道を開くなどの点で、大きな意義をもっているからです。救援活動は裁判を歪めるものではなく、元々あった歪みを正し、公正な裁判の環境を整え、誤りを犯した司法をも救済して、その名誉と信頼を回復するものだということを強調しておきたいと思います。

 第4に、裁判の持っている二面性を指摘しておく必要があります。無罪確定諸事件におけるパターンは、まず、不自然で非常識な逮捕と起訴があり、予断と偏見に満ちた一審判決で有罪、上告審で無罪となるというものです。その間に、新たな事実、証拠、アリバイが発見されています。一方で、これらが一審で明らかにされないという点での問題がありますが、他方では、上級審、再審で是正されるという可能性もあるということです。是正可能性を持っているという点で、裁判はそれなりに機能している。下級審で有罪判決が出たからと言って、決して諦めてはならないということです。

 第5に、今後の真相解明・真犯人逮捕に向けての課題です。松本さんの本で明らかにされた「CIA謀略部隊」の存在の検証、事件当時の鑑定書や捜査記録の公開などが必要です。三鷹事件については、報道機関の検証も必要でしょう。今後、アメリカ側資料の公開と分析が進めば、新たな事実が発見される可能性もあります。
 たとえば、松本さんの本では鹿地亘拉致事件が出てきますが、これについて早稲田大学の加藤哲郎教授は、驚くべき事実を明らかにしました。MIS(米国陸軍情報部)鹿地ファイルの中から、米国政府宛で交わした1845年7月17日付のAgent契約書(月200ドルの金銭授受)が出てきたというのです。米国側はなお鹿地をエージェントとして扱おうとして拉致したのではないかというわけです。加藤さんは、「占領期日本の三大事件(下山事件、三鷹事件、松川事件)等とG2キャノン機関やCIAの関連を示唆する謀略の資料は、個人ファイル類を含め、今のところ見つかっていない」と書かれていますが、今後見つかる可能性も皆無ではないと思います。

 このように、真相の解明と被害者の救援のためには、なお検証され、明らかにされるべき多くの課題が残っています。お二人の著書は、その解明に大きな貢献をするものであり、その刊行を共に喜びたいと思います。その著書の、今後の普及へのご協力をお願いいたしまして、「合同出版記念のつどい」へのあいさつとさせていただきます。

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8月2日(木) 戦後革新と増島宏先生 [挨拶]

〔これは、7月31日に開かれた「増島宏先生を偲ぶ会」での「文書発言」です。当日、会場で代読していただきました。〕

 本日の「増島宏先生を偲ぶ会」に当たり、高橋彦博先生から、増島先生の「戦後革新の評価」について発言して欲しいとの要請を受けました。所要のため東京におらず、「偲ぶ会」に出席できないこともあって一度はお断りしたのですが、その日の夜、増島先生が夢枕に現れ、叱られてしまいました。
 というわけで、「偲ぶ会」に当たって、一言ご挨拶申し上げることにいたしました。前回同様、文書発言となることをお許し下さい。

 さて、高橋先生から求められたテーマは、増島先生による「戦後革新の評価」というものでした。しかし、増島先生にとって「戦後革新」とは、「評価」の対象であるよりも、先生の学問的人生における目標であり、課題であったように思われます。というのは、戦後日本の政治と社会の革新的な変革のために、先生はその生涯をかけられたからです。
 恐らく最後のまとまった業績だと思われる『「戦後革新勢力」の源流』(大月書店、2007年)の序章「占領前期政治・社会運動の歴史的意義」において、先生は次のように書いておられます。

 これらの政治・社会運動のなかで新しい民主主義思想を身につけた新たな人間類型が生み出されていった。そこには、戦後の民主化に夢と希望を託し、理想を掲げて新生日本の建設を担おうとした人々がいた。運動は紆余曲折を避けられず、少なからぬ誤りも犯したが、新しい社会を作り出そうとする人々の熱情に偽りはなかったであろう。
 これは、社会変革に向けての運動における新たな主体形成を意味し、やがては「戦後革新勢力」を生み出す萌芽となるものであった。同時にそれは、新しい憲法の下で国民全体が主権者としての自覚を高め、訓練される過程にほかならなかったのである。(17頁)

 増島先生ご自身こそが、「新しい民主主義思想を身につけた新たな人間類型」の先駆であったと申せましょう。そして、先生は「戦後の民主化に夢と希望を託し、理想を掲げて新生日本の建設を担おう」とされました。とりわけ、若者への教育を通じて、「新しい憲法の下で……主権者としての自覚を高め、訓練」することをめざし、新しい民主主義思想を身につけた変革主体の形成に生涯を捧げられたのではないでしょうか。

 最近、大原社会問題研究所では新しい研究プロジェクトとして「社会党・総評史研究会」を立ち上げました。そこでの聞き取りにおいて、加藤勘十氏の息子さんである加藤宣幸さんは、構造改革論についての研究会に、松下圭一、北川隆吉、中林賢二郎などの諸先生と共に、増島先生も出席していたと証言されています。
 この構造改革論をはじめ、革新統一戦線論、人民的議会主義論、民主連合政権論など、先生は「戦後革新」のための理論展開に尽力され、『現代政治と大衆運動』(先生の主著の一冊、大月書店、1966年)の解明に努められました。
 このような先生からすれば、昨年の「アラブの春」や「ウォール街占拠運動」などの世界的な大衆運動の高揚と政治革新の奔流は、どのように評価されたでしょうか。日本でも、首相官邸前の脱原発運動を始め、広範な民衆運動が政治と社会の変革を求めて胎動を始めました。せめてあと1年、長生きされてこのような世界史的転換の兆しを目にしていただきたかったと願うのは、私だけではないでしょう。

 とはいえ、これらの運動の高揚を準備するうえで、先生の学問的実践は少なからぬ貢献をされたと思います。また、先生の教えを受けた者の多くが、「地の塩」となってこれらの運動を支えているにちがいありません。
 私もまた、「戦後革新」に賭けた先生の夢と志を受け継ぎ、残された人生の時間と能力を捧げることをお誓いし、「偲ぶ会」に向けてのご挨拶とさせていただきます。

2012年7月31日
                         法政大学大原社会問題研究所  五十嵐 仁
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11月6日(金) シンポジウム「児童労働の現状とNGOの政策提言」に向けてのあいさつ [挨拶]

 あいさつのアップが続いています。新しい文章を書いている余裕がないからです。
 苦し紛れに、以前に書いたものを再利用させていただいているというわけです。

 とはいっても、このような催しに参加できる人は限られていますので、これを読めば、その意義や内容、雰囲気などを感じていただけるかもしれません。
 ヒョッとしたら役に立つかもしれないという思いと、せっかく書いたものだから記録にとどめておきたいという気持ちがない交ぜになって、今回の連続アップとなりました。ご了解いただければ幸いです。
 今回は、6月28日に法政大学市ヶ谷キャンパスの外濠校舎で行われたシンポジウムに向けてのあいさつです。これは、児童労働ネットワーク(CL-Nethttp://cl-net.org/との共催で開かれたもので、「児童労働反対世界デー・キャンペーン2009」の一環として取り組まれ、レガット・ヴェンカット・レディ氏(M.V.Foundation委員会国内議長)による「インドの児童労働の現状と活動紹介」、ヴェロニック・フェイジェン氏(2009年「ストップ・児童労働-学校が最良の解決策」キャンペーンの国際調整官)による「『ストップ・児童労働―学校が最良の解決策』キャンペーンとその結果、EUの視点から」という基調講演などが行われました。

シンポジウム「児童労働の現状とNGOの政策提言-インドとEUの経験に学ぶ」に向けてのあいさつ

 本日のシンポジウムを共催させていただきました法政大学大原社会問題研究所の五十嵐でございます。シンポジウムの開会に当たりまして、一言ご挨拶申し上げます。
 本日のシンポジウムの会場であるこの外濠校舎は、市ヶ谷キャンパスで最も新しい校舎です。かつて、大原社会問題研究所も、この隣の80年館にありましたが、今では多摩キャンパスに移っております。
 大原社会問題研究所は1919年に設立され、今年、創立90周年を迎えました。法政大学と合併して附置研究所になったのは1949年ですから、それからでも60年経ちます。厳しい時代であった戦前から戦後にかけて、さらに今日に至るまで存在できましたことは、まさに奇跡であたっと言えるでしょう。
 研究所を設立しましたのは、「大原美術館」の設立者でもある大原孫三郎で、研究所の名称に「大原」とあるのは、そのためでございます。研究所は大原社研の名でも知られておりますが、その主たる研究分野は労働問題を中心とする社会問題でありまして、このような関係で、今回、児童労働の問題についてのシンポジウムを共催させていただくことになった次第です。
 本日のテーマは、児童労働問題の解決に向けてとり組むインドとヨーロッパの経験に学ぶことでありますが、この問題は日本に生きる我々とも無縁ではありません。多国籍企業によるグローバルな活動の最底辺に児童労働が組み込まれ、日常、私たちが使用する製品などが開発途上国の児童らによって生み出されているかもしれないからです。
 また、子供の貧困を象徴する例が児童労働であるということからすれば、その解決に向けての政策提言は、最近、我が国においても大きな問題となっています「子供の貧困」を解決する重要なヒントを得る機会となるにちがいありません。
 子供は「歩く未来」であります。その子供たちが希望をもって未来を語ることができるようになるために、本日のシンポジウムが大いに役立つことを願いまして、主催者としての挨拶に代えさせていただきます。

11月5日(木) 日本フェミニスト経済学会2009年度大会に対するあいさつ [挨拶]

 このところ忙しくて、まとまったものを書いている余裕がありません。ということで、今回もまた、以前に行ったあいさつでお茶を濁させていただきます。

 今回ご紹介するのは、4月18日(土)に法政大学市ヶ谷キャンパスのBT(ボアソナード・タワー)のスカイホールで行われた日本フェミニスト経済学会2009年度大会に向けての私のあいさつです。この研究大会を大原社会問題研究所も共催させていただいた関係であいさつしました。

日本フェミニスト経済学会2009年度大会に対するあいさつ

 日本フェミニスト経済学会の2009年度大会に際しまして、ひと言、ごあいさつを申し上げます。
 まず、共催させていただきました大原社会問題研究所といたしまして、大会の成功を共に喜びたいと思います。私も、午後の報告と討論を聞かせていただきましたが、多くの参加者を得て、活発な討論がなされる有意義な研究会であったと思います。
 今回の大会に当たりまして、当研究所の運営委員をお願いしております原伸子先生から、共催の申し入れがありました。フェミニストを自認しております私としては、直ちに承諾したわけですが、共催させていただいた理由はそれだけではありません。
 大原社会問題研究所は、その名称に「社会問題」とありますように、労働問題だけでなく、貧困や女性をめぐる社会問題につきましても、資料の収集や研究の対象としております。5月16日(土)には、Kaye Broadbent(ケイ・ブロードベント)氏による「Why women-only unions are necessary: The experience of Japan and Korea(女性ユニオンの必要性:日本と韓国の経験に基づいて) 」というテーマでの国際交流講演会が予定されています。会場は、この建物の19階D会議室です。
 また、当研究所が発行している『大原社会問題研究所雑誌』には、今大会での報告に関連するテーマの論攷が数多く掲載されていることは、皆様ご承知のとおりでございます。この機会に、フェミニスト経済学会に属する多くの研究者が、研究の成果を発表される場として、この『大原社会問題研究所雑誌』を活用されることをお願いしたいと思います。併せて、是非、『大原社会問題研究所雑誌』を定期購読されますよう、お願い申し上げます。
 私どもの研究所は女性労働問題、戦前では婦人労働問題ですが、戦前からこの分野の研究でも先駆的な業績を上げてきたという歴史を持っております。たとえば、戦前の研究員で、戦後は片山内閣の文部大臣になり、その後、広島大学の学長や中教審会長などを歴任された森戸辰男さんは、1918年12月に早稲田大学で開かれた社会政策学会第12回大会で、「本邦に於ける婦人労働問題」というテーマで報告され(《社会政策学会論叢》第十二冊『婦人労働問題』(同文館、1919年10月刊)による)、「戦前の社会政策学会のことを大内先生からおききしたとき、森戸辰男氏の婦人問題の報告は戦前の数多い報告の中で白眉のものだったというお話がありました」(《社会政策学会年報》第9集『婦人労働』(有斐閣、1961年5月刊)の「あとがき」)と、評価されているほどです。また、1932年には、「婦人労働の推進力」という論攷を『大原社会問題研究所雑誌』に発表されています。
 このような学問的伝統が、今日の大原社会問題研究所においてどれほど継承されているかという点では、いささか心許ない現状ではありますが、しかし、ここには皆さんがおられます。今日、このような学会が開かれ、このような形で研究が受け継がれている姿を目にすれば、泉下の森戸辰男先生も大いに満足されるにちがいありません。女性の社会的進出と差別の撤廃、女性労働者の労働条件改善のため、学問的研究を通じて力を尽くされている皆様に、森戸先輩に代わって厚くお礼申し上げる次第です。
 最後になりましたが、今後とも、わが国における女性の地位向上のために大きな成果を上げられることを祈念いたしまして、フェミニスト経済学会2009年度大会に対する大原社会問題研究所を代表してのご挨拶とさせていただきます。

11月3日(火) 国際労働シンポジウムへのあいさつ [挨拶]

 名古屋の金城学院大学で開かれた社会政策学会から、無事、戻ってきました。会場の金城学院大学は名古屋市の郊外にあるミッション系の女子大だということで、キャンパスは広く、建物は綺麗で、何となくゆったりとした清潔感が漂っているような雰囲気でした。

 学会からの帰りは、中央線を経由しながら、温泉に泊まって来ました。紅葉が始まっていて、赤いドウダンツツジ、白いススキの穂、真っ黄色の銀杏など、沿線の景色を堪能することができました。
 のんびりとした各駅停車の旅でした。心身共に、英気を養い、リフレッシュすることができたように思います。

 さて、このところ、各種の催しに対する私のあいさつをアップしています。ついでといっては何ですが、10月14日(水)に、UNハウス(国連大学)のエリザベスローズ・ホールで行われた第22回国際労働問題シンポジウムに対する私のあいさつも、ここにアップさせていただきます。
 何らかの参考になれば幸いです。

第22回国際労働問題シンポジウムへの挨拶

 ただ今、ご紹介いただきました大原社会問題研究所所長の五十嵐でございます。「第22回国際労働問題シンポジウム」の開会に当たりまして、ひと言、ご挨拶申し上げます。
 私ども大原社会問題研究所では、毎年、この時期に国際労働問題シンポジウムを開催してまいりました。早いもので、もう22回目を数えることになります。ということは、22年前からの恒例行事ということになります。
 最近では、ILO駐日事務所と共催で、交互に法政大学の市ヶ谷キャンパスとUNハウスを会場に開催しております。今年は、ここエリザベスローズ・ホールで開催することになりました。大変、立派な会場でありまして、シンポジウムの内容も、それに負けず劣らず、充実したものになることを願っております。
 さて、この国際労働問題シンポジウムは、毎年6月に開かれますILO総会の議題のなかから、日本との関係が深いもの、あるいは興味が持たれるものを選び出して、そのテーマとしてきました。
 今年は、ILO総会の特別議題(議題Ⅶ)である「経済金融危機の雇用・社会政策への影響」をテーマとして取り上げたわけでございますが、ILOがこのテーマを特別議題としましたのは、昨年9月のリーマン・ショックに始まる深刻な金融・経済危機が世界中の雇用・社会政策に大きな影響を与えたからです。その結果、失業、貧困、格差が増大し、企業破産も相次ぐなかで、景気の回復、仕事の創出、働く人々とその家族の保護と救済に向けての迅速な対応が求められるに至りました。
 わが国もまた例外ではなく、景気の低迷と雇用不安の拡大への対応が、鳩山新政権にとりましても大きな政策課題となっております。失業率は5%台後半で推移しており、これから年末年始にかけて、再び「派遣村」のような状況が生まれるのではないかとの懸念も生まれています。雇用問題への取り組みは急務だと言うべきでしょう。
 本日のシンポジウムでは、事務局長報告「世界的な仕事の危機に取り組む」と、特別議題の討議の結果採択された「グローバル・ジョブズ・パクト」(仕事に関する世界協定)について、政府、労働者、使用者側のパネリストおよび学識経験者によって報告・討論していただきます。また、この議題を担当されましたILO経済労働市場分析局長ダンカン・キャンベル氏による講演も予定しております。これらの報告と討論によって、「世界雇用危機にどう立ち向かうのか」との問いに対する何らかの回答が得られれば幸いです。
 なお、私ども大原社会問題研究所は、ILOと同様、今年2009年に創立90周年を迎えました。ILOと同い年ということでございます。
 来る10月27日(火)に、この創立90周年を記念いたしましてフォーラムを開催いたします。詳細につきましては、お手元の配布物の中にビラが入っておりますのでご覧いただきたいと思いますが、こちらにも、足を運んでいただければ幸いです。
 簡単ではございますが、最後までのご静聴・ご協力をお願いいたしまして、開会に当たっての挨拶とさせていただきます。

10月31日(土) 松川事件60周年全国集会に当たっての挨拶 [挨拶]

 これから生協労連・第2回生協政策研究集会での講演のために、渋谷に向かいます。その後、大急ぎで品川から新幹線に飛び乗り、社会政策学会が開かれている名古屋の金城学院大学に行く予定です。

 このところ、フォーラムや展示会でのあいさつが続いております。その前に、10月17~18日の松川事件60周年記念全国集会でもあいさつしました。
 この集会の模様は新聞で報じられ、このブログでも紹介しています。当初の予想を数倍上回る1200人もの方が詰めかけ、大成功を収めました。
 私のあいさつは、初日の最後に行われたものです。何故かプログラムに記載されていませんでしたので、私の方から申し出て行ったあいさつです。

 少し遅くなりましたが、ここにアップさせていただきます。

松川事件60周年全国集会に当たっての挨拶

 松川事件60周年全国集会に当たり、法政大学大原社会問題研究所を代表して、ひと言ご挨拶させていただきます。
 最後に登壇しましたが、「真打ち」というわけではありません。私がここに登場いたしましたのは、私どもの研究所が松川事件の裁判資料を所蔵しているからでございます。この集会に、5人の被告の方が参加されているということですが、ぜひ、時間を取って、一度研究所の資料をご覧になっていただきたいと思います。
 松川事件は、同じ頃発生しました下山事件・三鷹事件とならんで、戦後の社会・労働運動史におきましてもきわめて注目すべき、謀略色の濃い事件でした。伊部先生が書かれた『松川裁判から、いま何を学ぶか』というご本の副題にありますように、戦後最大のえん罪事件でもありました。
 しかし、14年間にわたる裁判と救援活動の結果、被疑者全員の無実が確定するという、戦後の裁判運動史上、画期的な成果を上げました。これは、被疑者の無罪を信じ、その救援のために力を尽くされた多くの名もなき人々の努力のたまものであり、正義と人道、基本的人権の擁護と民主主義のために戦い続けてきた戦後社会運動における金字塔の一つであります。
 大原社会問題研究所は、この松川裁判関係の資料を所蔵・保存して閲覧に供し、事件に関心を持たれる多くの運動関係者や研究者の便宜を図ってまいりました。これらの資料は、これも伊部先生のご著書でのご指摘通り、「いわば既存の資料(集積済みの)資料の移管と保存を特徴」としておりまして、松川事件の責任追及のための全国連絡会議代表世話人会議が所有していた裁判資料を、1971年4月23日に結ばれました契約によって、当研究所の所有するところとなったものです。
 このような当研究所の資料とは異なって、福島大学松川資料室によって収集・保存されている松川関係資料は、松川運動の力によって探索され、収集されたものであり、資料収集自体が一つの運動であったと言うべきでしょう。
 このような形で収集された福島大学松川資料室の資料は、当研究所所蔵の資料と双璧をなすものであり、互いに補い合うものであると思います。今後とも力を合わせて、松川事件の風化を防ぐと共にその真相を伝え、二度と再び、このようないまわしい事件が起きないよう、基本的人権と民主主義が守られる社会の実現のために力を尽くす所存でございます。
 かかる決意を表明いたしまして、松川事件60周年全国集会に当たってのあいさつに代えさせていただきます。

10月30日(金) 展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングへのあいさつ [挨拶]

 明日から、金城学院大学で社会政策学会が始まります。本来であれば、今日から名古屋に向かっているはずなのですが、まだ東京におります。
 というのは、明日の午後、生協労連・第2回生協政策研究集会での講演を頼まれてしまったからです。学会へは、それが終わってから行くつもりですので、懇親会に間に合うかどうかというところでしょう。

 今日、東京にいたために、京都から上京する法律文化社の編集者と、研究所で打ち合わせをすることになりました。政権交代を踏まえて、新しい日本政治の入門書を書き、来年、法律文化社から出版することになっているからです。
 ところが、今日からは展示会「水俣病と向き合った労働者たち」も始まります。急遽、このオープニング・セレモニーに顔を出して欲しいという要請を受けました。
 共催団体を代表してあいさつして欲しいというわけです。記者会見も予定されているといいます。

 ということで、今日は、朝から法政大学市ヶ谷キャンパスのボアソナード・タワー14階「博物館展示室」での展示会のオープニングであいさつし、その後の記者会見に同席して若干の発言を行い、多摩キャンパスの研究所に向かいました。そこで、ファクスで送られてきていた『国公労調査時報』12月号の校正ゲラに赤を入れ、新しい拙著についての打ち合わせを行い、明日の講演の準備をし、来週の11月6日(金)に予定されている「働き方ネット大阪第9回つどい」の講演レジュメを送付しました。
 これで、明日から東京を離れることができます。ついでに、中央線の旅をしてくるつもりですので、多少はゆっくりできるかもしれません。

 ところで、展示会「水俣病と向き合った労働者たち」には、新日本窒素労働組合の原資料が80点ほど展示されています。なかには、レッドパージで解雇された人の名簿、第2組合による切り崩しに関する資料、闘争中に警察が行っていた無線傍受の記録など、珍しいものも含まれているということです。
 記者会見には、共同通信、熊本日日新聞、西日本新聞、週刊金曜日などの記者が顔を見せていました。そのうち、関連する記事が出るものと期待しています。
 東京での展示会は、今日から11月8日(日)までです。多くの方に足を運んでいただきますよう願っています。

 なお、この展示会のオープニング・セレモニーで、私は次のようなあいさつを行いました。参考までに、以下に掲載させていただきます。

展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たってのあいさつ

 展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たり、共催団体としての法政大学大原社会問題研究所を代表して、ひと言ごあいさつ申し上げます。
 水俣病と言えば、工場排水による悲惨かつ大量の人的被害をもたらした恐るべき公害として、今日では世界中に知られております。この加害企業であるチッソの労働組合としては、会社寄りの第2組合で連合傘下の化学総連に加盟しているチッソ労働組合が良く知られております。しかし、もう一つの労働組合があったこと、公害企業の労働組合でありながら、チッソの社会的責任を内部から追及し、水俣病の被害者を支えた労働組合が存在したことは、残念ながら、十分に知られているわけではありません。
 今回の展示会は、この「もう一つの労働組合」である新日本窒素労働組合に光を当て、公害発生企業で働いた労働者としての贖罪のために異例の「恥宣言」まで行った労働組合の存在を明らかにするうえで、大きな意義を持っています。同時に、会社側の言いなりにならず、水俣病の患者の側に身を寄せた人々の存在を明らかにすることによって、チッソで働いた労働者の名誉を回復するという点でも、大きな意義があると言ってよいのではないでしょうか。
 現在、『沈まぬ太陽』という映画が公開され、大きな話題を呼んでおります。この主人公である恩地元のモデルは、日本航空の第1組合の委員長であった小倉寛太郎氏であると言われております。主人公が9年7ヵ月もの長期にわたって海外の辺地をたらい回しにされたのは実話であります。
 この小倉氏と同様に、会社の誘いを拒み、切り崩しに抗い、働く者の誇りと矜持を持ち、人間としての最後の一線を守り続けた人々こそ、新日本窒素労働組合を担った労働者たちでありました。ここに展示されている資料の数々は、もう一つの「沈まぬ太陽」の存在を示す“歴史の証言者たち”にほかなりません。
 これらの生の資料を直接眼にすることによって、今日の厳しい経済・雇用情勢の下にあえぐ多くの労働者が、励まされ、勇気づけられることを願いまして、展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに際してのあいさつに代えさせていただきます。

10月29日(木) 大原社会問題研究所創立90周年記念フォーラムへのあいさつ [挨拶]

 一昨日の27日(火)、大原社会問題研究所の創立90周年を記念して、フォーラムが開催されました。120人もの方に出席していただき、無事に終了してホッとしております。

 フォーラム前日の26日(月)、台風が関東近海を通過し、一日中、雨が降り続きました。その中を、国公労連の本部で開かれた行財政総合研究所公務員制度研究会に出席し、労働組合運動の立場から鳩山新政権をどう見るかについて、報告させていただきました。
 研究会が始まる前、「僕を覚えている?」と仰る方がおられます。見覚えはありますが、名前は思い出せません。
 名前をうかがって驚きました。都立大学時代にお目にかかった法学部のF大先輩です。大学1年生だったときにお会いして以来ですから、40年ぶりの再会でした。

 研究会が終わってからは、大学院時代の先輩にもお目にかかりました。といっても、こちらの方は、8月の私大教連教研集会でお世話になったM先輩です。
 研究会の参加者は30人ほどでしたが、気がつきませんでした。勤務校は鹿児島の大学ですから、まさかお出でになっているとは思っていませんでしたから……。
 そう言えば、国公労連はM先輩の古巣ですから、ここに登場しても何の不思議もありません。フォーラムの準備などもあってすぐに研究所に帰らなければならず、ほとんどお話しできなかったのは残念でしたが……。

 ということで、雨の中、法政大学の多摩キャンパスに向かいました。大学に着く頃、雨はほとんど上がっていましたが、台風の影響がどうなるか、気が気ではありませんでした。何しろ、私は自他共に認める「雨男」で、先日は台風による強風のために電車に閉じこめられたばかりでしたから……。
 この日は、フォーラムの会場である百周年記念館に泊まり込みです。翌日の天気を気にしながら、晴れることを天に祈って眠りにつきました。

 カーテンを閉めずに寝たので、眼醒めたら明るくなり始めた窓の外が見えます。雨は降っていないようでした。
 急いで窓際まで行って外を見上げたら、青空が見えます。嬉しかったですね。台風一過の好天でした。
 ということで、秋の爽やかな日差しが降り注ぐ中、120人もの方にお出でいただき、フォーラムは大成功しました。フォーラムの内容も素晴らしいもので、改めて研究所の90年の歴史を振り返り、創立者であった大原孫三郎氏の偉業と大原社会問題研究所の重要な役割を確認することができたと思います。

 遠くアメリカからやって来られたハーバード大学のゴードン先生とは、私がアメリカを発った2001年以来の再会でした。また、ずっと前に一度お目にかかったことのある大原美術館の大原謙一郎理事長にも、お話いただくことができました。
 研究所の先輩や懐かしい方々にもお目にかかり、旧交を暖めることができました。レセプションに予定していた以上の多くの方の参加があり、料理がなくなって早めにお開きとなってしまったのは予想外でしたが‥……。
 ということで、フォーラムの成功のためにご協力いただいた全ての方々に、この場を借りて厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。

 なお、このフォーラムの開会に当たり、私は研究所を代表してあいさつしました。参考のために、以下に掲げさせていただきます。

 本日は、朝早くから、都心から離れた多摩キャンパスにお出でいただきましてありがとうございます。「90周年記念フォーラム」の開会に当たりまして、ひと言、ご挨拶申し上げます。
 大原社会問題研究所は、今を去ること90年の昔、1919年(大正8)年2月9日に大原孫三郎氏によって設立されました。社会科学分野の研究所としては、日本で最も古い歴史を持つ研究所でございます。研究所が研究するのは当たり前ですが、研究される研究所でもあるのは大原社会問題研究所くらいではないでしょうか。
 大阪天王寺で産声を上げた研究所は、1937年に東京に移転し、戦中・戦後の厳しい時代を経て1949年には法政大学の付置研究所となって市ヶ谷キャンパスに移りました。今年、2009年は、研究所が法政大学と合併してから60年という記念の年でもあります。その後、社会学部・経済学部の移転にともない、1986年に研究所は、ここ多摩キャンパスの図書館・研究所棟に移り、今日に至っております。
 このように、大原社会問題研究所が、戦前、戦中、戦後の混乱期を乗り切り、現在に至るまで90年もの歴史を刻むことができましたのは、奇跡とも言うべき数々の僥倖に恵まれたからであります。
 なかでも、初代所長の高野岩三郎氏をはじめ、大内兵衛、森戸辰男、櫛田民蔵、権田保之助、細川嘉六、宇野弘蔵、笠信太郎、久留間鮫造、宇佐美誠次郎、舟橋尚道、大島清、中林賢二郎、田沼肇など、優れた識見を持つ優秀で献身的な研究員、所員、職員など、多くの人材に恵まれたことは、特筆に値することであります。この機会に、これまで大原社会問題研究所の活動を担い、業務を支え、ご協力下さいました全てのスタッフや関係者に、心より感謝の言葉を述べさせていただきます。
 大原社会問題研究所は、①社会・労働問題に関する調査・研究を行う機関、②専門図書館・資料館、③社会・労働問題の資料・文献情報センターという機能を兼ね備えているという特色を有しております。とりわけ、戦前からの労働組合運動関係の原資料の収集・保存という点では、他の研究所や資料館の追随を許さぬものと自負しております。また、昨今の厳しい経済・雇用情勢の下で、労働問題や労働運動についての研究の意義も高まってきております。
 所蔵資料を生かした歴史研究という点でも、新たな現代的な課題についての研究という点でも、研究所が担うべき役割は大きく、社会的な期待と責任も増大しつつあると言わなければなりません。今後とも、研究所の実績と特色を生かしつつ、現代社会に生起する労働問題の解明を中心にしながら、幅広い社会問題の研究にも力を入れる所存でございます。このような未来に向けての跳躍点となるべく、本日のフォーラムが成功いたしますよう、皆様のご協力をお願いする次第です。
 なお、このフォーラムに対しまして、大原関係諸機関によるご後援、関連研究諸団体や自治体からの協賛をいただきました。また、案内ビラの印刷には間に合いませんでしたが、大阪歴史博物館と株式会社「クラレ」からも後援と協賛をいただいております。11月3日には大阪歴史博物館でも創立90周年を記念してのシンポジウムが開催されます。ご紹介し、感謝の意を表する次第です。
 最後に、これまでのご支援・ご鞭撻に重ねてお礼申し上げますと共に、今後とも研究所の活動へのご支援・ご協力を賜りますよう、心からお願いいたしまして、開会に当たりましての挨拶に代えさせていただきます。