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12月20日(火) 実証された野党共闘の弁証法的発展(その1) [論攷]

〔以下の論攷は、勤労者通信大学・通信の『知は力 基礎コース6』に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 はじめに

 「真理と見なされている考えAに全員が同意するなら、討論は成立しません。Aに反対するBやC、つまり反Aという対立物が出てきて、はじめて討論(運動)が始まります。Aと反Aの討論は、たがいに否定し、前提にしあいながら、また回り道や飛躍をともないながら進みます。そして、ついにはAでも反Aでもない、しかしAと反Aをより高いレベルでふくむような考え(真理)に到達します――これがまさに『弁証法』的討論にみられる真理追求の特徴です。」(50頁)
 これは、勤労者通信大学のテキスト『基礎コース』の第1章「ものの見方・考え方の基本」の中で、弁証法について説明している文章の一部分です。その見出しが「対話(討論)の特徴」とされているように、これは「真理追求」にむけての「対話(討論)」にかんする弁証法について述べられています。
 しかし、このような弁証法は日常の出来事や運動などを説明するうえでも有効です。それは、一般に「正→反→合」という形での発展を示します。ドイツ語では「テーゼ→アンチ・テーゼ→ジン・テーゼ」ということです。
 このような発展は、実は日本政治における野党共闘の歴史においても見出すことができます。それは統一戦線の弁証法にほかなりません。なぜ、そう言えるのでしょうか。それは、どのような形で「テーゼ→アンチ・テーゼ→ジン・テーゼ」という発展を示してきたのでしょうか。

 統一戦線の萌芽としての野党共闘

 勤労者通信大学のテキスト『基礎コース』には、統一戦線についての記述もあります。第5章「現代社会と社会変革」の中の「統一戦線による変革」という部分です。そこでは次のように説明されています。
 「階級的な立場の異なる多くの勢力が、共同の目標、共通の利害にもとづいて協力してつくる持続的な共同闘争の体制・組織が統一戦線です。現実の統一戦線は、異なる政治的理念や綱領を持つ諸政党、目的や性格を異にする諸団体、さまざまな考えをもつ諸個人の連合というかたちをとります。こうした統一戦線が結成されることによってはじめて、多数者による社会変革は可能になります。統一戦線こそが社会変革の推進力なのです。」(314~316頁)
 このような統一戦線は、共産党がオブザーバーとして参加した安保共闘を別にして結成されたことはありません。「階級的な立場の異なる多くの勢力が、共同の目標、共通の利害にもとづいて協力」することはありましたが、個々の運動課題や選挙での勝利を目的とした一時的なもので、「持続的な共同闘争の体制・組織」というわけではなかったからです。
 ある程度、持続的な政党間の共同もありましたが、それは革新自治体の母体となった「明るい革新都政を作る会」など自治体レベルのものでした。ただし、国政選挙でも参院沖縄選挙区での革新共闘会議などの例外はあり、それは「オール沖縄の会」などの形で独自の発展を遂げています。
 テキストの「日本における統一戦線の展望」でも、「政党の共闘は、かつては、社会党、共産党の共闘を軸におこなわれ、革新自治体の経験からもわかるように、重要な意味を持つことはいうまでもありません」(316頁)と指摘されています。この時点での共闘は統一戦線の萌芽的な形態として始まっていました。これが、弁証法で言えば「テーゼ」の段階です。
 しかし、その後、大きな転機が訪れます。1980年1月に社会党は公明党と「日本共産党排除」を明記した政治合意を結びます。これが「社公合意」と言われる統一戦線の分断であり、「アンチ・テーゼ」の始まりです。こうして、「共同の意志のある政党、団体、個人などすべてを結集する努力」が追求されることになり、その結集母体として「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)」が結成されます。
 それから35年の歳月が流れ、この間にも様々な課題やレベルで共同の取り組みがなされました。野党間の選挙共闘もありましたが、それは主として社公民共闘など「共産党を除く」ことを目的としたものでした。そして、昨年の安保法案反対運動の沸騰の中から、ついに野党共闘における「ジン・テーゼ」とも言える動きが芽生えることになります。

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