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1月9日(土) 薬のネット販売全面解禁の危うさを示した楽天市場での不当表示 [規制緩和]

 政府の産業競争力会議のメンバーである楽天の三木谷浩史会長兼社長は6日に記者会見し、医薬品のインターネット販売に関して一部規制が残ったまま立法化されれば、同会議の民間議員を辞任すると表明しました。政府が成長戦略の一環として行う医薬品のネット販売解禁で一部規制を残したことに抗議し、全面解禁を求めての辞任表明です。

 そのようなときに表面化したのが、インターネットショッピングモールの「楽天市場」で開催されたプロ野球・楽天の日本一記念セールで不当表示があったとされる問題です。楽天は7日、二十数店舗の約1000点の商品で割引率を大きく見せるような不適切な表示があった可能性があると発表しました。
 セールは「日本一大セール」と銘打って、3日夜から7日午前2時まで行われたものです。星野仙一監督の背番号にちなんだ「77%割引」が目玉商品でした。
 ところが、一部の店は、「シュークリーム10個で通常1万2000円の商品を、77%割引の2600円で販売」とうたって販売していたといいます。7日の決算会見で、三木谷浩史社長兼会長は「勝手なセールをした店舗があり、現在調査している」と述べたそうです。

 こうなると、大きな疑問が浮かんできます。このような不当表示は、薬のインターネット販売でも生ずる心配はないのか、と……。
 全面解禁されれば、副作用が強かったり、使い方に注意が必要だったりする薬も、「自己責任」で購入しなければなりません。それについての説明が不十分だったり、虚偽の説明がなされたり、はては偽薬が販売されたりするようなことはないのでしょうか。
 その結果、薬害が生じたりした場合、一体、誰が責任を取るのでしょうか。全面解禁を求めている三木谷社長は責任をとれるのでしょうか。

 ことは、国民の命と健康にかかわる問題です。利便性だけでなく、安全性にも十分な注意が払われなければなりません。
 インターネットでの購入は確かに手間がかからず、利便性に優れています。しかし、安全性という点では不安が残ります。
 しかも、これまで多くの薬害が生じて被害者を生み、国や製薬会社が訴えられるという事例がありました。このような問題が生じた場合、先ず責任を問われるのは厚生労働省ですから、国民の健康を守るという立場から厚労省が全面解禁に消極的になるのは当然でしょう。

 そもそも、インターネット販売での全面解禁を求めている三木谷社長は、製薬会社の経営者でもなければ、薬を購入する消費者の代表でもありません。そのような人が全面解禁を求めているのは、インターネットショッピングモールの「楽天市場」でのビジネスチャンスが拡大するからです。
 産業競争力会議という公的な場を利用して自らのビジネスの拡大を図る典型例であり、産業競争力会議の民間議員という立場を利用して雇用の流動化を主張し、自分が会長を務めているパソナなどの人材会社のビジネスチャンスを拡大しようとしている竹中平蔵さんと同様の「政商」にほかならないと言えるでしょう。
 しかも、このような規制緩和は「成長戦略」の一環として主張され、薬のインターネット販売の全面解禁は、その焦点であるかのように主張されています。しかし、全ての薬がインターネットで買えるようになれば、そんなに売り上げが伸びるのでしょうか。それによって、日本経済の「成長力」が回復するほどの効果があるとでも言うのでしょうか。

 もし、一部規制を残したままのネット販売が立法化されれば、三木谷さんは国を訴え、産業競争力会議の民間議員を辞めると脅しています。ヤクザまがいの脅迫で、自分の主張を通そうとしているわけです。
 さっさと辞めればいいんです。国民の命や健康よりもビジネスチャンスの拡大を優先するような人は……。
 それよりも、今回の「楽天市場」での不当表示の実態を明らかにし、責任を取ることの方が先決ではないでしょうか。ついでに、インターネット販売が持っている問題点や限界についても、きちんとした見解を示してもらいたいものです。

 もし、三木谷さんが産業競争力会議の民間議員を辞めれば、暴力団員など反社会的勢力への融資を継続していた問題で民間議員を辞任したみずほフィナンシャルグループの佐藤康博社長に次いで二人目になります。このような人々を選任した安倍首相には人を見る目がなかったということであり、そのような人々によって策定される成長戦略も、たかがしれているということになるでしょう。
 経済成長へ向けた改革の議論をする前に、産業競争力会議の改革を議論した方が良いのではないでしょうか。そして、政治を商売の道具にしている竹中さんなどの「政商」をとっとと追い出すべきでしょう。

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10月21日(月) 「特区諮問会議」の設置は規制緩和のために「ブレーキ」を解除しようとするものだ [規制緩和]

 「特区諮問会議 設置へ」「医療・雇用・農業 関係大臣を外す」
 本日の『朝日新聞』の一面に、このような見だしが踊っていました。この記事は、次のように伝えています。

 政府は20日、国家戦略特区を進めるための関連法案に、安倍晋三首相を議長とする「特区諮問会議」の設置を盛り込む方針を固めた。メンバーからは厚生労働相、農林水産相など関係分野の大臣を外す。各省庁の規制を守りがちな大臣の「抵抗」を抑え、トップダウンで規制緩和を進めるねらいだ。
 ……
 政府は11月上旬に臨時国会に関連法案を出し、どこを特区にするかや特区ごとにどの規制を緩めるかを決める特区諮問会議の設置も盛り込む。経済財政諮問会議と同じ「法定組織」になり、政府方針を定めるといった強い権限を持つ。

 何としても、遮二無二、規制緩和をすすめようという安倍首相の強い決意がうかがわれます。抵抗を排する、ということで、「厚生労働相、農林水産相など関係分野の大臣を外す」というのですから、呆れてしまいます。
 それぞれの担当大臣は、担当する行政についての最終的な責任を負うべき立場にあります。だからこそ、国民のためにならないと考えれば、たとえ安倍首相の強い意向であっても抵抗するわけです。
 すでにこれまでも、産業競争力会議や規制改革会議で、大胆な規制緩和を求める民間議員と、それに対して異議を唱えて抵抗する担当大臣という構図ができていました。その担当大臣を外すための装置として「特区諮問会議」を設置しようというわけですから、まさに「暴走」のためのブレーキ解除と言うべきでしょう。

 そもそも、このような形で「特区」を設け、そこでだけ憲法や法律による規制を弱めようというやり方には、大きな問題があります。一定地域に住み働く人に対してだけ、憲法や法の保護・規制を緩和するということですから、「法の下の平等」に反するからです。
 また、解雇規制や労働基準の緩和など、憲法で保障された人権の保護を特区の設置によって弱めるということになれば、法律によって憲法の内実を変えてしまう結果をもたらします。
 下位法たる法律によって、基本法にして上位法である憲法の一部修正を行うようなものですから、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認と同様、「憲法下克上」ないしは「憲法クーデター」と言うべきものです。このようなことが許されれば、憲法による人権保障は有名無実となるでしょう。

 開幕した臨時国会は、「官邸主導国会」と言われています。このようなやり方から見れば、実際には「官邸独裁国会」と言う方が相応しいものではないでしょうか。
 野党の無気力さと内閣支持率の高さを背景に、安倍首相はやりたい放題の「暴走」を始めつつあります。それを目隠しするために、「安保法制懇」などの私的諮問機関や経済財政諮問会議・産業競争力会議・規制改革会議などの戦略的政策形成機関を利用してきました。
 今回また、邪魔者を追い出して好き勝手な規制緩和を行うために、「特区諮問会議」という戦略的政策形成機関を新設しようとしています。民主的な手続きの仮面を被った「独裁」的な手法だと言うべきでしょう。

 前回のブログで紹介した『日本経済新聞』10月18日付のコラム「春秋」は、「経済の『特区』は科学の『実験室』に似ているかもしれない」と指摘していました。その「特区」で「実験」されようとしている規制緩和のターゲットは、国民の暮らしや働き方に向けられています。
 このコラムを書いた「春秋」子は、「実験」の材料が生きた生身の人間であるということをどれだけ自覚していたでしょうか。「実験」の結果によっては、その人々の生活や人生が大きく狂わされてしまうということ、すでに小泉構造改革の「実験」によってそのような人々が大量に生み出され、大きな社会問題となっているということを、どれほど認識していたでしょうか。

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10月18日(金) もし「特区」を設置するなら、必要なのは「雇用水準向上特区」ではないのか [規制緩和]

 「雇用 大幅緩和見送り」「労働時間規制を継続」という見出しが躍っていました。国家戦略特区での規制緩和の概要について報じた本日付の『日本経済新聞』の一面です。

 この記事のリードには、「雇用改革では、有期雇用の期間を最長5年から最長10年に延ばすが、産業界に要望が強い労働時間の規制を一部の労働者に適用しないホワイトカラー・エグゼンプションなど大幅な緩和は見送った」と書かれています。ただし本文では、「今回は見送ったホワイトカラー・エグゼンプションについて、首相周辺は、『(年明け以降)議論を詰めていく』としている」とされており、先送りされただけのようです。
 また、その横に掲載されている「国家戦略特区の主な規制改革項目」という一覧表の「雇用」の欄を見ると、「雇用ルールを分かりやすく」として「解雇基準の指針を作る。対象は限定」とあります。これには「一部実現」という意味の△印が付いていました。
 限定された人を対象に、解雇しやすくする新しいルールを導入しようということのようです。安倍首相は「解雇特区」という言い方に反論していましたが、特区の中では解雇がしやすくなるだろうということは間違いないようです。

 今回、雇用についての大幅な規制緩和が先送りされたのは、当然とはいえ、重要な成果です。労働側の反対運動や厚労省などの反対によるものだと思われますが、同時に、このような規制緩和には問題がありすぎて導入に躊躇せざるを得ないという事情もあるでしょう。
 今回の規制緩和は、先に行われた小泉構造改革の再版であり、その結果がすでに見えているからです。解雇しやすくすれば失業者が増え、派遣などを緩和すれば非正規労働者も増大します。
 その結果、どうなったかは、小泉構造改革が何を生み出したのかを振り返ってみれば明らかでしょう。私が、『労働法律旬報』(2013年9月10日号)に掲載された拙稿で、「第二次安倍内閣における『雇用改革』をめぐる論議には、相反する二つの傾向があるように見える。一つは、規制改革に対する期待と攻勢であり、もう一つは、懸念と躊躇である」と書いたのは、この点に関わっています。

 ここで指摘した「懸念と躊躇」が、今回の「大幅緩和見送り」にも示されているといって良いでしょう。というのは、拙稿に書いたような以下の事情があるからです。

 「雇用改革」の主たる狙いは成長戦略の実行であった。雇用のあり方をめぐる規制を緩和すれば経済成長が実現するのではないかという期待がある一方で、それははたして労働者に理解され、上手くいくのかという躊躇がある。
 一方での経済成長への期待感は規制緩和に向けての攻勢を強めるが、他方での懸念は、その具体化における躊躇を生み出している。労働の規制緩和に向けての具体的検討が規制改革会議の傘下にある雇用ワーキング・グループで活発に議論されたのに、経済財政諮問会議の「骨太の方針」にほとんどその成果が反映されていないのは、そのためであろう。
 その背景には、すでに小泉内閣の時代に構造改革の一環として労働の規制緩和が着手され、それが非正規労働者の拡大を生み出し、貧困化や格差を増大させてきたという苦い経験があるからである。また同じような施策によって、同じような結果がもたらされるのではないかという懸念が生じ、その具体化に一定の躊躇を覚えるのも根拠のないことではない。

 ところで、本日の『日本経済新聞』の同じ紙面の下にあるコラム「春秋」には、「日本経済を元気にするアイデアとして、国家戦略特区が議論されている」として、次のように指摘しています。

 経済の「特区」は科学の「実験室」に似ているかもしれない。日常空間とは違う極端な条件を人工的に作り、普段は観察できない現象を見つけ出す。その結果がよければ実験は成功。そこから普遍的な理論を導き出して、ほかの場所でも応用できる。

 「特区」の設置自体、「法の下の平等」という点からいって問題があると思いますが、「実験」のためにどうしても必要だというのであればその一つとして、「規制緩和」ではなく雇用水準を向上させるための「規制強化」という「極端な条件を人工的に作」ったらどうでしょうか。雇用を安定させ、非正規労働者の均等待遇、時給をはじめとした賃金の引き上げ、サービス残業は禁止、残業時間も上限を厳しく設定して延長できないようにし、最低12時間のインターバル休息を設定してワーク・ライフ・バランスを義務付けるというような「特区」を……。
 国家戦略特区は「規制改革」による成長戦略の実現を目指しているのですから、何も「緩和」だけが手段ではないはずです。このような「規制改革」によって労働者が働く意欲を高め、生産性が向上し、内需が拡大して経済成長に資することになれば、「実験は成功」したことになるでしょう。
 このような「雇用水準向上特区」によって日本経済が元気になれば、「そこから普遍的な理論を導き出して、ほかの場所でも応用できる」ことになります。その結果、ワーキングプア、ブラック企業、追い出し部屋やロックアウト解雇、常時リストラ、パワハラや資格ハラスメント、セクハラにマタハラ(マタニティー・ハラスメント)、サービス残業、過労死に過労自殺、メンタルヘルス不全などの問題が解決されることになれば、安心して働ける人間らしい労働(ディーセントワーク)が実現するにちがいありません。

 このような「雇用改革」こそ、今の日本に求められている本当の改革ではないでしょうか。もし、「特区」による「実験」が必要だというのであれば、「日常空間とは違う極端な条件を人工的に作り、普段は観察できない現象を見つけ出す」、このような「雇用水準向上特区」という「実験室」こそ、最も必要なものなのではないでしょうか。

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9月6日(金) 真の「構造改革」は大企業の経営者や自民党の政治家には無理だ [規制緩和]

 小泉「構造改革」と言えば、すぐに新自由主義的な原理に基づいた規制緩和政策が浮かびます。小泉元首相だけでなく、構造改革といえば規制緩和だと言いたくなる方は多いでしょう。
 しかし、本来の構造改革とは、構造を変えることです。それでは、構造とは何でしょうか。それは、辞書などでは次のように説明されています。

① 全体を形づくっている種々の材料による各部分の組み合わせ。作りや仕組み。
② さまざまな要素が相互に関連し合って作り上げている総体。また,各要素の相互関係。

 つまり、日本の政治や社会の仕組みを作り上げている各部分の組み合わせや仕組みのことを「構造」と言うわけです。それを変えるための方法が規制の緩和であり、規制緩和そのものは構造改革のための手段の一つにすぎません。
 それでは、改革されるべき構造とは何でしょうか。戦後日本の政治と経済を歪めてきた構造的な問題は、外交・安全保障面では対米追随、内政面では大企業優先とその政治的代理人である自民党による長期支配でした。
 これは、民主党政権の成立によって一時的に崩れるかに見えましたが、残念ながら、さらに強まる形で復活してしまいました。その最大の要因は、自民党から政権を奪い取った民主党に、このような構造を転換する意思も能力も薄弱だったからです。

 したがって、現在の日本が直面している構造改革の課題とは、アメリカの要請に応じて戦争できるようにするための軍拡や改憲を阻止し、周辺諸国との良好な関係を回復して東アジアの平和と安全を維持することです。また、自民党による大企業の利益最優先という政治・経済の強固な仕組みを転換しなければなりません。
 そのために必要なルールの形成こそが、真の「構造改革」なのです。ルールを撤廃したり緩和したりするだけでなく、ルールを作り替えたり新たなルールに取り替えることが必要です。
 労働者派遣法のように、緩和されすぎて社会的な災厄を生み出している規制は再規制されなければなりません。労働者の働き過ぎや長時間労働、低収入や健康被害、家族の形成や子育てを阻害し少子化社会を生み出している働き方を改めるために、必要な規制が新たに作られるべきことは当然でしょう。

 平和な国際環境、安全な生活環境と安心して働ける社会環境の回復こそが、構造改革の目標でなければなりません。それはまず、戦後日本の政治と経済を歪めてきた構造的な問題を解決することであり、それを生み出してきた大企業の経営者や自民党の政治家の責任を問うことから始める必要があるでしょう。
 このような真の「構造改革」を実行することは、大企業の経営者や自民党の政治家には無理です。それにもかかわらず、このような人々に「構造改革」を委ねざるを得ないような「構造」こそが、差し当たり改革されなければならない最大の課題だと言うべきでしょうか。

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9月4日(水) 規制改革と「企業経営との二足の草鞋(わらじ)」は無理だという宮内オリックス会長の述懐 [規制緩和]

 オリックス会長の宮内義彦さんと言えば、小泉構造改革において、牛尾治朗さんや竹中平蔵さんとともに規制緩和の旗を振り続けた方です。その宮内さんが、『日本経済新聞』で「私の履歴書」を書くというではありませんか。
 興味津々です。どのようなことが明らかにされるのでしょうか。
 その第一回が9月1日付に掲載されました。規制改革会議での活動などを振り返って、宮内さんは次のように書いています。

 この仕事も心残りが多い。もっと頑張ればもう少し結果を残せたかなと思うこともあるが、一歩引いて考えれば、そもそも企業経営との二足の草鞋(わらじ)を履きこなすのは、どだい無理な話だった。規制改革をやりきろうとするなら、志と決裁権限を兼ね備えねば無理だ。それは学者でも行政官でもない。政治家にしか改革を成し遂げることはできない。

 この回想で注目されるのは、「心残りが多い」とされていることです。「もっと頑張ればもう少し結果を残せたかなと思うこともある」というのです。
 つまり、宮内さんは規制改革が不十分だったと総括されているわけです。もっと、どんどん規制を緩和するべきだったと考えているのでしょう。
 労働分野での規制緩和によって派遣労働者は急増し、非正規労働者が増大しました。その結果、貧困が増大して格差が拡大したため、派遣労働などに対する「労働再規制」が政策課題として浮上したわけですが、宮内さんはこのようなプロセスをどう総括されるのでしょうか。

 もう一つ注目されるのは、「そもそも企業経営との二足の草鞋(わらじ)を履きこなすのは、どだい無理な話だった」と書かれている点です。そして、「政治家にしか改革を成し遂げることはできない」と指摘されています。
 私も、そう思います。国家の経営と企業の経営は大違いですから、重要政策の転換や立案を経営者任せにしようとするのは政治家の責任放棄であり、「どだい無理な話」なのです。
 以前から、そう思っていました。当事者であった宮内さんの言葉によって、その点を確認できたのは大きな収穫です。

 そもそも、経営者は政治とは異なった領域と論理で企業の経営を行っています。そこには共通するところもあるでしょうが、基本的には異なった分野であることは明らかでしょう。
 経営者が政治に関心を持ち、そのために自らの力や経験を生かしたいと思うのであれば、政治家に転身すればよいのです。今回の参院選で政治家に転身した「和民」の渡辺美樹社長のように、経営者から政治家になった人は沢山います。
 しかし、そのような形で転進することなく、経営者としての地位を保持したまま政治に対する発言を行い、大きな影響力を行使して政治的・社会的災厄を生み出すような例も皆無ではありません。そのうちの一人が宮内さんであり、それに対して宮内さん自身は「二足の草鞋(わらじ)を履きこなすのは、どだい無理な話だった」と総括されているわけです。

 この宮内さんの述懐を、小林喜光三菱ケミカルホールディングス代表取締役社長、佐々木則夫東芝取締役、代表執行役社長(以上、経済財政諮問会議)、秋山咲恵サキコーポレーション代表取締役社長、岡素之住友商事株式会社相談役、榊原定征東レ株式会社代表取締役取締役会長、坂根正弘コマツ取締役会長、佐藤康博みずほフィナンシャルグループ取締役社長グループCEO、竹中平蔵パソナグループ取締役会長(慶應義塾大学総合政策学部教授)、新浪剛史 株式会社ローソン代表取締役社長CEO、長谷川閑史 武田薬品工業株式会社代表取締役社長、三木谷浩史楽天株式会社代表取締役会長兼社長(以上、産業競争力会議)、浦野光人ニチレイ相談役、金丸恭文フューチャーアーキテクト株式会社代表取締役会長兼社長、佐久間総一郎新日鐵住金株式会社常務取締役、佐々木かをりイー・ウーマン代表取締役社長、滝久雄ぐるなび代表取締役会長(以上、規制改革会議)など、現在、政府の戦略的な政策形成機関に参加されている経営者の皆さんは、どう受け取っているでしょうか。

 これらの戦略的機関での審議に加わっている経営者が、日本の労働の破壊を意図しているとは思いません。もしそうなれば、それは日本の産業や企業にとっても破滅への道を掃き清めることになってしまうからです。
 しかし、企業経営と国家経営とは全く異なるものです。国家経営においても経営者が有能だというのは幻想にすぎず、「二足の草鞋(わらじ)を履きこなすのは、どだい無理な話」なのではないでしょうか。
 自らが関わる業界や企業を念頭に置いた発言や限られた範囲での経験に基づく国政への関与は、知らず知らずのうちに政治を歪め、意図せざる破壊的結果をもたらすかもしれません。これまでの民間議員主導による労働の規制緩和がそうであったように……。

 安倍政権の「雇用改革」は、雇用政策の基本を安定から流動化へと転換させるとしていますが、日本の労働者の働き方は、すでにこれまでも十分に流動化、不安定化して多くの問題を生み出しています。これ以上、クビを切りやすくすること、働く人々の不安を高めること、非正規化を進めてワーキング・プアを増やすこと、労働時間の管理を緩めてサービス残業を合法化すること、労働を強化して過労死や過労自殺、メンタルヘルス不全やうつ病を増やすことが、結局は日本の産業のみならず企業にとっても大きな災厄をもたらすということに、そろそろ気がついても良いのではないでしょうか。

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7月14日(日) なぜ規制緩和が成長戦略の柱とされるのか [規制緩和]

 昨日のブログで、規制緩和は公正で自由な競争を失わせ、経済成長に向けての推進力をも失わせると書きました。それなのに、なぜ規制緩和が成長戦略の柱とされているのでしょうか。

 それには二つの理由があります。一つは、本来の成長戦略を避けるための「目くらまし」として利用するためです。もう一つは、それに変わる何らかの成長戦略らしきものを提起しなければ、国民の納得を得られないからです。
 しかし、このような規制緩和に頼るやり方が期待されたような成果をもたらさないことは、すでに事実によって立証されています。小泉構造改革は確かに大企業の儲けを増やし、2002年から07年にわたる「いざなぎ越え景気」によって大企業は史上最高益を更新し続けましたが、しかし、労働者の収入は増えず、デフレ脱却の効果はありませんでした。だから、「失われた20年」となり、今回、再びデフレ脱却を政策課題としなければならなくなったのです。
 そればかりではありません。「実感なき景気回復」によって大企業内にだぶついた資金は「投資」ではなく「投機」にまわり、アメリカでの住宅投資に殺到してリーマン・ショックを引き起こしました。今回も、同様の経過を辿る危険性があります。

 それでは、このような危険性を避けるためにはどうすれば良いのでしょうか。そのためには、規制緩和などの誤った「目くらまし」に頼ることなく、実効性のある二つの施策を堂々と実施すれば良いのです。
 その一つは、労働者の所得を引き上げて労働分配率を高めることです。260兆円とも言われる大企業の膨大な内部留保を取り崩して、賃金を引き上げる原資に回すべきです。
 そうすれば、貯め込まれている過剰資金を市場にはき出させることができ、労働者の購買力を高めることもできます。まさに、金融資産として死蔵されている大企業の貯金を活用する一石二鳥の方策ではありませんか。

 もう一つは、この間、拡大してきた所得格差を是正することです。そのためには、富裕層から貧困層に所得を移すための再分配政策を本格的に実施しなければなりません。
 一般的に言って、富裕層は貯蓄性向が高く、貧困層は消費性向が高いという傾向があります。富裕層から貧困層への所得の再分配は、貯め込まれた富を消費に回すことによって、有効需要を生み出すことができます。
 そのためには、消費増税などの大衆課税を止め、所得に対する累進課税を強めるなどの税制改革を行い、社会福祉を充実しなければなりません。このような政策によって消費活動を活性化すれば、景気は上向いてデフレからの脱却は容易になるでしょう。

 このような施策が有効であることは、たいていの人には理解されるはずです。それなのに、どうして規制緩和などの「目くらまし」に頼ろうとするのでしょうか。
 このようなやり方では上手くいかないことは、すでに小泉構造改革によって明らかになっているというのに。失敗を運命づけられている愚策に、なぜ再び頼ろうとしているのでしょうか。
 そこにこそ、大企業と富裕層の利益代表としての自民党の最大の限界と弱点があります。いくら有効性が明らかであっても、大企業と富裕層の利益を優先しようとする限り、それを実行できないからです。

 労働者の収入を増やすためには、正規雇用を拡大して雇用を安定させ、定期昇給や最低賃金の引き上げを実行すればよいのです。大企業の内部留保に対して課税すれば、その原資は簡単に調達できるでしょう。
 所得の再分配のためには、消費税の増税を中止し、社会保障サービスの充実を図ればよいのです。企業減税などを取り止め、富裕層への累進課税や金融資産に対する課税を強めれば、そのような再配分は簡単にできるはずです。
 しかし、自民党が大企業と富裕層の利益を代弁する立場を放棄しない限り、そのような政策を実施することはできません。だから規制緩和なのであり、すでに失敗した道をもう一度進まなければならなくなっているわけです。

 こうして、成長戦略をめぐる二つの道の対立が浮かび上がってくることになります。そのうちのどちらを選択するのかということも、今回の参院選で問われている重大な争点の一つであるということになるでしょう。
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7月13日(土) 自由競争の社会なのに、なぜ規制やルールが必要とされるのか [規制緩和]

 昨日のブログで、「規制」をめぐる誤解と謬論の存在について指摘しました。「往々にしてマスコミはこのような謬論に陥りがちですが、『規制』は悪であり『規制緩和』は善であるという前提は成り立ちません」と……。

 ここで、「往々にしてマスコミはこのような謬論に陥りがちですが」と書いたのは、昨日取り上げた『朝日新聞』の対論での記者の質問が頭にあったからです。記者は、一方の山本さんに「規制緩和はまだ足りませんか」と聞き、他方の松原さんに「日本の規制は多すぎませんか」と聞いていました。
 「緩和はまだ足りない」「規制は多すぎないか」という問いの裏には、「もっと緩和して規制を減らすべきだ」という主張が隠されているように見えます。ということは、この質問は「『規制』は悪であり『規制緩和』は善であるという前提」に基づいていたということになります。
 少なくとも、アベノミクスの成長戦略はこのような前提に立ち、それを支持する人々の多くも規制緩和こそが経済成長のカギであると思い込んでいます。だから、「企業や産業に対する経済的な規制は原則なくしていい」と、山本哲三早大教授は主張されるわけです。

 しかし、「原則なくしていい」というのであれば、どうしてこれまで「経済的な規制」が存在したのでしょうか。それは必要だったからこそ、存在したのではないでしょうか。
 資本主義社会は自由競争を掲げているのに、なぜ「経済的な規制」を必要とするのでしょうか。どうして「自由」に反するかのように見える規制やルールが定められたのでしょうか。
 それは、このような規制やルールがなければ、自由な競争が実現しないからです。実は、資本主義社会は自由競争のために特別のルールを必要としていたのです。

 そもそも、公正で自由な競争を実現するために一定のルールが必要だということは、経済活動だけに限りません。ルールによって厳しく競争条件を定めることは、ゲームやスポーツの世界などでは当たり前のことです。
 囲碁や将棋、ゴルフなどで上級者と下級者が対戦するときには必ずハンディをつけ、徒競走ではバラバラなスタートを認めません。そうしなければ、公正で自由な競争にならないからです。
 経済活動も同様です。最も端的な例は独占禁止法と公正取引委員会の存在ですが、それ以外にも公正で自由な競争を保障するための様々なルールがあります。そのようなルールがなければジャングルのような弱肉強食の世界となり、強者にとって一方的に有利になってしまうからです。

 つまり、公正で自由な競争にとって、競争条件を平等にするためのルール・措置はどのような世界であっても不可欠なのです。一定の規制やルールがあって初めて、自由競争の世界が実現するのです。
 このような規制やルールのない完全な自由は、最終的には公正な競争を阻害し、参加者にとって極めて不自由なものになるでしょう。常に強者が勝つような競争は、もはや自由競争とは言えません。
 したがって、規制やルールの設定による競争条件の平等化は、自由を促進することになります。弱い者や条件の不利な者も競争に参加し、競うことができるようになるからです。

 逆に、強い者や条件の有利な者にとっては、このような規制やルールは邪魔になります。それがなくなって、競争条件が不平等になった方が自分にとって都合がよいからです。
 コストの安い農産物や工業製品を生産できる国にとっては、関税がなくなった方が良いに決まっています。多国籍企業や大企業にとっても、中小零細企業を保護したり、消費者の立場に立つ規制やルールのない方が好都合でしょう。
 働かなければ生活できない労働者よりも、それを使う経営者の方が強い立場に立っています。いつでも解雇できたり、金銭で解決したり、長時間働かせたりできるようにした方が、労働者をずっと安くこき使え、日本は「世界で一番企業が活躍しやすい国」になるにちがいありません。

 これが、アベノミクスによる成長戦略の柱として構想されている規制緩和の内容です。もしそうなったら、それでも自由競争の社会だと言えるのでしょうか。
 公正で自由な競争を失った社会は、経済成長に向けての推進力をも失うことになるでしょう。これまでの規制緩和によって生じた貧困化や格差の拡大、消費不況は、そのような害悪の初歩的な現れにすぎなかったのではないでしょうか。

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7月12日(金) 規制緩和をめぐる誤解と謬論 [規制緩和]

 昨日の『朝日新聞』に興味深い対論が掲載されていました。規制緩和について、「推進派」である山本哲三早大教授と、「慎重派」である松原隆一郎東大教授のお二人が、それぞれの立場から「規制緩和」について論ずるというものです。
 「推進派」の山本さんは「半永久的に取り組む体制を」と主張し、これに対して「慎重派」の松原さんは「技術革新への投資こそ必要」と反論しています。私は、基本的には「慎重派」ですので松原さんの側です。

 まず、「規制改革」そのものについてのとらえ方ですが、規制が多いとか、少ないとかという議論には意味がありません。必要な規制は行わなければならず、必要がないものや必要がなくなった規制は、緩和したり撤廃したりすればよいだけのことです。
 問題は、規制が多いか少ないかではなく、それが必要か必要でないかということです。それは、それぞれの規制について、個別具体的に判断されなければなりません。
 その点では、「規制緩和はまだ足りませんか」という問いへの「日本は規制がありすぎる。1万3千とか1万4千と言われる。数え方にもよるが、規制改革が進んでいる国は6千とか7千と言っている」という山本さんの答えも、「日本の規制は多すぎませんか」という松原さんへの問いも無意味です。そもそも、このような問いを発する記者の認識が根本的に間違っていると言わなければなりません。

 「日本の規制は多すぎませんか」という問いに、松原さんは「数だけ見れば増えているが、必要があるとされているからだ。分野によっては、日本より厳しい規制がある国はいくらでもある」と答えています。これは、必要があれば規制は多くてもかまわないという立場であり、私もそう思います。
 これに対して、山本さんは「規制は必要最小限にしないと、はつらつとした国民性が出てこない。市民のくらしに結びつく社会的な規制の緩和は慎重でなければいけないが、企業や産業に対する経済的な規制は原則なくしていい」と答えています。山本さんも、単純に規制はない方が良いという立場ではありません。
 「必要があるとされている」規制(松原)、「必要最小限」の規制(山本)は、残すべきだという点で、両者の立場は共通しています。山本さんも「市民のくらしに結びつく社会的な規制の緩和は慎重でなければいけない」と認めています。

 ここで違いが出てくるのは、「企業や産業に対する経済的な規制は原則なくしていい」という点です。山本さんは「電力や農業、医療、教育、公共交通など」の「族議員がいたり、官庁、業界、組合が強く抵抗したりする分野」の規制はなくすべきだと言うわけです。
 しかし、これらの分野は「市民のくらしに結びつ」かないのでしょうか。安価で安定した電力供給、安全な農産物を確実に提供できるような農業、国民の命と健康を守ることができるような医療、誰でもどこでも平等に高い水準の教育を受けられる権利の保障、儲け優先ではない安全で確実な輸送の確保などは、全て「市民のくらし」に直結するものではありませんか。
 これらの規制を「企業活動の妨げになっている」として緩和または撤廃しようとしているのが、アベノミクスの成長戦略です。これに対しても、松原さんは「規制緩和と成長の関係は明確ではない。小泉改革で景気はよくならなかった。緩和、緩和と言っている米国でも製造業はふるわない」と反論しています。

 以上の議論から確認できることは、「規制」をめぐる誤解と謬論の存在です。往々にしてマスコミはこのような謬論に陥りがちですが、「規制」は悪であり「規制緩和」は善であるという前提は成り立ちません。
 また、規制は少なければ少ないほどよいというのも、緩和に対する抵抗は全て「既得権益の擁護」だというのも大きな間違いです。その数の比較に意味はなく、必要な規制を行えば数は増え、必要なくなった規制を緩和すれば数は減ります。
 さらに、社会的規制と経済的規制を分けて、前者についての緩和は「慎重」でなければならないが、後者についてはなくしてもいいというのは暴論です。企業の経済活動は人々の暮らしや社会のあり方に深く関わっているからです。

 基本的に、規制とは国内市場、中小の企業、地方や地域、働く人びと、個々人の生活、健康、安全など、弱者を守るために設定されています。ですから、外国や多国籍企業、大企業、中央政府、経営者などの強者からすれば邪魔に見えます。
 強い経済力を持っているものからすれば、ビジネス・チャンスを阻害しているように見えるのが普通です。だからこそ、「企業活動の妨げになっている」として、その緩和が求められることになります。
 しかし、正しくは「強いもの」の妨げになっていると言うべきであり、逆に言えば「弱いもの」を守る防波堤になっている面もあるのです。規制緩和を進めた小泉構造改革が日本を弱肉強食の社会に変え、貧困化と格差の拡大をもたらしたのは、この側面を見逃したからではないでしょうか。

 今また、小泉構造改革と同じような過ちを繰り返そうとしているようです。このようなときだからこそ、過去の「規制緩和」論をきちんと検証し、「規制」をめぐる誤解と謬論を見極めることが必要になっているように思われます。

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5月8日(火) ツァーバス事故の「真犯人」は規制緩和を推し進めた小泉純一郎元首相と竹中平蔵だ [規制緩和]

 このところ、更新が途絶えてしまいました。連休中の阪神タイガースの成績が芳しくなかったからです。

 というのは冗談で、地元の「長房端午まつり」で焼き鳥を焼いたり、『法と民主主義』に掲載する予定の論攷を書いたり、5月13日(日)に上越市で行われる講演のレジュメを作ったり、何かと忙しかったからです。我が家の小さな庭を掘り起こして、花壇というか菜園のようなものを作ったりもしました。
 連休の前半は、村上雲雄君の別荘兼貸しギャラリー兼レストランの「木り香」を訪問したり、新潟の実家に帰ったりしていました。長い連休でしたが、結構、忙しかったというわけです。

 この間に、関越道で7人の方が亡くなるというツァーバスの大事故が起こりました。バス旅行や高速バスを良く利用する私としても、人ごとではありません。
 今回も、「木り香」から実家へ行く際、新潟駅から「頸城」のバス停まで高速バスに乗りました。長岡のジャンクションからは、事故を起こしたバスと逆の方向に走ったことになります。
 この事故の背景についてはさまざまな見方が可能ですが、根本的な問題は規制緩和によってツアーバスが急増し、過当競争となってコストダウンを強いられたことにあります。バスの運転手や会社の社長の責任は免れませんが、ある意味では、これらの人々も規制緩和の犠牲者であると言えるのではないでしょうか。

 ということからすれば、「真犯人」は小泉純一郎元首相やそのブレーンだった竹中平蔵さんだったと言えるでしょう。このような事故が充分に予想され、批判や反対があったにもかかわらず、それを無視して、遮二無二、規制緩和を推し進めたからです。
 国鉄の分割・民営化についても、同じようなことが言えます。コスト削減と収益増を最優先して安全対策がおろそかになった結果、JR西日本の福知山線で死者107人という大事故が起きたのですから。
 いずれも、新自由主義的な規制緩和や民営化によってもたらされた結果です。それを推進した中曽根元首相や小泉元首相の責任が厳しく問われなければなりません。

 このところ、かつての「改革」がもたらした結果がどのようなものであったのかが、色々な場面で明らかになってきています。「政治改革」も「構造改革」も、日本の政治と経済を大きく破壊してしまったのではないでしょうか。
 今また「一体改革」の名で消費税が増税されようとしていますが、これも日本の社会を破壊することになるにちがいありません。何せ、「二度あることは三度ある」と言いますから。

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12月22日(火) 「再規制」を明確にした労働者派遣法の改正が必要だ [規制緩和]

 労働政策審議会労働力需給制度部会が12月18日に開かれ、労働者派遣法改正の公益委員案が示されました。労働再規制に向けての第一歩だといってよいでしょう。

 法律の名称・目的に、「派遣労働者の保護」が明記されるといいます。事業法から保護法へと法の性格が変わった点は評価できます。
 短期の契約を繰り返す「日雇い派遣」については、2カ月以内の契約が禁止されました。派遣労働者の待遇についても、同種の業務に従事する派遣先労働者との「均衡を考慮する」規定が入っています。1人あたりの派遣料金の明示も義務付けられました。
 拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)の中で、私が「反転」を指摘してから、一年以上も経っています。ようやく、具体的な法改正という形で、「反転」が具体化することになりそうです。

 しかし、残念ながら、この「反転」は極めて慎ましやかなものだというべきでしょう。労働政策審議会において使用者側が激しく抵抗し、これに一部の公益委員が同調したため、麻生政権時代の野党3党(民主・社民・国民新)案より後退している面があるからです。
 たとえば、焦点の製造業派遣の禁止では、登録型ではない常用型については認める内容になっています。偽装請負や期間制限違反など違法派遣があった場合の「みなし雇用」についても、違法があったとき自動的に直接雇用になるのではなく、派遣先が派遣労働者に「労働契約を申し込んだものとみなす」とし、派遣労働者がこれを受け入れれば、派遣先に直接雇用され、派遣先が直接雇用を拒否した場合に、行政が勧告する形になっています。
 また、仕事がある時だけ働く「登録型」派遣について、現行法で例外扱いされている専門業務などを除いて禁止していますが、審議会では専門職の範囲を決めるところまで議論が深まらず、今後の検討課題としたそうです。これが「抜け穴」になる可能性もあります。

 とはいえ、これまでは派遣労働の拡大に向けて規制が緩和される方向でした。それに比べれば、労働政策が反転したことは明らかです。
 今後は、この公益委員の案を元に法案化が進められます。厚労省は改正法案をまとめて、来年の通常国会に提出するといいます。
 経済界はこのような法改正に反発しており、今後も曲折が予想されます。これ以上、悪くなるのを防ぎ、不十分な内容をさらに改善する方向で、とくに改正案作成の段階では社民党にがんばってもらいたいものです。
 改正法案が閣議で決定される前に、よりよい内容に変えることが重要です。その後、法案は国会に提出され審議されますが、この時点では、共産党にがんばっていただきたいと思います。
 与党案に対する批判や対案の提起は野党の役割ですが、自民党や公明党には期待できません。労働者派遣法の制定や規制緩和に反対し、その見直しに向けてもっとも徹底した立場を示してきた共産党の役割は大きいと言うべきでしょう。

 労働者派遣法改正に向けての公益委員案が出された18日(金)には、パナソニック(旧松下)プラズマディスプレイの偽装請負を告発して解雇された労働者に対する最高裁の判決も出されました。偽装請負については会社側に非があるとしたものの、派遣先との間に「黙示の労働契約」が成立しているとして地位を認めた昨年4月の大阪高裁判決は取り消されました。
 「派遣法の規定に違反していた」として偽装請負を認定し、直接雇用されてから不必要な作業を強いられ、雇い止めされたことについても、「申告に起因する不利益な取り扱い」だと指摘して違法行為の損害賠償を命じたにもかかわらず、会社の雇用者責任は否定されました。それを取り締まる法律がないからです。
 法の不備によって不正行為が罰せられなかったということになります。派遣法がどのような欠陥を持っているかをハッキリと示した判決だと言うべきでしょう。

 最高裁は、取り締まって欲しいなら法律を変えなさいと言っているのです。不正を許さないためには法の改正が必要だということなのです。
 11月の「働き方ネット大阪」の講演会でお会いした村田浩治弁護士は、裁判後の記者会見で「派遣契約なら派遣元に雇用責任があると形式的にとらえた判断。しかし偽装請負や違法行為を認めざるをえなかった」と指摘しています。「再規制」を明確にした労働者派遣法の改正によって、派遣元だけでなく、派遣先の雇用責任も問えるようにすることこそ、何よりも必要なことなのではないでしょうか。

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