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5月21日(月) 加藤宣幸さんによって語られた驚きの証言 [政党]

 日曜日の法政大学市ヶ谷キャンパスは人影も少なく、閑散としていました。昨日、研究所のプロジェクトである社会党・総評史研究会があり、日曜日のキャンパスに足を踏み入れたというわけです。

 この日の研究会は、加藤宣幸さんからの聞き取りです。加藤さんは、元社会党の国会議員で片山内閣の労働大臣をやったこともある加藤勘十氏の息子さんで、1946年から69年までの23年間、日本社会党の書記局で活動された方です。
 今年、88歳になられたそうですが、お元気で矍鑠たるものです。この年代の方は、しっかりしている方が多いという印象ですが、加藤さんもそのようなお一人でした。
 実は、加藤さんにお会いしてお話をうかがうのは、今回で2回目になります。以前、研占領期の青年運動についての原稿を執筆するときにお話しをうかがい、この原稿は研究所叢書『「戦後革新勢力」の奔流』に収録されました。今回は、1960年前後の「構造改革」問題についてお聞きしました。

 加藤さんのお話には、興味深い事実がたくさんありました。なかでも驚いたのは、58年頃、東京の四谷で開いていた研究会のメンバーとして、中林賢二郎先生や北川隆吉先生のお名前が出てきたことです。
 中林先生は私の大学院時代の指導教授で、北川先生も法政大学大学院におられて、そのゼミに出たことがあります。しかし、「構造改革」についてのお話をうかがったことはなく、私としては意外でした。
 この研究会は事務局を初岡昌一郎さんが担当され、佐藤昇・松下圭一両氏の指導を受けながら、月1回で約1年くらい続いたそうです。研究会には、他にも田口富久治、増島宏、上田耕一郎氏などが顔を出していたということですが、私はどなたも見知っており、これらの方がメンバーであったことは不思議ではありません。

 これ以外にも、「エッ?」と思わされるようなお話しがありました。その一つは、構造改革論という用語についてです。この言葉はイタリア共産党第8回大会のテーゼにあった「構造的改良の道」に由来しますが、これを改良主義と攻撃されるのを恐れて「構造改革」と「造語」したのは加藤さんだったというのです。
 もう一つ、成田知巳元社会党委員長のいわゆる「成田三原則」のゴーストライターも加藤さんだったと仰っていました。これは、社会党の欠陥として、日常活動の不足、議員党的体質、労組依存の三点を指摘したもので、1964年1月1日付の『社会新報』に掲載されましたが、その原案を書いたのは書記時代の加藤さんだそうです。
 さらに、驚くべき証言もありました。いわゆる「江田ビジョン」を提言したのは竹中一雄氏で、当時の江田書記長がこれを発表する記者会見の前夜、神田・駿河台の丘の上ホテルの会合の席での発言に江田さんが即座に賛成し、翌日、これを発表したのだそうです。

 というように、興味深い重要な事実が、加藤宣幸さんの口から次々に飛び出してきました。お話をうかがっていた私たちは、大いに驚き、また啓発されたものです。
 今回の聞き取りの内容は、いずれ『大原社会問題研究所雑誌』に掲載されることになると思います。楽しみにお待ち下さい。


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