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10月30日(金) 第3次安倍改造内閣―新3本の矢で目くらまし 新「富国強兵」政策を画策 [論攷]

〔以下の論攷は、『全国商工新聞』第3189号、10月26日付、に掲載されたものです。〕

 第3次(大惨事)安倍改造内閣が発足しました。一言で言って「意味不明」内閣です。その翌日の日経平均株価は181円下がって1万8141円になりました。新内閣発足に対する市場の反応は冷たいものでした。
 それもそうでしょう。最初から、期待されることを期待していないような顔ぶれですから。安倍首相は来年7月の参院選まで持てば良いと考えているのかもしれません。しかし、このような「お友達」ばかりをかき集めた陣容で参院選を乗り切れるのでしょうか。

 安倍首相は9月の自民党総裁選で再選され、党の役員と閣僚を変えて人身を一新させたいと思ったのでしょう。しかし、「無理に人事をやるタイミングではなかった」(10月8日付『朝日新聞』)という政府高官の声が伝えられているように、どうしてもやらなければならなかったわけではありません。
 事実、改造は小規模にとどまり、閣僚と自民党役員計24人のうち交代したのは10人にすぎません。しかも、主要閣僚の「幹」はほとんど残留し、代わったのは「枝葉」ですから、なぜ今やるのかが「意味不明」な改造だったということになります。
 新しい閣僚の顔ぶれもパッとしません。注目されるのは行革担当相になった河野太郎さんですが、さっそく反原発という主張を引っ込めようとしています。
 もう一人「目玉」とされているのが加藤勝信さんで「一億総活躍社会」の実現を担当するそうですが、これこそ「意味不明」の最たるものです。
 安倍首相は「自民党は人材の宝庫だ」と言っていますが、それならどんどん交代させればいいじゃありませんか。
 しかし、実際には、そうはいきません。政治資金面で問題のない自民党議員はほとんどいず、第2次改造内閣で3人の閣僚が辞任したように危なくて使えない人ばかりだからです。
 それでも改造を行ったのは、70人を超える「入閣待望組」を減らすだけでなく、戦争法案反対闘争で高まった「アベ政治」への反発を和らげたいという狙いがあったからです。そのために、突然「一億総活躍社会」というスローガンと「強い経済」「子育て支援」「社会保障」という「新3本の矢」を打ち出しました。
 そこには二つの「目くらまし」が意図されていたように見えます。その一つは、60年安保闘争後、所得倍増政策によって国民の支持を回復した池田内閣をまねた「目くらまし」であり、もう一つは、新しい「3本の矢」を示すことでアベノミクスの失敗から国民の目をそらすという「目くらまし」です。

 しかし、「一億総活躍」とは言っても、実際には日本の人口は1億2685万人ですし、それを十羽ひとからげに「活躍」させようというのは余計なお世話で、何が「活躍」なのかも不明です。2020年頃までに国内総生産(GDP)600兆円、20年代半ばに希望出生率1.8、20年代初頭に介護離職ゼロという目標はいずれも「絵に描いた餅」で現実離れしたものです。「的」が遠すぎて「矢」は届きません。
 第2次改造内閣で打ち出した「地方創生」や「女性の活躍推進」はどうなったのでしょうか。これが古臭くなったから「一億総活躍」というラベルに張り替えて目新しさを出そうとしただけではないでしょうか。
 しかも、達成年次は安倍首相の任期を越えています。目先を変えて期待を持たせ、来年の参院選さえ乗り切れば達成されなくても良いと思っているのかもしれません。
 国民も甘く見られたものです。アベノミクスの「3本の矢」で騙したうえに「新3本の矢」でもう一度、騙そうというわけですから。このような目論見を許してはなりません。「アベノミクス第2ステージ」は、経済成長によって得られた富を軍事力増強へとつぎ込む、新「富国強兵」政策の「第2ステージ」にほかならないのですから。

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10月26日(月) 共産党議席倍増で政治的地殻変動を予感させた宮城県議選 [選挙]

 地方でも、政治的な地殻変動が起きているのではないか。そう、予感させるような選挙結果でした。
 注目の宮城県議選で、共産党が現有4から8へと議席を倍増させたからです。宮城県では8月の仙台市議選でも共産党が5選挙区中3選挙区でトップ当選し、得票率を3ポイント余り伸ばしましたが、その勢いはさらに増しているようです。

 自民党は、石巻・牡鹿選挙区や加美選挙区で現職が落選しました。選挙前から4議席減らして27議席となって無所属の推薦候補2人を加えても過半数の30議席には届きませんでした。
 民主党は選挙前から2議席減らして5議席です。公明党は、選挙前と同じ4議席で、維新の党は選挙前から1議席減らして1議席、社民党は選挙前から3議席減らして1議席、日本を元気にする会は議席を獲得できませんでした。
 他方、共産党は仙台市内の5選挙区全てに候補をたてるなど9人を擁立し、市内5選挙区すべてで当選しました。これまで議席のなかった、米どころとされている大崎選挙区でも新人が当選しています。

 政党で議席を増やしたのは共産党だけです。自民・民主・維新・社民の各党は議席を減らしました。
 今日の日本政治における民意のあり方が、この結果に象徴されているように見えます。最も民意に沿った政策を掲げ、主張を行っている政党が支持されたということにほかなりません。
 政策課題で言えば、安保法制とTPP(環太平洋経済連携協定)の二つが大きな争点となったのではないでしょうか。前者は仙台市議選での共産党躍進の追い風となり、今回の選挙直前に基本合意された後者は、さらにその追い風を強める結果になったように見えます。

 同様の風は、他の地方でも吹いているのではないでしょうか。それは同じような政治的地殻変動を引き起こす可能性を秘めています。
 その風を受けて大きく前進するための帆を張らなければなりません。政治的な地殻変動を政治勢力の分布の変化に結びつける必要があります。
 そのために何ができるかが、とりわけ野党には問われることになるでしょう。対応を間違えれば民意によって見放されてしまうのだということを、今回の選挙で議席を減らした政党は学ばなければなりません。

 これからの地方選挙でも同様の風を吹かせ、来年の参院選まで持続させることが課題です。「アベ政治」の暴走をストップさせるという明確な方向を示すことでしか、その風を受けて前進することはできないでしょう。
 野党は手を結んで大きな帆を張ってもらいたいものです。そうしなければ、せっかくの風もただ頭の上を通り過ぎてしまうでしょうから……。

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10月25日(日) 戦争法案とのたたかいと政治変革の展望 [論攷]

〔以下の論攷は、9月26日の東京革新懇世話人会・学習交流会での講演を記録したもので、『東京革新懇ニュース』第406号、2015年10月5日号、に掲載されました。〕

 戦争法とのたたかいは、試合に負けたが勝負には勝った。決着は次の参院選、解散・総選挙でつける。国民の民主主義的覚醒―政治変革の必要性と決意、主体形成が促された。パンドラの箱に残った希望は民の声―それを国民連合政府樹立の力とするのが課題だ。

Ⅰ.国会での審議・採決を通じて何が明らかになったのか

 立憲主義・平和主義・民主主義が破壊されたのが、国民に明瞭に見えた。特に、立憲主義を変えることは許されないと、日常会話に立憲主義が出てくるようになった。
 民意は、「法案反対」51%(「朝日」)、「憲法に違反」60%(「毎日」)、「論議尽くされてない」75%(「朝日」)、「説明不十分」82%(「読売」)だ。

Ⅱ.戦争法案とのたたかいで何が明らかになったのか

 強く打てば強く響く―攻撃への反発や抵抗が生まれた。広範な人々が立ち上がり、全国2000ヶ所以上で数千回の抗議、累計130万人以上が路上で抗議した。相次いで新しい組織が結成され、労組など既成の組織は裏方に回って運動を支えた。

 デモの復権

 原発再稼働反対、秘密保護法制定阻止、戦争法案反対とデモの再生と拡大があった。デモの形態も多様で、「わたし」が主語で自分の言葉で話し、心を打つ内容だった。
 産経・フジ調査でデモ参加は3.4%(20歳以上で356万人)、「今後参加したい」18.3%。

 獲得された大衆運動の「新しい質」

 3つの潮流が合流し総がかり行動実行委員会を形成、市民運動を仲立ちとした連合系と全労連系の連携ができた。
 青年・学生参加の背景は貧困と不安であり、かつては「他者」のためだったが、今は「平和で安全な社会にしていく」「自己」のために立ちあがった。
 高齢者と若者、組織と個人、地方・地域と国会周辺のコラボ、土台と上部構造の関係だった。運動の武器としてのSNSが力を発揮した。

Ⅲ.政治変革・国民連合政府の樹立に向けて

 万余の人々への連夜の行動は政治教育となった。「戦争法案今すぐ廃案」から「安倍内閣は今すぐ退陣」へ倒閣運動へと転化した。持続的な運動による世論の変化、裁判闘争、選挙での落選運動がめざされる。
 共産党提案の国民連合政府は、入閣は条件にしていず戦争法廃止一点での共闘だ。国民の願いを優先させるか、党利党略に走って第2自民党になるかリトマス試験紙となる。
 解散・総選挙を要求しつつ参院選でネジレをつくり、衆院選で政権交代、暫定政府の樹立めざす。

 参院選での選挙協力がポイント

 参院選での1人区対策が重要で、民主・維新・共産・社民・生活の5党による選挙協力が出来るか問われる。与野党差は28で14議席覆せば逆転する。総議席の賛成派は148で反対派は90、改選の賛成派は65で反対派は56だ。
 しかし、民主党には、日本会議所属の長島昭久、原口一博、前原誠司、松原仁等がいる。

 今後の対決の焦点と条件

 カギを握るのは民主党だ。「右のドアを閉めて左のドアを開けよ」でなければ、民主党政権で「裏切られた」との国民の思いは払拭できない。
 上部だけでなく土台が変わり始め、本格的な政権交代の準備が始まっている。上からの風頼みの交代ではなく下からの草の根の力による交代へへ。

むすび

 「反共主義」では国民の期待に応えられない。
 気分としての「反自民」、政策としての「半自民」との中途半端さを克服し、安倍政権に対する対抗と政策転換の方向性を明確にする必要がある。
 この間の運動で培われた協力・共同の経験を生かして、草の根の地域から国会内や国政に至るまでの幅広い共闘を構築し、安倍首相の退陣を実現して政治を変えていくこと――これこそが安倍首相による「政治的プレゼント」を最大限に活用する道にほかならない。

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10月21日(水) 統一こそ、明日への希望 [政党]

 先日の10月18日に八王子駅頭で街頭演説をしたことは、前回のブログにも書きました。その時、私は野党の共同と連携を求め、「統一こそ、明日への希望」だと訴えました。
 この思いは、以前から一貫しています。共産党が提唱した国民連合政府の構想は、このような「統一」の一つのあり方であり、その実現を強く望んでいます。

 この共産党の提唱以来、マスコミもかつてなく大きな注目を寄せてきました。『東京新聞』だけでなく『朝日新聞』や『毎日新聞』もこの提唱に注目し、志位委員長のインタビューなどをたびたび掲載しています。
 たとえば、『朝日新聞』は10月12日の社説で「共産党が提唱する『国民連合政府』構想」にも言及し、「自民、公明の与党体制に代わりうる政権の選択肢づくりを掲げ、大きな目的に向け結集を図るべきだ」「批判をおそれるあまりにまとまることができなければ政権を利するだけだ」と主張しています。
 これは、「統一」への呼びかけにほかなりません。野党、とりわけ第1党の民主党はこの呼びかけに応えて「大きな目的に向け結集を図る」かどうか、「批判をおそれるあまりにまとまることができ」ず、「政権を利する」ような過ちを犯すかどうかが問われています。

 このような「国民連合政府」を実現するためには、野党間での選挙協力が不可欠です。とりわけ、来年夏の参院選の1人区での野党協力が決定的なカギを握ることになるでしょう。
 このような選挙協力について世論調査が行われていますが、このようなテーマでの調査自体が異例でかつてないことです。JNNの調査では「期待する」が37%、『毎日新聞』の調査では「選挙協力すべき」が38%、『朝日新聞』10月20日付の報道では「協力すべきだ」が48%となりました。
 調査のたびに増えていること、直近の朝日の調査では半数近くになっていることが注目されます。この時の自民党の支持率は35%ですから、野党協力への期待はこれを上回る「第1党」になりました。

 驚いたのは、『毎日新聞』10月14日付の5面です。ここには「共産 政権批判結集狙う」という記事と志位共産党委員長の写真が出ていてインタビューが掲載されていただけでなく、末尾に「詳報は15日の夕刊に掲載する予定です」と書かれていました。
 これは翌日の夕刊に掲載されるインタビューの「予告記事」になっていたのです。「予告」通り、翌日の『毎日新聞』10月15日付夕刊の「特集ワイド」には、「『連合政府』は国民が主人公の一大壮挙」というインタビュー記事が報じられていました。
 こんなことが今までにあったでしょうか。『朝日新聞』10月16日付朝刊も、一面に「共産、日米安保容認も」という記事が出ているだけでなく、3面にも「共産、野党結集へ動く」という記事が出ています。同じ新聞の朝刊の1面と3面に登場したわけで、これもかつてないことでした。

 共産党の「国民連合政府」構想が、それだけ大きな注目を集めているということの証左です。野党結集への国民の期待が高まっていることの反映であり、マスコミにとってもニュースバリューが高いと判断されていることになります。
 新聞だけではありません。今発売中の『サンデー毎日』にも志位共産党委員長のインタビューが掲載されており、「安倍政権打倒の『本気度』」「『国民連合政府』は野合ではない!」「『各野党』覚悟はあるか」「共産党史上初『政策凍結』も辞せず」という見出しが躍っています。
 長い間、「共産党を除く」という政党状況が続いていたことを知っている私とすれば、信じられないほどの様変わりです。昔は新聞記事のどこを覗いてみても、除かれた共産党の記事は見つからなかったのですから……。

 このような形で統一戦線の形成が日本で具体化するようになるとは、誠に感慨無量です。というのは、私の法政大学大学院での修士論文の表題は「コミンテルン初期における統一選政策の形成」というもので、「統一戦線の形成」は研究生活をスタートさせた初めから追い続けてきたテーマだからです。
 その後も、拙著『概説 現代政治』(法律文化社)の「あとがき」で「『反共』でも『反党分子』の排除でもなく、『大左翼』の結集によって『左翼的空間』を拡大し、保守政治に対抗し得る新しい政治勢力を作り出すこと」が必要だと書き、「日本共産党の力と政策をその構成部分とする『大左翼』の結集」を求めてきました。また、今年の6月6~7日に石和温泉で開かれた三多摩革新懇の合宿での講演「安倍暴走内閣と政治革新の展望」でも、政治革新の核となるのは「民共合作」で民主党と共産党との連携と協力、社民党や新社会党、生活の党などの参加が必要であること、「コンクリート」としての民主党だけでなく「鉄筋」としての共産党が加わる「鉄筋コンクリート」制の民主的政府の樹立を展望して民主党の解党的な出直しと共産党の柔軟な対応が求められることを強調しました。
 このように、統一戦線の形成は、いわば私の生涯をかけた目標であったわけです。しかし、もう法政大学を退職していますから、それは結局「見果てぬ夢」に終わるのではないかと思い始めた矢先での新たな展開でした。

 もちろん、いま提唱されているのは保守政治に対抗しうる「大左翼」の結集ではなく、「アベ政治を許さない」保守勢力をも結集した幅広い「国民連合」を目指すものです。それは戦争法廃止という「一点」での統一で、「戦線」というほどの広がりを持っていません。
 しかし、「アベ政治」の害悪は日本の政治と国民生活の奥深くまで及んでいます。原発再稼働、TPP参加、消費税再引き上げ、辺野古での新基地建設、社会保障の切り下げなど、個々の政治的争点での「共同」も拡大してきています。
 将来的には、これらの「共同」を糾合して幅広い戦線へと拡大していく可能性も十分にあります。そのスタートがいま切られようとしているのです。

 生涯をかけて追い求めてきた統一戦線の結成を、「見果てぬ夢」に終わらせたくはありません。残されたこれからの人生を、その実現に捧げたいと思います。
 「統一こそ、明日への希望」なのですから……。

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10月19日(月) 成立から1ヵ月に際し改めて戦争法廃止の決意を固めよう [戦争立法]

 あれから1ヵ月が経ちました。安倍内閣の暴走によって戦争法が成立したあの時から……。
 国会最終盤には、私も連日、国会前の抗議行動に出かけました。「雨にも負けず、安倍にも負けず」をモットーに……。

 昨日、渋谷でSEALDsの宣伝行動がありました。私の住む八王子でもJR八王子駅の北口前で宣伝行動が行われ、800人が参加しています。
 私も宣伝カーの上から訴えさせていただきました。この様子が、今日の『しんぶん赤旗』の対抗社会面と『東京新聞』の「多摩」版に掲載されています。
 前者では「法政大学大原社会問題研究所の五十嵐仁名誉研究員は『バングラデシュで日本人男性がテロ組織を名乗る団体に殺害された。戦争法のリスクと害悪はすでに現実のものだ。一刻も早く廃止し、日本人の安全を守れ』と語りました」と書かれ、後者では「中学生や学者、神主らが安保法に反対する考えなどを訴え」と報じられました。今晩の国会正門前での集会にも、参加するつもりです。

 昨日の渋谷での街宣活動には、野党5党の国会議員も参加してあいさつしたと報じられています。「野党は共闘」コールが巻き起こったそうですが、それも当然でしょう。
 八王子での宣伝・アピール活動でも、民主党・共産党・社民党の国会議員のメッセージを市議会議員や都議会議員が代読しました。市議会議員では、生活者ネットや維新の党(集会には間に合いませんでしたが)などからの参加もありました。
 立憲主義が危機に瀕し、法治国家としてのあり方が問われるという緊急事態です。あの党は嫌いだとか好きだとか言っていられる状況ではないということを自覚し、協力してもらいたいものです。

 昨日のブログ「第3次安倍改造内閣は『大惨事不安倍増』内閣ではないのか」で、新任閣僚のスキャンダルについて書きました。また1人、追加すべき人が現れたようです。
 新聞などの報道によれば、島尻安伊子沖縄担当相が自身の顔写真入りで氏名が書かれたカレンダーを配布していたことが、ホームページのブログから分かったといいます。選挙区内で有権者に配布していた場合は公職選挙法違反(寄付行為の禁止)に抵触する可能性があります。
 公選法の寄付の禁止をめぐっては、松島みどり元法相が選挙区内でうちわを配布して公選法違反の疑いが持たれ、引責辞任した例があります。これとよく似たケースになるわけですが、島尻さんはどう対応するのでしょうか。

 他方、安倍首相は神奈川県の相模湾沖で行われた自衛隊観艦式での訓示で、安全保障関連法の成立を踏まえて「平和は自らの手で勝ち取るものだ」と述べ、「諸君にはさらなる任務を果たしてもらいたい」と訴えました。「武力による平和」のために自衛隊を活用するというわけです。
 観艦式には自衛隊の艦艇36隻、航空機37機が参加し、外国艦艇では韓国軍が初めて加わったほか、米国、オーストラリア、インド、フランスの軍艦が参加しました。安倍首相は式典後に米海軍横須賀基地に配備された米原子力空母ロナルド・レーガンを視察し、艦載機にも搭乗しています。現職の首相が米空母に乗艦するのは初めてのことになります。
 安倍首相のこの日の言動は、安保関連法がまさに戦争準備のための法律であることを明瞭に示すものです。国民から誤解を受けることを避けるような配慮などはそっちのけで、意気揚々と軍事力を誇示し、日米軍事同盟の強化を目指す姿勢をあからさまにするものでした。

 戦争法成立1ヵ月後の今、安倍首相は国民の反対と批判を無視してさらなる暴走を続ける姿勢を示したことになります。それをストップさせて戦争法を廃止するために、これからも粘り強く運動を続けるという決意を、私たちも改めて固めようではありませんか。

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10月18日(日) 第3次安倍改造内閣は「大惨事不安倍増」内閣ではないのか [内閣]

 第3次は「大惨事」で、安倍は「不安倍増」ではないのでしょうか。使い古されたギャグですが、今度の改造内閣こそ、それが最も当てはまるような気がします。
 10月8日付の「第3次安倍『意味不明』内閣の発足」というブログで、私は「最初から、期待されることを期待していないような顔ぶれ」だと書き、「危なくて使えない人ばかり」だから多くは交代させられないのだと指摘しました。どうやら、これが証明されそうです。

 今週発売の『週刊文春』には、「ああ『一億総活躍』という名の的外れ」という見出しが躍り、「『パンツ泥棒』の常習犯!高木毅復興大臣」「新政権の目玉河野太郎 脱原発はどうした?」「紅の新大臣丸川珠代がすがる『パワーストーン』」「馳浩文科相 本紙だけが掴んだ献金疑惑!」などの記事が続いています。また、『週刊新潮』でも、「『下着ドロボー』が『大臣閣下』にご出世で『高木毅』復興相の資質」「『暴力団』事務所に出入りの過去がある株成金の『森山裕』農水相」などと新閣僚のスキャンダルが報じられています。
 今回の改造で交代したのは、自民党の主要役員と内閣の閣僚24人のうちの10人にすぎませんでした。そのうちの高木、河野、丸川、馳、森山の5人が登場しています。
 なかでも、高木、馳、森山の3大臣については、その資質が問われるような重大な問題点が指摘されています。たった9人の新入閣大臣なのに、どうしてこのような「危なくて使えない」人ばかりを使ってしまったのでしょうか。

 この両誌に共通して登場しているのが高木復興相です。しかも、その内容は口にするのも書くのもおぞましいようなスキャンダルでした。
 高木さんは16日午前、これらの報道について記者団から首相官邸で事実関係を問われ、「今日はそういった場所ではございませんので、お答えを控えさせて頂く」と述べ、明確な答えを避けたそうです。事実無根なら、きちんと否定するべきでしょう。
 否定しなかったということは、約30年前に地元の福井県敦賀市で当時20代女性の自宅に合鍵を作って侵入し下着を盗んだと報じられている内容が正しいということなのでしょうか。「そういった場所」でなかったから答えなかったというのであれば、新ためて「そういった場所」を設けて事実関係を明らかにするべきです。

 また、森山農水相は「指名停止業者からの献金」と「暴力団交遊」という二重の疑惑を報じられています。政治資金疑惑という点では、前内閣で辞任した西川公也農水相と同じです。
 西川さんは辞任して責任を取りました。森山さんはどうするのでしょうか。
 これに加えて、暴力団との交際も疑われています。イエローカード2枚ですからレッドカードと同じで、責任を取って退場するべきです。

 このほか、『週刊文春』に「本誌だけが掴んだ献金疑惑」を報じられた馳文科相も、この疑惑について真相を明らかにするべきでしょう。そもそも、雑誌の対談で「体罰自慢」をしていたプロレスラー(馳大臣)とヤンキー先生(義家浩介副大臣)がタッグを組んで教育行政を担当するというのが間違いなのです。
 雑誌『正論』2008年6月号で、義家さんは「いじめの指導で放課後4時間教室から(生徒を)出さなかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました」と発言し、馳さんも「私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ」と答えています。文科省就任後、馳さんはこのような過去の体罰について謝罪しましたが、義家さんは4時間も生徒を閉じ込めたことについて謝罪したのでしょうか。
 このような「指導」は教育とは言えません。こんな大臣や副大臣に教育行政を担当させて良いのでしょうか。

 「一億総活躍」という「新3本の矢」も「的外れ」ですが、このような不適格者ばかりを入閣させた閣僚人事も「的外れ」そのものです。第3次改造内閣が「大惨事」を引き起こさないうちに、とっとと倒さないと大変なことになるでしょう。

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10月15日(木) 自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか(その4) [論攷]

〔以下の論攷は、岩波書店発行の雑誌『世界』10月号に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

4 自民党の危機

 内外政策における破たん

 九〇年代初めのバブル崩壊によって右肩上がりの時代は終焉した。その後の新自由主義の台頭、貧困化と格差の拡大などによって、日本社会は新たな困難に直面するに至った。しかし、自民党はもはやこれらの問題を解決する能力を持たない。
 安倍政権は地方創生、女性の活躍推進、少子化対策などを政権の「目玉政策」として掲げている。これらはこれまでの自民党政治の結果として対応せざるを得なくなった矛盾ばかりである。しかも、地方創生とTPP参加や農業改革、女性進出と非正規化推進の「生涯ハケン」法案(労働者派遣法の改定)、少子化と「残業ゼロ」法案(労働基準法の改定)など、打ち出された政策は相互に矛盾している。自民党が政策的な問題解決能力を失っている一例にほかならない。
 アベノミクスも破綻しつつあるが、その「成長戦略」の柱には、医療や武器輸出も据えられている。病気にせよ戦争にせよ、「人の不幸」を食いものにして経済成長を図ろうという「戦略」である。このような発想そのものが根本的に間違っている。
 外交・安全保障政策においては「周回遅れの対米従属」路線を選択しようとしている。「海外で戦争する国」になって米軍を補完ないし肩代わりすることは、米国の力の衰退、日本への軍事分担要求の増大、国際的な役割発揮への意欲などを背景としているが、それは失敗した「アメリカの道」の後追いにすぎない。
 安倍首相に近い米国内のカウンター・パートナーは共和党ですらない。その内部にある極右勢力のティーパーティー(茶会)である。当初、民主党リベラル派のオバマ大統領が安倍首相に対して警戒感を抱いたのは、このような勢力との親近性のゆえであった。
 このような警戒感は安倍首相の靖国神社参拝によって強められ、それを払しょくして米国に取り入るために、TPPや軍事分担などの面での対日要求を受け入れざるを得なくなった。その結果、日本をアメリカの多国籍企業の市場として開放し、日本の自衛隊を米軍の補完部隊として提供しようとしている。
 安全保障法制は米国の要求への屈服であり、二〇一二年夏に発表された「第三次アーミテージ・ナイ・レポート」への「満額回答」であった。周辺諸国との和解と友好関係の構築にとっての最大の障害は安倍首相自身だというジレンマもある。これこそ対外政策の破綻を示す象徴的な事例にほかならない。

 安倍首相の誤算

 安倍首相が陥っているジレンマはこれにとどまらない。保守本流路線からの転換が引き起こした誤算によって、自民党は危機に直面することになった。
 第一に、明文改憲路線を打ち出して憲法が政治的争点の中心に座ることになったため、現行憲法や九条の意義、立憲主義の意味などについて改めて国民の理解が深まった。その結果、安倍首相は当初めざしていた九六条改憲を断念し、集団的自衛権の行使容認についても九条改憲への直進ではなく閣議決定による解釈改憲と安全保障法制による立法改憲を先行させるという形で戦術転換を余儀なくされた。
 第二に、政治主義路線への転換によって対立が深まり、安保闘争時と同様に国論が二分されることになったため、政治的覚醒と民主主義の活性化が生じ、安保闘争に似た状況が生まれた。量的な規模では及ばないとはいえ、組織的動員ではなくSNSなどの通信手段を駆使して個人が自主的自発的に参加し、若者や母親、学者や学生などの幅広い階層が加わり、地方や地域でも議会での決議やデモが広がるなど、運動は新たな人々に広がりを見せている。
 第三に、合意漸進路線の放棄によって与野党対立が深まったため、国政に緊張感が生じて国会審議が活性化するとともに、民主党が元気になり、共産党への支持が増えている。とりわけ、総選挙など各種選挙で共産党の議席や得票が増えている。安倍政権の強硬急進路線による治的受益者が共産党であるという点は、安倍首相にとって誤算であるにちがいない。
 以上のような変貌の結果、表面的な「一強多弱」とは裏腹に自民党は危機に陥ることになった。
逆に、野党は政治的な資産を蓄えつつある。いわば安倍首相による「政治的プレゼント」と言える。
 しかし、それが現段階では政党支持率のはっきりとした変動、とりわけ野党に対する支持率の増大に結びついているわけではないことに留意しなければならない。民主党再生への道は険しく、維新の党は分裂寸前で、第三極諸党に対する不信感も払しょくされていない。
 この間に蓄えた政治的資産を最大限に生かし、政権批判の受け皿という新たな選択肢を提供することが今後の課題であろう。そのためには、気分としての「反自民」、政策としての「半自民」というような立ち位置と政策の中途半端さを克服し、来年の参院選をも展望しつつ安倍政権に対する対抗と政策転換の方向性を明確にする必要がある。
 この間の安全保障法制に対する反対運動で培われた協力・共同の経験を生かして、草の根の地域から国会内や国政に至るまでの幅広い共闘を構築し、安倍首相の退陣を実現して政治を変えていくこと――これこそが安倍首相による「政治的プレゼント」を最大限に活用する道にほかならない。

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10月14日(水) 自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか(その3) [論攷]

〔以下の論攷は、岩波書店発行の雑誌『世界』10月号に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

3 「統治政党」としての能力の喪失

 「本流」となった旧保守傍流路線

 このようにして、旧保守傍流路線は自民党内での正統性を確立し、今日では「本流」となっている。派閥の系譜から言えば、その転換点は森喜朗政権の成立だが、政策内容や政治手法の点では、その後の小泉政権が画期だったと思われる。小泉政権のもとで自民党内におけるヘゲモニーが大きく転換し、現在の安倍政権において決定的となった。
 第一に、旧保守本流の政治路線の特徴であった解釈改憲路線は、明文改憲と実質(立法)改憲をも含み込んだ総合的な改憲路線に転換した。安倍政権は閣議決定によって集団的自衛権の行使容認についての解釈を変更し、将来の九条改憲を展望しつつ安全保障法制の整備という立法によって実質的な改憲を行おうとしている。
 第二に、経済主義路線も政治主義路線に席を譲った。経済優先の政策によって政治的な対立を避け利益誘導などを通じて政治を運営するというやり方から、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加、特定秘密保護法や安全保障法制など、与野党間だけでなく与党内に対立と抵抗を生み出すような政治課題を正面からかかげることに躊躇しなくなったからである。
 第三に、対米協調路線は対米従属路線へと変質した。とりわけ、アメリカからの軍事的要求に対しては、憲法上の制約を盾に一定の抵抗を示してきた「保守本流・ハト派・吉田」の流れとは異なり、その憲法上の制約自体を取り払って全面的に受け入れようとしている。「協調」から「従属」への転換は、「右翼の民族主義者」だったはずの安倍首相によって完成されつつある。
 さらに第四に、政治手法としての合意漸進路線などは見る影もない。野党はもとより国民との合意は最初から問題とされず、独善的で強権的な政治運営が際立っている。国民の批判と反発は安全保障法制の内容だけではなく、初めに「結論ありき」で聞く耳を持たず、断定的な口調で異論を封じる唯我独尊的な手法や民意を無視した強引で拙速な国会運営に対しても向けられている。
 こうして、自民党内では本流とされてきた穏健保守=プラグマチストから急進極右=リビジョニストへのヘゲモニーの転換が生じた。それは現行憲法を前提とする現実的な対応から憲法体制の修正による「戦後レジームの脱却」、より正確には「戦前レジームの開始」を意味することになるだろう。

 部分政党への変貌と小選挙区制の害悪

 以上のように、リベラル派の離脱によって旧保守傍流政権がヘゲモニーを確立した結果、軍事大国化、右傾化、新自由主義化が進んできた。それに伴って自民党は国民的合意を調達する能力を失い、民意から乖離し、社会の右側に集まっている一部の民意を代表するだけの部分政党に変貌してしまった。
 自民党内でさえ影の存在であった安倍首相とその仲間たちが政権を担当できる理由がここにある。安倍政権の閣僚・党役員では、日本会議(日本会議国会議員懇談会)、神政連(神道政治連盟国会議員懇談会)、みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会などの超タカ派で極右改憲勢力に属する議員が大半を占めている。なかには、在特会(在日特権を許さない市民の会)やネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」と親和的な人物もいる。
 このように、一部の民意を代表するにすぎない部分政党が政権を担当できるのはどうしてなのか。その部分政党で、「官邸支配」とも言うべき強権体制が生み出されたのはなぜか。そのカラクリは小選挙区制という選挙制度とその政治的効果にある。
 第一に、小選挙区制は少数を多数に変えてしまう「ふくらまし粉」効果を持っている。昨年の総選挙で、自民党の絶対得票率(有権者内での得票割合)は、小選挙区で二四・五%、比例代表で一七・〇%にすぎなかった。自民党が代表する「一部の民意」とは、正確に言えば、有権者の四分の一から六分の一ほどにすぎない。それなのに「虚構の多数派」を形成できるのは小選挙区制のカラクリによる。
 しかも第二に、小選挙区制は公認権を握る執行部の力を強大にした。大政党に有利で、公認されればほぼ当確が決まってしまうからである。しかも、「抵抗勢力」になれば「刺客」という対立候補が立てられ、国会から放逐されるという実例が小泉政権時代の「郵政選挙」によって示された。異論が表面化しない「大政翼賛会的」な構造を支えているのは、このような小選挙区制の政治的効果なのである。
 第三に、その結果、自民党は党内での緊張感を弱め、地域や地方での手足を失うことになった。派閥の力が弱まって集権化が進み、二世議員や三世議員が増え、選挙区との日常的なつながりが薄まった。派閥の新人発掘機能や議員への教育・訓練機能も失われ、若い候補者が政治家として鍛えられるチャンスが減った。その結果、「こんな人が」と思われるような不適格者も国会議員になってしまう。

 国民統合に向けての工作と「虚構」の崩壊

 こうして、部分政党となった自民党は政権政党としての合意形成能力や統治能力を弱体化させた。それを補うために用いられている手段が、第一にマスコミへの介入による情報操作であり、第二に対外的危機感の醸成であり、第三に排外主義や愛国心などのイデオロギー支配の強化である。
 特定秘密保護法やマスコミ工作によって情報が左右され、北朝鮮の核開発やミサイル実験、中国の海洋進出や軍事費の増大などが喧伝され、教科書の採択や教育内容への介入などによって、真実を隠蔽して政権への求心力を高めようとしている。
 しかし、このような国民統合に向けての工作にもかかわらず、少数支配の「虚構」が崩れ始めた。小選挙区制のカラクリによって隠されていた本当の民意が、集会やデモ、世論調査での反対の多さや内閣支持率の低下という形で、はっきりと目に見えるようになってきている。「虚構」に対する「実像」の可視化である。
 国会での自公両党の多数議席は小選挙区制が生み出した「虚構」の上に築かれた「砂上の楼閣」にすぎない。安倍首相がこの「虚構」を頼みに民意に反する強権的な行動に出たため、この「楼閣」は崩れ始めている。内閣支持率が三割を割って自民党支持率を下回り、両者の合計が五〇%を切るとき政権の黄昏が訪れる。これがこれまでの経験則であった。その経験則がいま、試されようとしている。

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10月13日(火) 自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、岩波書店発行の雑誌『世界』10月号に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

2 自民党を制覇した旧保守傍流路線

 二大政治潮流の存在

 自民党には伝統的に二つの大きな政治潮流が存在した。それはこの政党の出自に深くかかわっている。一九五五年に自由党と民主党という二つの保守政党の合同によって結成されたからである。主として自由党の流れを汲み吉田茂の人脈を受け継ぐのが「ハト派」とされ、民主党に近く岸信介の人脈を引き継いでいるのが「タカ派」である。
 六〇年安保闘争によって岸内閣は倒れ、その後の池田・佐藤両内閣を通じて保守政治は安定期を迎える。この時期に、政策路線としての解釈改憲路線、経済主義路線、対米協調路線と、政治手法としての合意漸進路線が正統性を獲得し、保守政治の基本路線として認知された。これが「保守本流」であり、保守勢力による現実対応の姿だったといえる。
 こうして、「保守本流・ハト派・吉田」の流れと「保守傍流・タカ派・岸」の流れという二つの政治潮流が自民党の歴史を彩ることになった。派閥で言えば、前者は旧田中派や旧大平派(宏池会)であり、後者は旧福田派や旧中曽根派である。この流れは一定の期間を経て左右が入れ替わる「振り子の論理」によって自民党内での擬似政権交代を演出してきた。
 ただし長い間、自民党内では「保守本流」が大きな力を持ち続けた。池田内閣から小渕内閣までの一八代四〇年間にわたって、福田・中曽根の両内閣を除けば(佐藤内閣は微妙だが)、基本的に「ハト派・リベラル」政権だったと言える。
 これに対して二〇〇〇年の森喜朗政権以降、現在の安倍政権までの九代一五年間では、森・小泉・安倍・福田政権という旧福田派の流れを汲むタカ派 政権が続く。麻生元首相は吉田茂の孫だから吉田亜流だが、その後の政権交代で鳩山・菅・野田の民主党政権が誕生した。そして、再び政権交代が起こって安倍首相の再登場となり、大きく右に揺れるのである。
 この二〇一二年総選挙が画期であった。「安倍チルドレン」の大量当選など、この選挙で自民党議員の人的構成が大きく変化したからである。旧保守傍流路線の制覇による右傾化、質的な劣化は、このときをもって頂点に達した。

 軍事大国化と右傾化、新自由主義化の進行

 このように、自民党政権においても、福田、中曽根、小泉、安倍政権は「保守傍流・タカ派・岸」の流れを汲む特異な政権であった。福田首相を除いていずれも長期政権を維持したのは、時には米国の要求を値切る保守本流より軍事大国化を志向する傍流の方が米国にとって都合が良かったからであり、右傾化を強める社会意識の変化に適合し、新自由主義的改革路線によって従来の保守支配の構造を打破する強い志向性を持っていたからである。
 森政権以降、次第に「保守傍流・タカ派・岸」の流れが強まっていく。民主党の結成やみんなの党、生活の党、維新の党など第三極諸党の結成によって「保守本流・ハト派・吉田」の流れを汲む勢力や個人が自民党の外に流出した。そのために自民党内での「保守傍流・タカ派・岸」の勢力の比重が高まったからである。
 こうして自民党は右傾化し、極右政党としての傾向を強めたため、キャッチオール・パーティーとしての性格を薄めて合意形成能力を失った。その結果、合意形成が難しくなればなるほど、さらに右派的イデオロギーによる国民統合を図ろうとして右傾化を強めるという悪循環に陥ることになる。
 同時に、軍事大国化が強まり、自衛隊の海外派兵の動きが具体化してきた。ただし、中曽根政権の時には米国からペルシャ湾への掃海艇派遣が要請されたが、旧田中派出身の後藤田正晴官房長官は「閣議ではサインしません」と迫って派遣を断念させている。
 しかし、小泉政権の時にはこのような制止は働かず、イラクの復興支援という名目で自衛隊が派遣された。今後、安保法制が整備されれば、「国際平和支援法」という海外派兵のための恒久法ができ、他国(軍)を守るために自衛隊が海外に送られ、米軍などとの共同作戦や「後方支援」に従事し、国連平和維持活動(PKO)でも活動範囲を拡大して治安維持や駆けつけ警護などができるようになる。
 新自由主義化についても、中曽根政権以来の規制緩和路線の終着点が近づいているように見える。それは「臨調・行革路線」として始まり、小泉政権による「構造改革」へと受け継がれ、安倍政権の労働の規制緩和路線の再起動によって総仕上げされようとしている。
 労働者派遣法の改定も労働基準法の改定も、共に原理的な転換を含んでいる。それは規制緩和の量的な拡大ではなく、派遣事業や労働時間についての質的な変化をもたらすことになるだろう。派遣は「一時的・臨時的」なものではなくなり、「常用労働者」に対する代替がすすみ、正規労働者が派遣などの非正規労働者に置き換えられることになる。労働時間に対する制限が撤廃され、労働に対する時間管理という考え方自体が時代遅れであるとして否定されるにちがいない。

 突出した軍事偏重

 このような変化において、安倍首相における軍事偏重はどの首相よりも突出しており、際立った特徴となっている。確かに、岸首相や鳩山一郎首相なども憲法改正と再軍備を主張し、中曽根首相も「日本列島不沈空母論」や「三海峡封鎖論」を唱えた。安倍首相もその「伝統」を受け継いでいる。しかし、安倍首相の場合には、発言だけでなく実際の政策変更によってその具体化を急速に進めてきた。
 第一に、安倍首相はどの首相よりも自衛隊への親近感を示している。二〇一三年に幕張メッセで開かれたイベントを訪問した際、ヘルメットに迷彩服姿で戦車に乗るというパフォーマンスを見せたことは象徴的だった。航空自衛隊松島基地を訪問した際には細菌兵器の人体実験を行った旧陸軍731部隊と同じ機体番号の戦闘機に搭乗して顰蹙を買った。中谷防衛相や佐藤正久参院議員など自衛隊出身者の重用も目立つ。
 第二に、安倍首相は「積極的平和主義」を掲げ、軍事的対応による平和構築や秩序の安定を重視している。日本だけでなく国際社会の平和のために能動的・積極的な役割を果たすことだとされているが、その中核には自衛隊が位置付けられている。二〇一三年一二月閣議決定の「国家安全保障戦略」では、この積極的平和主義が基本理念とされた。
 第三に、「海外で戦争する国」になるための既成事実化が図られてきた。システム、ハード、ソフトの面で専守防衛の平和国家路線からの転換が目指されている。このような姿勢はこれまでの全ての自民党政権以上に顕著となっている。
 まず、法・制度の改変によるシステムの整備という点では、第一次安倍内閣時における防衛庁の防衛省への昇格、第二次内閣になってからの国家安全保障会議(日本版NSC)と国家安全保障局の新設による戦争指導体制の整備、武器輸出三原則から防衛装備移転三原則への変更による禁輸から輸出へという一八〇度の転換、政府開発援助(ODA)大綱の「開発協力大綱」への変更による非軍事目的の他国軍への支援の容認、背広組優位を転換して「文官統制」規定を廃止した防衛省設置法一二条の改正、日豪・日露・日英間での外務・防衛担当閣僚会議(2プラス2)の設置などが目につく。
 次に、自衛隊の「戦力」化と在日米軍基地の強化などの「ハード」の整備という点では、前述の国家安全保障戦略とともに新防衛計画の大綱や新中期防衛力整備計画(五年間で二五兆円)の閣議決定、陸上総隊の新設と「水陸機動団」編成による日本版海兵隊の新設、軍需産業と一体での武器技術の開発・調達・輸出を推進する防衛装備庁の新設、防衛省による武器に応用できる大学での研究の公募開始、沖縄・普天間基地移設を名目とした辺野古新基地建設の強行などを挙げることができる。二〇一六年度予算の概算要求では、オスプレイの購入、イージス艦の建造、新型空中給油機の取得なども計上されている。いずれも海外展開を視野に入れた要求に見える。
 さらに、世論対策と教育への介入などの「ソフト」の整備という点では、首相官邸によるマスコミへの懐柔と干渉、NHK会長や経営委員への「お友達」の選任、特定秘密保護法の制定による軍事機密の秘匿、情報の隠蔽と取材規制、改正通信傍受法案(盗聴法案)・刑訴法改定法案の提出、教育再生実行会議による教育への介入、教育委員会や教科書内容・選定への干渉、愛国心の涵養や道徳の教科化などによる「戦争する心」作りなどが着手されている。
 「海外で戦争する国」に向けての準備は安保法制に限られない。このような形で、総合的、全面的な政策展開がなされ、着々と既成事実化している点に注目し、警戒する必要がある。

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10月12日(月) 自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか(その1) [論攷]

〔以下の論攷は、岩波書店発行の雑誌『世界』10月号に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

 「自民党がこれ以上『右』に行かないようにしてほしい。いま保守政治というより右翼政治のような気がする」
 元自民党総裁の河野洋平氏は二〇一五年二月二四日に名古屋市内で行われた講演で、こう述べた。
 元自民党副総裁の山崎拓氏も、八月八日のシンポジウムで「かつてのような活発な議論はなく、自民党は戦前の大政翼賛会的になっている」と批判した。総裁と副総裁という最高幹部の経験者が、ともに自民党が変わったと言っている。河野氏は「右翼政治」に、山崎氏は「大政翼賛会的」に……。
 幹事長経験者が現在の自民党を批判するのも珍しくない。古賀誠氏は三月二七日収録のテレビ番組で、安全保障法制について「とんでもない法制化が進められようとしている」と批判しつつ、「自民党の先生方、何か言ってくれよ。なんで黙っているんだ。ハト派じゃなくて、良質な保守派の人たちいっぱいいるはずなんだから」と苦言を呈した。野中広務氏や加藤紘一氏らも日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』に登場し、安倍首相を批判して注目された。
 六月一二日には、山崎拓氏、亀井静香氏、武村正義氏、藤井裕久氏というかつては自民党に籍を置いていた長老四人が日本記者クラブで緊急共同会見を行い、安全保障法案への危惧を訴えた。
 これら自民党OBの言動は自民党の変貌を示唆している。果たして、自民党は変わったのか。何が、どのように変わったのか。そこにはどのような論理や背景が存在しているのか。そして、変わったとすれば、その意味はどのようなものなのか。以下、これらについて検討することにしたい。

1 安保法制審議で明らかになった自民党の変質

 自民党の変化

 明らかに、自民党は変わった。その変貌ぶりは、安保法制の審議で明瞭になっている。たとえば、以下のような変化が生じた。
 第一に、憲法に対する態度の変化である。自民党は改憲を党是として結党されたが、それを実際の政治課題としたのは安倍政権が初めてであった。安倍首相のもとで、自民党は改憲を目標とする政党から、改憲を実行する政党へと変貌したのである。
 第二に、野党に対する態度も変化した。国会での「一強多弱」と言われるような勢力関係を背景に、強権的で独裁的な運営が目立つようになっている。自民党内でも異論が許されず、批判が表面化しない「執行部独裁」の傾向が強まった。山崎元副総裁が「大政翼賛会的」だと批判するゆえんである。
 第三に、民意への顧慮や恐れのようなものが姿を消した。かつて、竹下元首相が「国会は野党の言い分を聞くためにある」と言っていたのは、その背後に多様な民意が存在していることを知っていたからである。今日の「一強多弱」状況も選挙制度による「錯覚」にすぎない。その背後には衆院選で自民党に投票しなかった四分の三以上の有権者の民意が存在しているという事実を、安倍首相は忘れている。
 第四に、議員の質的な劣化が露呈した。この間、安倍首相や中谷防衛相、麻生副総理、高村自民党副総裁、岸田外相などの答弁や発言が批判されたり、顰蹙を買ったりすることが多かった。それだけでなく、自民党文化芸術懇話会で「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などと発言した大西英男衆院議員はじめ井上貴博衆院議員や長尾敬衆院議員、「法的安定性は関係ない」と言い放った礒崎陽輔首相補佐官(参院議員)、安保法案に反対する学生たちを「極端な利己的考え」などと批判した武藤貴也衆院議員などの暴言も相次いだ。
 しかも、礒崎首相補佐官は東大法学部の出身であるにもかかわらず立憲主義について教わったことがないと吐露し、武藤議員はブログで憲法の三大原理(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)について「私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている」と述べ、その後、金銭トラブルが表面化して自民党を離党した。議員としての質の劣化は否定しようがない。

 安倍首相の転換

 同時に指摘しておくべきことは、安保法制審議に至る過程で、安倍首相のジレンマも明確になってきたことである。それは当初の主張の揺れ戻しや転換をもたらしている。
 その第一は、「対米自立」から「対米従属」への暗転である。第一次安倍政権が掲げていた「戦後レジームからの脱却」という目標は姿を消し、このスローガンが持っていた「反米的色彩」を払拭するために、集団的自衛権行使容認によってアメリカの要求を全面的に受け入れた。二〇一三年二月の初訪米時におけるオバマ大統領による冷遇から今年四月の訪米時の歓待への変化こそ、この間の安倍首相の屈服を如実に示すものだと言える。
 第二は、歴史修正主義路線の部分的修正である。安倍首相は、第二次政権発足当初、第一次政権で靖国神社を参拝できなかったのは痛恨の極みだとして、その実現に意欲を燃やした。しかし、それが実現したのは第二次政権発足一年後の二〇一三年一二月のことであり、この一回を除いて、以後、一度も参拝していない。安倍首相としては不本意であろうが、そのような国際環境を生み出したのも安倍首相本人の歴史修正主義的発言の数々であった。
 そして第三は、「戦後七〇年談話」での部分的な撤退である。当初、安倍首相は「村山談話」や「小泉談話」とは異なった新しい談話を出すことによって「上書き」し、この二つの談話の内容を実質的に修正しようとしていた。しかし、国内外からの批判や発言に押されて、このもくろみは失敗した。「キーターム」を散りばめた談話は本心を隠して表面を取り繕う欺瞞に満ちたものとなり、前の談話を根本的に覆すことはできなかった。
 以上の結果、安倍政権は安保法制に危機感を高める世論の支持を失っただけでなく、その歴史修正主義的言動に期待していた右翼的な支持者の一部をも失望させることになった。自民党の変貌は支持基盤の狭隘化をもたらし、安倍内閣は支持率を低下させ、自民党の支持率もそれに連動して低下する兆しを見せている。

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